九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 「人・政治の悪循環の果て」

2020年09月08日 12時50分01秒 | 文芸作品

 ある日のテレビニュースを見ていたら、米大統領がこんな不平不満を力説していた。
「何億ドル、何十億ドルと(米国から)受け取る国々が私たちに反対する。彼らの投票を注視している。反対すればいい。大きな節約になる」
 アメリカが、エルサレムをイスラエルの首都と「認定」したことを巡る国連論争の話だ。国連総会採決の後では、米国国連大使のこんな言動も報道された。
「国連や国連機関への拠出金を最も負担しているにもかかわらず『米国だけが軽蔑を受けている』と不快感を強調した」
 
 イスラムの聖地があるエルサレムの東半分は今なおパレスチナ自治政府のもののはずだが、イスラエルが軍事力で占領したままの状態で国連が凍結していたもの。そこへトランプ政権突如の「首都と認定」だから、イスラム世界という蜂の巣をアメリカが激しくつつき直した形になった。
 イスラム世界が協力して国連に提出した「認定反対決議案」が、まず、決定には強制力が伴う国連安全保障理事会でアメリカの拒否権が出て、否決。そこでイスラム諸国は、世界政治対立の道義、常識を判定する国連総会の採決にこれを持ちこんだ。こちらは、賛成一二八、反対九、棄権三五国、他に二一か国が採決に参加しないという結果。冒頭の米発言二つは、この採決に対するアメリカの事前事後二つの対応なのである。
 それにしても、普通の日本人ならこんな発言はできない。「認定反対国には米支援を止めるぞ」とか「国連拠出金が最も多い『米国だけが軽蔑を受けている』のは、おかしい」とか。むしろ、過去の国連調停を踏みにじって、どういう権利によってかは知らぬが米単独で首都認定を出した上にこんな発言をするからこそ、この国が余計に軽蔑されるのではないのか。そもそも国連決定を無視するということ自体が加盟国を侮辱する行為であると、そのことがわからないふりをしたアメリカのこんな言動こそ、「金で人のほほをひっぱたく」ものとして軽蔑されたのではなかったか。

 さて、こんな内容を僕のブログに書いた日に、常連のネット右翼さん方から、こんな反応があった。
「アメリカが自分の好きにするだけじゃない? 他国も、国連も、無力です」
「米国の軍事力、ロシアの軍事力、中国の軍事力、イスラエルの軍事力、すべて、同じように軍事力をちらつかせて外交を展開しています。結局力が物を言う現実はそうそう変わらないということが証明され続けていますね」
 こういう弱肉強食世界はそうそう変わらないと言いつつ、これを肯定しているのである。金で人のほほをひっぱたく政治とか、軍事力で恫喝する外交とかを、ネットという公論の場において人類の普通のことと主張しているのだから。これと同様に、米政府から冒頭の外交発言が普通に出てくるという事態も、アメリカという国の日常がもう普通にこうなっているから起こった事なのだろう。こういう人々こそ、人類には公論、公正などは存在せず、戦争こそ自然という法則を自ら作っているのである。政治頽廃と人間自身の頽廃との悪循環。全体主義国家が滅びて民主主義国家が中心に座りなおした終戦直後は、この良循環があったような気がするが、世界はいつの間にこんな悪循環に陥ってしまったのか。

 

(2018年7月 同人誌初出)

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掌編小説 血筋が途絶える日韓社会

2020年09月08日 12時21分26秒 | 文芸作品

 照明が効き過ぎというほどに明るく、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は、本当に驚いた。「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」。思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」。「確か二年前の数字だったかと……」。
 このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの英語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉である。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされている。既婚未婚を問わず一定年齢間の女性全てを分母としたその子どもの平均数という定義なのだろう。

「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」、韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」、僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼が訊ねる。「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」。
 日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ってすぐに、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟の比較、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみて驚いてしまった。考えてみなかったことも含めて、びっくりしたのである。

 連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数(つまり僕らから見て甥姪、我が子も含めた総数)は、連れ合い側七人、僕の方十人。このうち既婚者は、前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、大きな差がある。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があったとは言えないだろうか。
 ちなみに、その後しばらくして、こんなニュースが入ってきた。連れ合いの弟の子ども、甥の一人が最近結婚されたと。42歳のその子が、60歳で3人お子さんがいらっしゃる女性と「家庭を持たれた」ということだった。これはこれで僕には嬉しいニュースだったのだから、今後こういう結婚もふえていくのだろうと考え込んでいたもの。ただ、この結婚に向けては、二人の間の子どもさんは期待されてはいまいから、連れ合いの弟さんに男系の孫が出来るという昔流の望みは絶たれたわけである。もっともその弟さん夫婦は「男系の孫」に拘る方々ではないが、孫はほしいとは言っていた。

 それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」。中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評文で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書の「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。

 それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はともかく、曾孫はたった二人! その孫たちももう全員四〇代を過ぎている。一般に「母子家庭が最貧困家庭である」とか、「貧富の世襲は当たり前になった」とかもよく語られている。今の日本においては、どんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が少なくなって、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。

 こんな豊かな現代世界がこんな原始的な現象を呈している。それも、世界的な格差という人為・社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことも言えるのではないか。

 

(2018年5月 同人誌に初出)

コメント (2)
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