九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

闇の政府がトランプ「解任」  文科系

2020年09月15日 07時50分37秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

「マスコミに載らない海外記事」というサイトに表記内容の記事が載った。書いたのは元アメリカ政府財務次官補ポール・クレイグ・ロバーツ。

【 2020年9月14日 (月) アメリカ合州国と、その憲法の命は、あと二カ月 2020年9月10日 Paul Craig Roberts

 トランプの国防長官ジェームズ・マティス海兵隊大将とトランプの国家情報長官ダン・コーツが、トランプ大統領を、大統領の座から解任するため「共同行動」をとることについて話し合ったとボブ・ウッドワードは書いている。マティス大将は、トランプは「危険だ。彼は適していない。」と言っていた。これは、将官とCIAがジョン・F・ケネディ大統領について言っていたのと同じことだ。将官とCIAが、大統領は適しておらず、危険だと言う時、彼らは大統領が彼らの予算にとって危険なことを意味している。「適していない」というのは、大統領が、資金が、軍/安保予算に流れ込み続けるよう、アメリカの敵を誇大宣伝し続ける信頼できる冷戦戦士ではないことを意味する。自国ではなく、軍需産業に奉仕することで、将官は大いに裕福になれるのだ。

 ケネディ、トランプ、いずれもロシアとの関係を正常化し、軍需産業の利益を引き上げる海外での戦争作戦に関与しているアメリカ軍兵士を国に戻すことを望んだ。ケネディを止めるために、連中は彼を暗殺したのだ。トランプを止めるために、彼らはロシアゲートや弾劾ゲートや様々な熱狂的な確証がない告発を仕組んだ。それが証明された絶対的真実であるかのように、売女マスコミは様々な非難を繰り返している。売女マスコミは、こうした冤罪の一つたりとも決して調査しなかった。トランプを排除するこれら努力は成功しなかった。アメリカは外国政府を打倒した多数のカラー革命をうまくやりおおせたので、この戦術は今トランプに対して使われている。11月の大統領選挙は選挙ではないだろう。それはカラー革命だろう。

 国が崩壊する中、明白な真実の単純な陳述さえ信じられない状態にまで至ったのだ。中には部内者に書かれたものもあるが、入念に研究し文書化した多数の書籍が、1950年以来、CIAが、アメリカ・メディアを支配していることを決定的に証明している。アメリカ・メディアはニュースを報じない。出来事についての闇の国家による説明を報じている。それによって、本当のニュースが連中の狙いを決して妨げないようにしているのだ。

 ドイツ人ジャーナリスト、ウド・ウルフコッテは、CIAが、ヨーロッパ報道機関も支配していることを示す本『買われたジャーナリズム』を書いた。誤解のないように言うと、二つのCIA組織があるのだ。一つは世界の出来事を監視する政府機関で、政策当局に多かれ少なかれ正確な情報を提供しようと努力している。もう一つは、機密作戦の政府機関だ。この機関は、アメリカ大統領を含め、人々を暗殺し、非協力的な政府を打倒する。退任後、トルーマン大統領は、CIAの機密活動を認めて、深刻な過ちをおかしたと公的に述べた。彼は、CIA自身、責任を負わない政府だと言ったのだ。アイゼンハワー大統領は、これに同意し、彼の退任演説で、軍産複合体の責任を負わない権力増大をアメリカ国民に警告した。ケネディ大統領は、その脅威を理解し、「CIAを粉々に粉砕する」つもりだと言ったが、連中が先に彼を殺した。

 CIAがトランプを殺すのは容易だろうが、「一匹狼暗殺者」は余り何度も使われて、もはや信じられない。CIAがアメリカとヨーロッパのメディアや反体制派のふりをしている多くのインターネットサイトを支配し、無頓着なアメリカ人をだます主張をしているのだから、濡れ衣で、トランプ再選をひっくり返すほうがずっと簡単だ。実際、CIAは、左翼をものにしているのだ。軍安保複合体を支持することが愛国的だと信じるので、右翼の人々は従う。CIAは、トランプを打倒した後、Antifaや、Black Lives Matterや、連中の売女マスコミを、人種戦争を煽動するために使うだろう。それからCIAは蒼ざめた馬で乗り込み、住民は屈服するだろう。

 私が書いている今も、このシナリオは展開している。それが起きるまで、極めて少数しかそれを信じまい。たとえそうでも、説明を支配するCIAの能力は、国民を掌握するだろう。現在のアメリカでは、うそつきの方が正直者より信ぴょう性があるのだ。

 Paul Craig Robertsは元経済政策担当財務次官補で、ウオール・ストリート・ジャーナルの元共同編集者。ビジネス・ウィーク、スクリップス・ハワード・ニューズ・サービスとクリエーターズ・シンジケートの元コラムニスト。彼は多数の大学で教えた。彼のインターネット・コラムは世界中の支持者が読んでいる。彼の新刊、The Failure of Laissez Faire Capitalism and Economic Dissolution of the West、HOW AMERICA WAS LOST、The Neoconservative Threat to World Orderが購入可能。】

