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日本は「民主主義」が弱いから・・  文科系

2020年09月27日 11時24分19秒 | 国内政治・経済・社会問題

 この二日間、二つの物を読んでいて、「民主主義って何?」と改めて考えていた。一つは、佐藤優、宮家邦彦著「世界史の大逆転」(角川新書)。今一つは、今日の中日新聞社説「民主主義の旗色は?」。前者は、戦前日本をファッシズムではないと言い、後者は民主主義の対概念に権威主義という言葉を使っていたから、それぞれをアレッ?と思ったところから出発して色々考え始めた。なお、直面する世界で改めて民主主義が問い直されているのは、以下の理由によるのだろう。トランプというよりもアメリカが、格差が酷すぎたり、選挙が正しく機能していないと見られたり、国連から離れて多国間主義という国際民主主義(的問題解決の場)を無視し始めているなどなど、民主主義国として?マークがつき始めたこと。今一つは、この中日新聞社説も述べているように「権威主義プラス経済大国」という中国の大国化、アメリカに代わるようなその国連重視姿勢であろう。なお、今の国連では、総会決議などでアメリカよりも中国に対する支持の方がどんどん多くなっているのを、日本人ほとんどが知らないようだ。こういう国連における中国支持の是非はともかくとして、人が食えないところには民主主義もないというのも、また人間の真実だろう。

 佐藤や宮家がファシズムの規定を明らかに誤っていたり、中日新聞が民主主義の対概念に権威主義を持ってきたりしているこの語の揺らぎ?は、ある意味当然のことなのだ。古代ギリシャ以来、そして近代以降は特に時々の政争の中で常に使われてきた言葉なのだから、抽象的を通り越し、我田引水使用に慣らされてもきたのであろう。この言葉の原義に帰ることこそ、今肝要だ。

 フランス革命の「自由・平等・博愛」と言われた「人々」がいて、基本的人権、国民主権、法の支配などなどの「立憲主義」があって、これらを保障していくためにこそ「言論の自由」を認めること。ここまでは、戦前まででも民主主義についての世界の公理と言えたものだ。が、戦後にはさらに、こんなことが具体的にこれに加わってきたと思う。人種、男女の平等。そして、これらを真っ向から否定する近代以降における民主主義の対概念こそファッシズムと言うべきであって、一言で言えば「立憲主義の否定」「基本的人権、国民主権を何らか否定する国家制度」ということだろう。

 さて、以下の時代がこれに加わってくると、民主主義概念はさらに理解が難しくなった。経済の世界化、貧富の偏在、発言権の偏在、対するに機会の平等などなど。今の時代、国の違いも含めた機会の平等の仕組が発想されなければ、民主主義などは絵に描いた餅にどんどんなっていくだけである。

 いずれにしても、いまこそ民主主義というものを改めて考えてみるべきで、それもグローバリズムの中では多国間主義的にこれを考えてみねばならない時代になっているのだと思う。またいずれにしても、こういう全体に対して権威主義などと言う言葉を対して何かものが言えたと考えるような思考は、僕には粗すぎて到底ついて行けない。

コメント (16)
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