今年は非常に珍しいことに、横浜が日本一になった日本プロ野球機構。僕はこの団体をスポーツ団体とは認めない。勝ちを求めているとは思えない大事件があり、今も続いているからだ。落合博満監督の中日退任。以降どこも彼を監督に招かなかったこと。この二つから僕は、スポーツ団体としては決定的な不信感をNPBに抱いて来た。ひるがえって中日ドラゴンズは今年も相変わらず凡庸監督を首にしたようだし。
落合博満は中日監督時代8年で4回優勝し、Aクラスを逃したことは一度もない。監督初年度2004年などは「現有勢力を底上げすれば十分だ」としてリーグ優勝。以降、たいした金も使わずにこの業績を上げた名監督である。こんな監督をドラゴンズは解任した。それも、2年続きで4回目のセリーグ優勝というその2年目の終わりに。そして以降、この落合を雇うチームがどこにもなかったのである。中日監督を11年やった星野仙一が名監督と言われるが、リーグ優勝はそのうち2回に過ぎないし、日本一は落合1回に対して星野は0回だ。落合監督の解任、「以降、どこからもお呼びがかからず」はこうして、スポーツ団体としてのNPBにとって史上最大のミステリーである。
これが他のスポーツであればどうだったろう。世界中のサッカーの世界であれば引く手あまたで、その後の落合もサッカーのガルディオラやクロップのように、苦笑いの左団扇だったはず。集団球技の強さについては監督こそ大事で、世界中皆がこのことを知っているからだ。バレー、バスケ、ラグビーなどの日本代表監督は全部外国人を雇って強くなった。世界一の人気スポーツ・サッカーなどは、外人監督が当たり前。発祥の地イングランドのマンチェスター2チーム、アーセナル、リバプールなどの代表的チームはもちろん、イングランド代表監督でさえ、外国人がなる。ところが、NPBでは、この最強監督をどのチームも「要らない」と振る舞ってきたこの不可解! スポーツとして観るなら、実に不思議すぎる歴史である。なぜこんなことが起こったか。
落合解任は集客、営業の不振からと言われてきた。新聞社などマスコミと落合の仲の悪さも上げられていた。営業不振はまず球団責任だろうし、マスコミ不人気なども球団が仲裁すれば良かったこと。それよりも何よりも、こんな些細な理由から、どうしてその後この優れた「スポーツ人監督」をどこもやとうチームがなかったのだろうか。もっと大きな理由があるとしか思えなかったのである。
あるチームが勝ち続けると、他のチームとこことのゲームを見に来なくなって、リーグ全体の集客が減ることがある。当たり前だろう、6チームしかないリーグに常勝が出れば、そんなことは必然であって、集客のためには不人気チームを一つでも作ってはならないのだ。6チームがギリギリ財政でやっていれば、「スポーツよりも集客が全て」にしかならないのである。こう申し合わせたように落合監督は永久になくなったと、僕はそう考えてきた。これではスポーツとしての能力アップに日夜励んでいる選手がかわいそうだ。そう考えてみていると、両リーグとも最近は、川上巨人、鶴岡南海、三原西鉄、古葉広島のような常勝的球団は居なくって、時に弱小チームの優勝も起こっている。なるほど、・・・と言うわけだ。だから、弱小中日にも近く光を当てるべき局面が来るんじゃないか、とも思う。6チームの営業互助会、これがNPBの正体なのだ。せめて12チーム一体として、地域に根差して真に切磋琢磨しあう環境を作るべきだろう。そうすれば、サッカーの新潟や鳥栖のようなチームも必ず現れるはずだ。
野茂、中田ヒデなど有名スポーツ選手がマスコミに腹を立てて、仲違いしてきた歴史も長いが、スポーツマスコミもヒデが馬鹿にした「くだらない質問」などバラエティー化している自分を少しは考え直さないといけないんじゃないか。
文ちゃんの、何時ものネタだね。
世界のサッカー、見ているのかな?
まあまあ、あるチームが勝ち続けているよね。
少しは、考え直したら?
民主党政権時の方が、経済は良かったとか・・
文ちゃん論が、盛大に空回りしているのは、
このサイトの何時ものこと。
まあ、消して見ないフリでしょう。
これに対して、君は一度も、一次歴史資料など提示したことはないでしょ? それを分かっているのかな? 何度も詰問したことだが?
何も残さず消えたの?
わざわざ書いていいの?(笑)
文ちゃんは、一度も、一次歴史資料など提示したことはないでしょ? それを分かっているのかな? 何度も詰問したことだが?
またもやったよね。相手を批判するときに、事実証拠や、歴史論であれば資料を示せないから、罵倒の言葉だけになる。その場合に僕の事前の言葉をそのまま引用するのが、君の常套手段。それで溜飲が下がると判断しているのは、無能力というよりも、低脳。
「わざわざ書いていいの?」
「一度も、一次歴史資料など提示したことはないでしょ?」
みなさん、名無し君と僕との応酬では、僕の批判言葉、表現を、直後に彼がどれだけ使うかを見てあげよう。自分では批判用語を思いつかぬ証拠なのだ。そして、相手の用語、表現が見事と褒めていることになるのに、それも気づかない頭脳。