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日本サッカー、バーチャルとリアルと  文科系

2020年09月14日 08時54分15秒 | スポーツ

 日本サッカー報道にはどうも、標記のことがあるようだ。現実のサッカーを描かないで虚像を作り上げ、描き上げるスポーツマスコミ! 例えば、過去にマスコミが仕立て上げてきたサッカー「名」選手を思い出してみると良い。初め森本、宇佐美、久保建英、東海地方では宮市・・・。僕はここに、本田圭佑も入れたいと思う。いずれも、世界的なリアルな顔にはなっていない選手ばかりである。対するに、彼らよりもずっと扱いが小さかったリアル代表の世界に知られた顔は、岡崎、長谷部、香川、そして内田も。先日引退、即日本サッカー協会に入ったその内田がこう言ったというニュースが、流れた。「本田さんは勝っていない!」。強いリーグで、それなりの成績を挙げてはいないという意味だろう。凋落したイタリア、ACミランは、イングランドなど3強国にはすっかり水をあけられていた。本田はあのチームにも、移籍金無しで入った選手なのだ。

 さて、僕はここで何も、名選手・本田らをけなしたいのではない。日本のスポーツ・マスコミが作り上げる「バーチャルなニュース種世界」をこき下ろしたいのである。「サッカーをスポーツらしくちゃんと報道しろよな!」という意味である。スポーツはスポーツらしく「リア充」で行けよ、バラエティーとは違うんだぞ・・・と言ったら分かりやすいだろう。

 マスコミは自分の虚像を上手に膨らませることができれば、それだけを繰り返して金儲けが出来ていく世界だ。が、スポーツ自身は、リア充の世界にしか存在しないのである。僕は、たった一度の人生を夢の中で浪費したくはない。

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慢性的恐慌世界  文科系

2020年09月13日 16時24分44秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 ケインズやマルクスが恐慌を資本主義の最大問題と見て格闘したのは、株価や「景気」などよりも、定期的なように起こる失業者激増問題があったからである。失業者激増ほど、人を不幸にし、犯罪とか人心の荒廃などいろいろに社会を荒らす問題はないからだ。ヒトラーや東條の台頭も、一九二九年の世界大恐慌以来の失業問題が無ければあり得なかったこと。日本の「満蒙開拓」などの社会的機運も同じことだろう。ところが今は、銀行倒産は国が救うが、失業や不安定雇用問題はほぼ放置と言える。スペイン、ギリシャ、ポルトガル、イタリア、アイスランドや、アジア・アフリカ諸国。若者を中心に膨大な失業者を何とも出来ない国があるのだから、リーマンショック以降はもう世界恐慌である。それらの国々に世界の諸問題が特にしわ寄せされてきたわけだ。
 銀行倒産は国家が即座に救うのに、若者の失業者放置って、どういう理屈で続けられるのだろうか。失業者が多い国家が無力だから仕方ない? 否、現代の失業者は、マネーゲームによって生み出される。九七年のアジア通貨危機から、タイ、韓国、インドネシアに大失業者群が生まれ、ギリシャがゴールドマンなどの世界的金融資本に食い物にされたとかも、知る人ぞ知る有名な話だ。
  これらの問題は、どうしようもないことなのだろうか。近年の世界経済について、その転換点以降現代までの推移を振り返ることを通じて、その淵源を探ってみよう。
 
 七一年にいわゆるニクソンショック。金本位体制を崩して、世界的に変動相場制に移って行くことになる措置だ。直後には、対円などでドルが世界的に値下がりし、他方、七三年原油価格暴騰が起こる。さらには、戦後世界経済理論を最も騒がせたスタグフレーション現象が強調され始めた。「景気の停滞下で物価上昇が続く」「物価上昇と失業率の上昇とは併存しない」という当時までの世界的経済理論ケインズ経済学では説明できない現象と言われたものだ。新自由主義として有名なサッチャリズムが七九年に、レーガノミックスは、八一年に始まっている。八十年代は「アジアの時代」とかジャパンマネーの時代というのが定説だ。七九年には経済協力開発機構でアジアが注目され始め、以下十国が「NIES」ともてはやされた。韓国、台湾、香港、シンガポール、ブラジル、メキシコ、スペイン、ポルトガル、ギリシャ、ユーゴスラビア。八十年代に入るとこのうち南欧や南米が落ちて、アジアNIESが急成長を遂げていく。以上の八十年代動向は同時に、アジア唯一の先進国・日本が、「アメリカ」をも買いあさった「ジャパン・アズ・ナンバーワン」の時代とも重なっている。

 九十年前後に起こった社会主義国崩壊から以降、民間資金が各国に流入して、様々な猛威をふるい始める。それにともなって各国に通貨危機が連続して発生していくことになる。九四年メキシコ、九七年東アジア、九八年ロシア、九九年ブラジル、〇一年にはトルコとアルゼンチンなどだ。いずれの国も、短期資金の突然の流出で資本収支の赤字から困窮しつくすという特徴を示した。ちなみに九八年世界決済銀行の四三カ国調査にこんな数字があった。市場為替取引高は一日平均一・五兆ドルで、年間五百兆ドルと。九五~六年の世界貿易高が五兆ドルであったのを考えると、もの凄い数字ではないか。「カネがモノから離れた」マネーゲームに対して識者たちから警鐘乱打が発されることになる。もちろん、こういうゲームの主人公たち自身からも破綻者が現れた。九八年にロシア通貨危機でロングタームキャピタルマネージメント、〇二年にエンロンの倒産である。いずれもデリバティブ、金融派生商品の失敗によるものだった。
 そして〇六年十二月に兆し始めたサブプライム住宅ローン・バブルの破裂。百年に一度の世界経済危機と言われたものである。

