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随筆紹介 「日本国民の衆愚」  文科系

2023年02月03日 01時03分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
随筆 「日本国民の衆愚」  S・Hさんの作品です


 録画取り置きのドキュメンタリー「ナチハンター 忘却とのたたかい」を観た。
 この題字が流れ冒頭の語りから、私の心はまるで悪魔に取りつかれたように画面に吸い付いた。「ナチハンター」とはナチによってこの世とも思えない地獄絵図の中で殺された人々の親族が戦後ナチの残党を探し出し告発する者を指す。ナチの大量虐殺はもはや説明するまでなかろう。私が最も心惹かれたのは戦後何年経っても執拗に探し求めて突き止めて行ったその行為にある。

 私はこの番組を見るまでは、ドイツという国は戦後ナチスをキチンと裁いて立派な国民性を持っていると思っていた。しかしながら戦後ドイツ政府は一定の期限を設け時効として戦犯追及を止めようとした。しかしながらナチハンターの熱意と行動と努力により、遂に国家としてナチの犯罪性を永久に追及する決意にさせたのだ。

 ドイツの国家が永久にナチを追求するに至った道は決して平たんではなかった。戦後組閣された内閣では、その何割かが元ナチ党員であることが「ハンター」により明らかにされた。そのような国家ではナチ追及はおぼつかなかった。また、国民もそういつまでも自分たちをナチ国家の一員だと思い続ける自虐的精神力を保ち続けるのには飽きてしまった。
 そういう雰囲気の中では、「ハンター」迫害が進んだ。しかし「ハンター」たちは諦めなかった。ありとあらゆる正当な方法で国民にナチの非人道性を訴え、またナチを許してしまったドイツ国民の衆愚を明らかにしていった。「ハンター」たちの様々な行動や告発の結果。前述のようなナチの残党を永久追放の決議が国会で議決されたのだ。

 現在でもナチの犯罪性を追求し続けている。最近、九十歳を超える老人がナチの幹部と判明して禁固刑を受けている。実際に大量殺りくを計画し命令した指導幹部だけでなく、死体を埋める墓を掘った者でも戦争犯罪人として告発されるのである。
「上官の命令に従っただけだ」という言い訳は一切通用しない。「あなたは人道の道を踏み外すことをたとえ上官の命令でしたとしても人間として許されない」そういう理念が貫徹しているのである。

 冒頭私が心を奪われたと述べたが、それはこのドイツの戦後処理と日本の戦後処理を比較しながら観ていたからである。
 岸信介はじめ戦争犯罪人が戦後内閣を引き継いだといっても過言ではない。現在でもそれを引き継ぐ「亡霊」が日本を支配していると言ったら言い過ぎであろうか。
 戦争中、中国で人体実験した石井部隊の残党は米進駐軍にその医学的資料をそっくり引き渡しその代わりにその戦争責任を問われないという密約をマッカーサーと交わし、のうのうと戦後医学会に君臨して「白い巨塔」を形成した。
天皇の戦争責任(文科系注を下に付けます)も全くとられていない。現人神宣言でうやむやにされた。
 いやいや、日本の国民自身が一番曲者である。日本人のこの衆愚性は一体何だろう? 戦前ほとんどの国民は戦争熱に浮かれ「大東亜共栄圏」の拡張に熱をあげた。中國人や韓国人を侵略し、植民地化しさげすんできた。天皇陛下万歳と旗を振って戦争を賛美した。

 戦後何年か経って、世間は「日本の戦後は終わった」と宣言した。しかし南方の戦線で餓死した兵隊の遺骨は異国の地に放置されたままである、いまだに。南京虐殺はなかったと豪語しても平然と政治家でいられるこの日本。こんな日本に住んでいて恥ずかしくないだろうか? 私は自問自答している。私は素直に思う。今からでも遅くはない。今一度日本や世界の歴史をきちんと勉強しよう。そしてきちんと歴史と向き合おう。今まで繰り返してきた衆愚には決してなるまい。


文科系注 この点については、明日、ある日本近現代史専門家の文献にある天皇の言葉を紹介し、その周辺事情などにも触れてみます。







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1 コメント

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天皇の戦争責任 (文科系)
2023-02-03 00:56:41
 上の随筆で、天皇に戦争責任ありという言い分には賛成しかねるという意見が今の日本では圧倒的に多いはずだ。いわゆる歴史家や太平洋戦争を語るジャーナリストでも、そうだから。
 ところが、太平洋戦争を決定した御前会議(1941年9月6日と11月5日)のうち、9月会議の前日にこの御前会議への原案を話し合った大本営(天皇が主催して、陸海軍大臣と開く会議)では、最終決断を天皇がしたという証拠がその言葉ともどんも残っているのが明らかになった。
 その文献だが、岩波新書シリーズ日本近現代史全10巻の6,吉田裕著「アジア・太平洋戦争」のP46~49ページである。
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