随筆 川辺の宿 S.Yさんの作品です
夫の母は我儘な女性だった。全てにおいて自己中心的で、私はずいぶんと振り回された。
夫は常々、母親を我儘にしたのは父親だと言っていた。父親が母親の言うままに甘やかし、母親を増長させたのだと言い切っていた。
それで思い出した。私の生家の祖父母も同じように祖父が祖母にとても優しかった。ゆえに祖母は我儘であった。生家は農家であったが、祖父は身体があまり丈夫ではなく農業を継がずに不動産業を営んでいた。土地の売買で、登記所や役所に出向いたり、家ではいつも図面をひいていた。来客も多かった。
時代もあったのか、不動産業は順調で三人の叔母たちの嫁ぎ先にも土地を世話したりと、おかげで叔母たちも皆、スーパーマーケットや会社経営と裕福な暮らしぶりだった。
祖父はどこへ行くにも専属のタクシーを使い、なぜか孫の私をよく連れ歩いた。七十年近くも昔のことだ。孫を仕事関係の場所に連れて行くのを世間は大目に見ていたのだろう。
私はいろいろな場所で祖父の仕事が終わるのを待っていた。帰りはいつも町の食堂で好きなものを食べさせてくれた。行きつけの和菓子屋で饅頭やお菓子も買ってくれた。なかでも一番記憶しているのは、木曽川の川岸にある料理旅館で待っていたことだ。老舗の風情のあるたたずまいの旅館で、何度も連れていかれるうちに仲居さんたちとも仲良くなり、よく遊んでもらった。私が小学校へあがるころまで続いた。
祖父は祖母だけでなく、嫁である母にも優しかった。大所帯の農家の嫁は常に忙しくて体もきつい。そんな母を気遣って、炊飯器に洗濯機、冷蔵庫などをいち早く買い与えていた。まだまだ家電製品が出回っていない時代、テレビやステレオまでどこからか仕入れていた。
先日、生家へ行った折、あの川辺の料理旅館の近くを車で通った。旅館は建て替えられて、そう大きくはないが近代的な観光ホテルになっていた。屋号は同じだ。
懐かしさに浸っていたとき、突然に、まるで降って湧いたかのように衝撃が走った。
祖父はあの旅館に仕事で行っていたのではなかったのでは?…… そういえば仲居さんたちと遊びながら、子ども心にもなにかいつもの祖父ではない気がしていた。
祖父は女の人と会っていたのだ。確信はないが、今にして思うと、そうだったのかと思い当たる気もする。祖父は祖母の我儘な癇癪持ちを持て余していたようだった。だから、別の女性がいたのかもしれない。この時代、叔父たちにもお妾さんらしき人がいたりして、そう珍しいことではなかった。でも、あの優しくてかっこいい紳士的な祖父までもが……。
いまごろそんなことに気づくとは。いや、でも、やはり真実はわからない。
祖父は私が中三の夏休み、家族や親族に囲まれて自宅で静かに亡くなった。