 さて、初めに提起した世界の失業・不安定雇用問題に、この簡単な世界経済史のどこが、どう繋がったか。一言で言えば、先進国のマネーゲームが世界の現物経済を支配し、人件費比率大幅カットによって、これが始まった。さらには世界の余剰資金をかき集めるべくバブルを世界に形成しては破裂させたことによって。現物経済と言っても株式だけではなく、土地、金融派生商品、さらには国債売買や為替から起こる通貨戦争までを含んだものである。この戦争の結末をば、ある学者は国際通貨基金〇八年の調査結果を使ってこう描いている。
『一九七〇年から二〇〇七年までの三八年間に、二〇八カ国で通貨危機が、一二四カ国で銀行危機が、六三カ国で国家債務危機が発生しています。金融危機は、先進国、新興工業国、開発途上国を問わず、アジア、ヨーロッパ、南北アメリカ、アフリカを問わず起こっていたのです。これに対し、第二次大戦後一九七〇年以前の時期には、国際金融危機や大規模な一国金融危機はほとんど発生していません』(岩波ブックレット一二年刊 伊藤正直・東京大学大学院経済学研究科教授「金融危機は再びやってくる」)

 こうして、日米など人件費が高い先進国は、貿易収支の赤字をばマネーゲームで穴埋めする状況さえ現れた。その陰には、民生に使う社会資本さえ奪われた国々。これでは、世界経済の良い需給循環など起こりようがない。よって、日米の公的累積債務もそれぞれ一千数百兆円、八千兆円。この世界、一体どうなっていくのか。
 ケインズが生きていたら驚嘆して、こう叫ぶだろう。
 「こんな豊かな世界に失業者、不安定雇用者がこんなに居るとは! 私には予想も出来なかった未来である」
 新自由主義経済学では、ケインズを社会主義的と言う向きもあるが、どちらが狂っているのだか。

 

(2016年1月発行の同人誌に初出論文)

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誤った「戦争信仰」  文科系

2020年09月13日 04時39分08秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 
 あるブログの共同運営を大学時代からの友人に頼まれてかっきり十五年やってきたが、そこでいろんなネット右翼諸氏とやりあってきた。ブログ名称に「憲法九条」が入っているゆえなのだろうが、こういう方々の訪問が絶えなかったからだ。たとえば、
『平和を願い、母国を愛する一未成年から反論させていただきたい。…………以上、反論があれば随時丁重にお返しさせていただく故、フェアに品のある議論を望む』
 これは「平成の侍」と名乗られたお方がこの八月十九日に僕の文章に寄せてきた長文コメントの前後だが、たった一回僕が出した回答に対して、もうお返事が何もなかった。僕の文章内容が彼が考えたこともないようなものだったから再回答のしようがなかったのであろうが、はてこれは「フェアに品のある議論」であったのかどうか、難しいところだ。


 こんなふうに知識も思考力も様々な方々を相手にしたこの十年、実に多領域の勉強をさせられたし、いろいろ考えさせられつつ今日まで来た。慰安婦問題は明治維新以降百年の日朝関係史学習にまで拡がっていったし、南京虐殺や「連合国史観」は「アジア・太平洋戦争史」の復習に繋がった。こちらが学んでいくごとに「これだけ稚拙な知識しかない相手が、どうしてこれだけ自信ありげに頑張れるのだろうか」と気付き始めた。その度に訝り、考え込んで来たのがこのこと。これだけ確信ありげに語るのは、世界も狭いからというだけではなく、自分を納得させ、確信させる信念を何か持っているからだろうが、それって何なんだろうかと。これらすべてにおいて、同じ人間という生き物に、どうしてこれだけ見解の相違が生じるのだろうかと、そんな哲学的問題意識をも温めつつ、相手の言い分を観察してきた。
 そこで最近になってようやく気付いたのが、これだ。

 米国は実体経済がIT産業ぐらいしかない。サービス業ばかりで、相対的貧困者と格差が大問題になっている先進国である。サブプライムバブルや九年にも及ぶ紙幣大増刷・官製バブルなどなどマネーゲームで儲けて、日本やBRICS諸国相手の現物貿易収支大赤字をその分カバーしている。がこの国、戦争が流行ればその苦手な現物経済もなかなかの物なのである。兵器産業でいえば世界ダントツの実力があるからだ。貧乏な国、地域には、本来廃棄すべき多量の中古品などの廃棄料が収入に転化する。日本や石油成金国などには第一級の高価な最新兵器などなど。世界のどこかで戦乱が起こるほどにこの商売はいつも大繁盛だ。
 ところで、戦争は無くならないと語る人は当然、こう語る。「国が滅びないように、国土防衛が国として最大の仕事」。こういう人々が世界に増えるほど、貿易大赤字国の米国は助かる。いや、助かるという地点を越えて、今の米国は「テロとの戦い」とか、以前なら「共産主義との戦い」などなどを世界戦略としているからこそ、地球の裏側まで出かけていったりして、あちこちで戦争を起こしているのである。まるで、人間永遠に闘う存在だという世界観を広める如くに。失礼を承知で言うが、「人間必ず死ぬ。貴方も間もなく死ぬ」と大いに叫べば、葬式屋さんが儲かるようなものではないか。

