中日新聞にまた、しっかりとした社説が載った。『老朽原発延命』、『3・11前よりも後退か』という見出しでもって。例によって全国に発信すべく、ここに転載する。目的が目的なので、全文そのまま掲載もご了承願えるだろうと確信してのことである。
『 誰のため、何のための原子力現制委員会なのだろう。
繰り返す。3・11の反省に立ち、強大な原子力を文字通り「規制」するために、新しい気持ちで組織されたのではなかったか。
福島第一原発は、3・11から半月後に運転開始から四十年を迎えることになっていた。
それも踏まえて当時の政府は原子炉等規制法を改正し、原発の運転寿命を「原則四十年」と決めた。
「原発依存度を可能な限り低減する」という大方針のもと、老朽原発に退場を促すためにである。
ただし、一回限り、最長二十年。特別な点検と安全対策を施して、より厳しい審査を経るのを条件に延長を認めることにした。「例外中の例外」だったはずである。
ところがのっけから、規制委自ら、それらの大原則を骨抜きにしてしまった感がある。
老朽原発審査の焦点は、難燃性ケ一ブルの採否という。
一九八〇年以前の古い原発には、燃えやすい素材の電気ケーブルが使用されている。その年、旧原子力安全委員会の「火災防護指針」は、不燃性、難燃性材料の使用を義務付けた。
原子炉一基あたりの総延長は、数百キロメートル以上にも及ぶ。これらをすべて取り換えるには、膨大な時間とコストがかかる。
四国電力はそれもあり、伊方原発1号機の廃炉を決めた。欧米でも安全コストが引き金になり、原発の廃炉が相次いでいる。
今回関西電力は、高浜1、2号機の全長千三百キロのケーブルのうち、約四割を燃えにくいものには取り換えず、防火シートを巻くことなどで対応するという。規制委はそれを″よし″とした。
3・11以前よりさらに後退したことになる。
その上、耐震性の評価に必要な試験は改修工事後でよいという。
これでば「規制」ではなく、「推進」にならないか。
複数の断層が複雑に連鎖する熊本地震のさなか、高浜原発にも近い三本の活断層の連動に、住民は不安を募らせる。
活断層や耐震評価を見直すことこそ必要な時だと熊本地震も告げている。拙速とも言える原発延命の後押しは、人々の不安と不信を増幅するだけだ。』
・・震度は7までだけどね。
これらすべてが、原発不向きの国を改めた示してしまった。原発政策では、最も大事な戦略自身を誤ったのである。「エベレストを潔く撤退する」と言う勇気が必要な時が来たのである。
こんな地震に対して、どんな政治家、官僚が責任が負えるのであるか??
調査側も含めた原発ムラのすることは、一事が万事こうである。福島も、あの程度の波高の警告が出ていたのに、社長を初めとして無視したこともはっきりしたし。やはり悪どかった。
全部犯罪だよね。少なくとも、未必の故意だ。このように「国家戦略、国策」であれば何をやっても良いという、これを福島事故・国会調査委員会は、「規制の虜」が事故の原因と表現した。規制する政治側が、規制される企業側の虜にされてしまっていたという意味である。
この国会調査委員会の調査結果が最も厳しいのだが、今の政権はこれを最も無視している。民主党政権の遺産とも言える委員会人事だからであった。
そして今度は、武器輸出の国策化と来た。原発の輸出国策はもう失敗するだろうが、こちらは前途洋々。ただし、その結果が怖い。武器で儲け出すと、史上必ずこうなったのである。「どこかで戦争が起こらないかな」。今のように不景気で職がないと特にそうなりやすいということも、歴史の教訓だったはずだ。「貧すれば貪する」、背に腹は代えられないということだろう。
反対が先にありきの、サヨを入れない議論があるといいな。