 さて、戦争違法化が、二十世紀になって世界史上初めてその国際組織と法が生まれたりして着手されたが、地上から戦争はなくせるのだろうか。この問題で極めて簡単な正しい理屈が一つある。戦争はずっとなくならないと語る人は「その方向」で動いていると言えるのだし、なくせると思う人はそういう方向に「参加していく」のである。つまり、戦争が未来になくなるか否かという問題とは、人間にとって何か宿命的に決まっているようなものではなく、今及び将来の人間たちがこれをどうしようと考え、振る舞うだろうかという実践的な問題なのである。世界の政治課題というものは、人間が決めるものだと言い換えても良いだろう。ところが、人間が決めるものだというこの真理を意識せずして否定する以下のような「理論」に最も多く出会えたのだと理解してから、僕の頭はすっきりした。

 社会ダーウィニズムという今は誤りだとされた社会理論があるその現代版亜流の世界観が存在するようだ。「動物は争うもの、人間もその国家も同じだろう。そうやって、生物は己自身を進化させてきたのであるから」。この理論で言えば夫婦ゲンカも国同士の戦争も同じ(本質の)ものになる。そして、夫婦ゲンカは永遠になくならないから、戦争もそうだろうと、大威張りで確信できるわけだ。
『動物の争いは永遠になくならないのだから、人間も永遠に争うものである』
『人間は争うものだから、国家の戦争も無くならない』
 これが、ネット右翼諸氏の世界と政治を観る無意識の出発点なのである。最近、そう気付いた。対案はこれしかない。「二十世紀には人類史上初めて戦争違法化に向けた国際法、国際組織も生まれたではないか」などの歴史的事実と戦争はなくせるという世界観とを広めていくこと。その実を例え少しずつでも、粘り強く作り広げていくこと。


 以上ありふれて見えるようなことを書いたが、正面からは案外批判されてこなかった誤った戦争に関わる信念が巷に溢れていると言いたい。この日本には特に広く。集団主義ムラ社会の中で激しい競争を演じてきた団塊世代以降では、自然に持つ世界観なのかも知れない。
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サッカー〝やべっち〟がなくなる?  文科系

2020年09月12日 19時44分51秒 | スポーツ

 標記のことが、サッカー雀の大きすぎる話題になっている。この舞台裏を推察するに、何か大きな力がかかったと確信する。日本の地上波テレビ界に長く君臨した唯一・無二のサッカー番組、しかもあの時間帯であれだけの視聴率を取る人気番組がなぜ、という不思議さという理由からである。
 
 Jリーグ・サッカー放映を巡るここ5年ほどの日本のテレビ業界には、ある巨大な争いが存在してきた。Jリーグは、17年シーズン以降の独占放映権(無料テレビ放送を除く)をインターネットスポーツ中継サービス「ダ・ゾーン」を展開するイギリスのスポーツコンテンツ企業、パフォーム・グループと契約した。人々の耳目を集めたのが、その「破格」の契約額だった。最終的にパフォームがJリーグ側と結んだ契約額は10年分で約2100億円。それまで独占放映権を持っていたスカパーが支払ってきた金額は1年あたり約50億と言われ、単純計算で実に4倍強にもなる。

 さて、以来日本のテレビ業界はダ・ゾーンに対してJリーグ戦を買わないという合同カルテルによるストライキ締め出しのような措置を執ってきたのではなかったか。かくして、Jリーグ戦の通常テレビ中継はNHK・BSでたまに観られるだけとなってしまった。それでもこの4年、ダ・ゾーンが音を上げないとならば、日本のテレビ業界によるカルテル行為をもっと強めると、そんな措置の嫌がらせがとうとう「やべっち」にもかかっていったのではないかと推察するのである。
 ちなみに、今の日本ではサッカーよりも野球の方がテレビ放映も含めてずっと人気があるように見えるが、サッカーと野球との世界的人気格差から言って日本でもこれが近い将来逆転するのは必然である。世界で200か国以上に代表が出来るサッカーと30か国もない野球とでは、このグローバル時代の将来性が全く比較にならないのである。例えば、サッカーだけの世界大会ワールドカップが、オリンピックに匹敵するという人気競技なのだ。その有望な国内コンテンツを外国資本に取られてしまった。それも2026年まで! サッカー人気を押し殺すとかの色んな嫌がらせなど、どんな手段を使ってでもこれを取り返したいと、Jリーグに対して「こっちに寄ってこなければ、さしあたって2026年まで何でもやるぞ」と、そんな措置なのではなかったか。

 日本のテレビ業界のサッカー締め出しは、2026年まで続くのだろうが、はて、この戦い、ダ・ゾーンやJリーグを相手にして、日本のテレビ業界が勝利することがありうるのだろうか。

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現代世界最大の一侍の命運が、近く決まる  文科系

2020年09月10日 20時25分10秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 「マスコミに載らない海外記事」のサイトに、ウィキリークス創始者・ジュリアン・アサンジの近況が載っている。イギリスにおける、アサンジをアメリカに引き渡すかどうかをきめる裁判が大詰めを迎えているのである。アメリカのネット元締めに対する米政府の世界的盗聴強要を暴いて人生を終えたに等しい目に遭わされているエドワード・スノーデン(彼の記事はこのブログに多いです)と同じく、現代アメリカ最大の悪の恥部を暴いた男。それゆえに、国際指名重大犯人としてウォンテッドになった正義の勇者。もしアメリカ合衆国がその暴虐と経済破綻の故に大国から滑り落ちていく道をたどるならば、その最大功労者として歴史に名を残すこと間違いない人物である。現代のナイト、侍というべきご両人として。彼らを追いかけ、見てくると、この惨めな金融・マスコミ・曲学阿世らの暴力やりたい放題という世界でも、人間捨てたもんじゃないという勇気がもらえるのである。

【 ジュリアン・アサンジのスターリン裁判。貴方はどちらの側? 2020年9月7日 ジョン・ピルジャー johnpilger.com

 10年以上前、私が最初にジュリアン・アサンジに会った時、私は彼に、なぜウィキリークスを始めたのか尋ねた。彼は答えた。「透明性と説明責任は、国民一般の生活とジャーナリズムの本質であるべき道義的問題です。」 私は発行人や編集者が、このような形で倫理観を引き合いにだすのを一度も聞いたことがなかった。アサンジは、ジャーナリストは、権力ではなく、人々の代理人だと信じている。我々は、我々の名において行動していると主張する連中の最も暗い秘密について知る権利があるのだ。もし権力者たちが我々にウソをつくなら、我々は知る権利を持っているのだ。彼らが内輪では、あることを言い、人前では反対のことを言うなら、我々には知る権利がある。ブッシュとブレアがイラクを巡ってしたように、彼らが我々に対して共謀し、それから民主主義者であるふりをするとき、我々は知る権利があるのだ。この倫理観が、世界の多くを戦争に陥れたいと願い、ジュリアンを生きたまま、トランプのファシスト・アメリカに埋葬したいと願う権力者の共謀を大いに脅かすのだ。

 2008年、極秘のアメリカ国務省レポートが、アメリカが、この新しい道義的脅迫といかに戦うか詳細に記述していた。ジュリアン・アサンジに対して密かにしかけられた個人中傷工作で「暴露[と]刑事訴追」を起こすのだ。狙いはウィキリークスと創設者を黙らせ、犯罪化することだった。次々と、たった一人の人間と、まさに言論の自由と思想の自由と民主主義の原則に戦争がしかけられた。帝国の突撃隊は、自身をジャーナリストと呼ぶ連中だ。いわゆる主流メディアの強打者、特に、反体制派の周辺をマークして、パトロールする「リベラル派」だ。そしてまさにそれが起きたのだ。私は50年以上記者だったが、このような中傷工作を私は全く知らない。クラブに加入するのを拒否した男に対する、でっちあげの人身攻撃。ジャーナリズムは、決して権力者ではなく、大衆に対するサービスだと信じた男。

 アサンジは彼を迫害する連中に恥をかかせた。彼は次々とスクープを報じた。彼はメディアや、アメリカの戦争殺人癖に促進された戦争、独裁者たちの腐敗、グアンタナモの悪の詐欺をあばいたのだ。彼は欧米の我々に鏡を見るよう強いたのだ。彼はメディアで公式の真実を語る連中が協力者であることを暴露した。私がビシー・ジャーナリストと呼ぶ連中だ。彼の生活が危険にさらされていると警告した際、これら詐称者の誰もアサンジを信じなかった。スウェーデンでの「セックス・スキャンダル」は、ワナで、アメリカの地獄のような場所が最終目的地だった。彼は正しく、繰り返し、正しかった。

 今週ロンドンでの犯人引き渡し審理は、ジュリアン・アサンジを葬る英米キャンペーンの最終行為だ。それは適法手続きではない。それは当然の復讐だ。アメリカの起訴は明らかに不正操作されており、明らかな見せ掛けだ。これまでのところ、審理は、冷戦時代のスターリン主義者の裁判を思い出させる。我々にマグナ・カルタを与えてくれた国イギリスは、今日、自身の主権を放棄し、悪意ある外国の影響力が司法を操ることや、ジュリアンに対する邪悪な心理上の拷問を可能にしたことで際立っている - それがその犠牲者をブレークすることに最も効果があったから、ナチに洗練された国連専門家が、外に、向けた、ニルスMelzerとしての、ある形式の苦悩。

 私がBelmarsh刑務所にアサンジを訪問した時は、いつも、この拷問の効果を見た。私が最後に彼に会った時、彼は10キロ以上体重が減っていた。彼の腕には筋肉がなかった。信じられないことに、彼のひねくれたユーモアのセンスは損なわれていなかった。

 アサンジの祖国オーストラリアは、国民的英雄として称賛されるべき自国民に対し、政府は密かに共謀し、縮み上がった臆病しか示さない。ジョージ・W・ブッシュは、オーストラリア首相を彼の「副保安官」に無駄に選んだわけではないのだ。今後三週間、ジュリアン・アサンジに何が起ころうとも、欧米の報道の自由を何ら減少させず、破壊もしないと言われている。だが、どの報道機関だろう? ガーディアン? BBC、ニューヨーク・タイムズ、ジェフ・ベゾスのワシントン・ポスト? いや、これら組織のジャーナリストは自由に呼吸できる。ジュリアンをもてあそび、彼の画期的な仕事を利用し、財を成し、それから彼を裏切ったガーディアンのユダどもには、何も恐れるべきものはない。彼らは必要とされているので、安全なのだ。

 報道の自由は、今や高潔な、ごくわずかな人々にしか残っていない。例外だ、どのクラブにも所属せず、金持ちでも、ピューリッツァー賞を獲得してもいないが、素晴らしい、従順でない、道義的なジャーナリズムを進めるインターネット上の反体制派分子、ジュリアン・アサンジのような人々だ。当面、まだ自由が可能だと信じている我々全員を彼の勇気で鼓舞してくれる正真正銘のジャーナリストを支持するのが我々の責任だ。私は彼に敬礼する。

 @johnpilgerのtwitterで、ジョン・ピルジャーをフォローする。

記事原文のurl:http://johnpilger.com/articles/the-stalinist-trial-of-julian-assange-whose-side-are-you-on- 】

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喜寿ランナーの手記(309) ブランクからの回復法  文科系

2020年09月10日 17時20分59秒 | スポーツ

 年寄りランナーには、故障や病欠など長期ブランクが付きもの。7月から8月にかけて1か月休んだ空白が、1か月半近くかかってやっと回復できたんじゃないかというところまで来た。かってなく回復が遅れたから、「そもそも、この年で、戻るのか?」と大変不安だったのだけれど。本日30分制限があるジムのマシンで4・2キロと4・5キロまで行った。そして、まだ余力もあったので2・3キロ走って、合計11キロにして帰ってきた。また、前回8日の4・1プラス4・4(プラス1・5キロ)の合計10キロから中1日でこれだけ出来たので、体力、スタミナも完全に戻ってきたということだろう。まだ、後半の30分を5キロ近く走れないと完全回復とは言えないだろうが、中1日で走って好調維持となれば、それも見えてきたのではないか。走れる回数が増えれば、自ずから走力は付くのだから。

 今後のために、ブランク時の回復の仕方で自分への注意点を書いておく。
①故障明けはとにかくゆっくり進む。ゆっくりの目安は、スピードをゆっくりは当然だが、それ以上に大切なのが、心拍数。前と同じ速度でも故障明けは心拍数が非常に高くなっているから年寄りは特に故障を起こしやすいのである。例えば、前の最高持続スピードよりも1キロ時ほど遅い速度の心拍数が以前と同じ程度にならなければ、それ以上はスピードを上げない方が良い。故障をしないためにも、ブランク明けは平時よりもさらにLSDが基本。長時間(long)、ゆっくりと(slow)、距離(distance)を走り、筋肉よりも心肺機能の回復を待つというやりかただ。
②身体が硬くなっているから、走る前後のストレッチが特に必要。そうでないと、筋肉も回復していかない。また、自分が今できる最高スピード近くで走ったら、最後にそれよりも3割以上スピードを落として整理体操ランを1キロほどはしておくと良い。翌日の疲れが全く違い、回復がとても早くなるからすぐにまた走れる。年寄りには特に、そしてブランク明けはさらに、このクールダウンが必要。凄く疲労回復効果が高くなるということだ。
③年寄りのブランク明けで痛めやすいのは、細い筋肉など。アキレス腱など足首関連とか、足底筋膜とか。これがちょっとでも痛くなったら、すぐ速度を落としたり、走るのを止める。それでも痛みが残るようなら、冷やしてその部分をストレッチ。ちなみに、ランナーの故障に関してはこの本を僕は活用してきた。「ランニング・トラブル解決ブック」(枻(えい)出版社 14年3月発行1200円)。筋肉や骨の図がたくさん入っていたりして非常に分かりやすく、かつ、箇条書きなどで説明しているのでとても活用しやすい本である。

 中1日で十分過ぎるほど走れるようになったし、色んな回復・復活方法も身につけてきたみたいだし、当面6月18日の30分4・6キロはすぐ超えられるとして、1月19日の4・9キロまで、この秋には届くだろうか? なお、近年は16年を最高として、病気ブランク続きで記録が落ちたままだが、16年のこんな記録に戻すことはさすがもうできないだろうな。16年1月11日の後半30分は、5・3キロだったのである。それ以降の病気ブランクとは、今年は白内障手術、昨19年夏には癌の疑いで胃腺腫粘膜下層剥離術という検査手術、16年から17年にかけては前立腺癌陽子線治療などなど・・・。でも、中一日置きで走れるようになったのなら、一度これを挑戦してみるのも一興! この年でもこんな挑戦が出来るというなら、それはそれで幸せなことだから。

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喜寿ランナーの手記(308) 9キロ時で走れる  文科系

2020年09月09日 01時02分08秒 | スポーツ

 5日に、その前回の2日と同じ走りをやって、ジム・マシン30分が4キロと4・3キロだったが、予定よりもかなり前進できなかった感じ。そして8日、不安なままに走り出したが、4・1と4・4で、この後半の特にあとの方はほとんど9キロ時以上で走ることができた。これは本当にホッとしたもの。疲れも少なかったから、プラス1・5キロ走って、ちょうど合計10キロにして帰ってきた。
 1回30分と制限があるマシンで、前半はいつもウオームアップ歩行などを含む距離だから後半が普通の走りなのであって、これで9キロ時が見えたのは、「両目の白内障手術1か月ブランクから、やっとここまで回復!」という実感。故障とか病気とか、ブランクは僕みたいな年寄りには付きものだが、ここまで苦労している回復は初めてだ。1ヶ月半頑張ってもまだ完全回復とは言えない「前進途上」なのだから。加えて本日は、汗の量も少なく、ここ数日と違って、袖の先がかなり濡れていなかったからプラス1・5キロも出来たのであって、まだもうちょっと延ばせそうだな、どうしたら?などと考え込みながら帰ってきた。心拍数は、9キロ時で普通は150強と前に戻ってきたけど、1時間近く走ると155を超える時もあるから、まだまだスタミナ不足なのだろう。

 7月初めの手術前には、後半30分で言えばこんな距離がある。暑くなった6月18日で、4・6キロ。シーズンの1月19日には、4・9キロ。その直前の17日には、外走り5キロを、キロ6分26秒で走っている。何とかして、秋の末にはそこまで戻したいが、そんな望みがちょっとは見えてきたかなというところ。

 なお、今日というよりも、最近注意している点はこんなところだ。弱点の左脚について、できるだけ強く地面をつついてその左腰骨を前に出すように。そして、左右いずれを蹴った後も、まっすぐにしてほんのちょっと前傾させた上半身を、臍から前に持っていくように。なお、ピッチ数は色々使い分けたりはするが、普通は160前後である。
 ちょっとはスタミナも戻ってきたようだから、中1日で走る日を設けても良いかもしれない。6日に久しぶりのサイクル・ファーストランを15キロほど飛ばしてきたが、これも良かったのかも知れない。僕の場合、自転車をやった後は必ず走りが良くなるという経験則があるからだ。

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随筆 「人・政治の悪循環の果て」

2020年09月08日 12時50分01秒 | 文芸作品

 ある日のテレビニュースを見ていたら、米大統領がこんな不平不満を力説していた。
「何億ドル、何十億ドルと(米国から)受け取る国々が私たちに反対する。彼らの投票を注視している。反対すればいい。大きな節約になる」
 アメリカが、エルサレムをイスラエルの首都と「認定」したことを巡る国連論争の話だ。国連総会採決の後では、米国国連大使のこんな言動も報道された。
「国連や国連機関への拠出金を最も負担しているにもかかわらず『米国だけが軽蔑を受けている』と不快感を強調した」
 
 イスラムの聖地があるエルサレムの東半分は今なおパレスチナ自治政府のもののはずだが、イスラエルが軍事力で占領したままの状態で国連が凍結していたもの。そこへトランプ政権突如の「首都と認定」だから、イスラム世界という蜂の巣をアメリカが激しくつつき直した形になった。
 イスラム世界が協力して国連に提出した「認定反対決議案」が、まず、決定には強制力が伴う国連安全保障理事会でアメリカの拒否権が出て、否決。そこでイスラム諸国は、世界政治対立の道義、常識を判定する国連総会の採決にこれを持ちこんだ。こちらは、賛成一二八、反対九、棄権三五国、他に二一か国が採決に参加しないという結果。冒頭の米発言二つは、この採決に対するアメリカの事前事後二つの対応なのである。
 それにしても、普通の日本人ならこんな発言はできない。「認定反対国には米支援を止めるぞ」とか「国連拠出金が最も多い『米国だけが軽蔑を受けている』のは、おかしい」とか。むしろ、過去の国連調停を踏みにじって、どういう権利によってかは知らぬが米単独で首都認定を出した上にこんな発言をするからこそ、この国が余計に軽蔑されるのではないのか。そもそも国連決定を無視するということ自体が加盟国を侮辱する行為であると、そのことがわからないふりをしたアメリカのこんな言動こそ、「金で人のほほをひっぱたく」ものとして軽蔑されたのではなかったか。

 さて、こんな内容を僕のブログに書いた日に、常連のネット右翼さん方から、こんな反応があった。
「アメリカが自分の好きにするだけじゃない? 他国も、国連も、無力です」
「米国の軍事力、ロシアの軍事力、中国の軍事力、イスラエルの軍事力、すべて、同じように軍事力をちらつかせて外交を展開しています。結局力が物を言う現実はそうそう変わらないということが証明され続けていますね」
 こういう弱肉強食世界はそうそう変わらないと言いつつ、これを肯定しているのである。金で人のほほをひっぱたく政治とか、軍事力で恫喝する外交とかを、ネットという公論の場において人類の普通のことと主張しているのだから。これと同様に、米政府から冒頭の外交発言が普通に出てくるという事態も、アメリカという国の日常がもう普通にこうなっているから起こった事なのだろう。こういう人々こそ、人類には公論、公正などは存在せず、戦争こそ自然という法則を自ら作っているのである。政治頽廃と人間自身の頽廃との悪循環。全体主義国家が滅びて民主主義国家が中心に座りなおした終戦直後は、この良循環があったような気がするが、世界はいつの間にこんな悪循環に陥ってしまったのか。

 

(2018年7月 同人誌初出)

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掌編小説 血筋が途絶える日韓社会

2020年09月08日 12時21分26秒 | 文芸作品

 照明が効き過ぎというほどに明るく、客も賑やかなワインとイタリアンのその店でこの言葉を聞いた時は、本当に驚いた。「我が国の合計特殊出生率は一・一七なんですよ」。思わず聞き返した。「一体いつの話なの?」。「確か二年前の数字だったかと……」。
 このお相手は、長年付き合ってきた友人、韓国の方である。最初に訪れた時の東部などは、僕が馴染んだ里山そのままと感じたし、食べ物は美味いしなど、すっかり好きになったこの国。何せ僕は、ニンニクや海産物は好きだし、キムチは世界に誇れる食べ物と食べるたびに吹聴してきたような人間だ。そしてこのお相手は、三度目の韓国旅行が定年直後で、連れ合いの英語教師出張に付いてソウルのアパートに三か月ばかり滞在した時に意気投合しあって以来、何回か行き来してきた仲のお方である。知り合った当時は二十代前半で独身だった彼は、十数年経った最近やっと結婚したばかり。子どもはという話の中から出てきた言葉である。ちなみに、合計特殊出生率というのは、女性一人が一生で出産する子どもの平均数とされている。既婚未婚を問わず一定年齢間の女性全てを分母としたその子どもの平均数という定義なのだろう。

「一・一七って、子どもがいない女性が無数ってことだろ? 結婚もできないとか? なぜそんなに酷いの?」、韓国式に、いつの間にか年上風を吹かせている僕だ。対する彼の、年を踏まえた丁寧な物言いを普通の日本語に直して書くと、「そうなんですよ。我が国では大論議になってます。日本以上に家族を大事にする国ですし。原因は、就職難と給料の安さでしょうか? 急上昇した親世代が僕らに与えてくれた生活水準を男の給料だけで支えられる人はもう滅多にいなくなりましたから。二一世紀に入ってから、どんどんそうなってきたと言われています」。「うーん、それにしても……」、僕があれこれ考え巡らしているのでしばらく間を置いてからやがて、彼が訊ねる。「結婚できないとか、子どもが作れないとか、韓国では大問題になってます。だけど、日本だって結構酷いでしょ? 一時は一・二六になったとか? 今世界でも平均二・四四と言いますから、昔の家族と比べたら世界的に子どもが減っていて、中でも日韓は大して変わりない。改めて僕らのように周りをよーく見て下さいよ。『孫がいない家ばかり』のはずです」。
 日本の数字まで知っているのは日頃の彼の周囲でこの話題がいかに多いかを示しているようで、恥ずかしくなった。〈すぐに調べてみなくては……〉と思ってすぐに、あることに気付いた。連れ合いと僕との兄弟の比較、その子どもつまり甥姪の子ども数比較をしてみて驚いてしまった。考えてみなかったことも含めて、びっくりしたのである。

 連れ合いの兄弟は女三人男二人で、僕の方は男三人女一人。この双方の子ども数(つまり僕らから見て甥姪、我が子も含めた総数)は、連れ合い側七人、僕の方十人。このうち既婚者は、前者では我々の子二人だけ、後者は十人全員と、大きな差がある。孫の数はさらに大差が付いて、連れ合い側では我々夫婦の孫二人、僕の側はやっと数えられた数が一八人。ちなみに、連れあいが育った家庭は、この年代では普通の子だくさんなのに、長女である彼女が思春期に入った頃に離婚した母子家庭なのである。「格差社会の貧富の世襲」などとよく語られるが、こんな身近にこんな例があったとは言えないだろうか。
 ちなみに、その後しばらくして、こんなニュースが入ってきた。連れ合いの弟の子ども、甥の一人が最近結婚されたと。42歳のその子が、60歳で3人お子さんがいらっしゃる女性と「家庭を持たれた」ということだった。これはこれで僕には嬉しいニュースだったのだから、今後こういう結婚もふえていくのだろうと考え込んでいたもの。ただ、この結婚に向けては、二人の間の子どもさんは期待されてはいまいから、連れ合いの弟さんに男系の孫が出来るという昔流の望みは絶たれたわけである。もっともその弟さん夫婦は「男系の孫」に拘る方々ではないが、孫はほしいとは言っていた。

 それからしばらくこの関係の数字を色々気に留めていて、新聞で見付けた文章が、これ。「とくに注目されるのは、低所得で雇用も不安定ながら、社会を底辺で支える若年非大卒男性、同じく低所得ながら高い出生力で社会の存続を支える若年非大卒女性である。勝ち組の壮年大卒層からきちんと所得税を徴収し、彼ら・彼女らをサポートすべきだという提言には説得力がある。属性によって人生が決まる社会は、好ましい社会ではないからである」。中日新聞五月二〇日朝刊、読書欄の書評文で、評者は橋本健二・早稲田大学教授。光文社新書の「日本の分断 切り離される非大卒若者たち」を評した文の一部である。

 それにしても、この逞しい「若年非大卒女性」の子どもさんらが、我が連れ合いの兄弟姉妹のようになっていかないという保証が今の日本のどこに存在するというのか。僕が結婚前の連れ合いと六年付き合った頃を、思い出していた。彼女のお母さんは、昼も夜も髪振り乱して働いていた。そうやって一馬力で育てた五人の子から生まれた孫はともかく、曾孫はたった二人! その孫たちももう全員四〇代を過ぎている。一般に「母子家庭が最貧困家庭である」とか、「貧富の世襲は当たり前になった」とかもよく語られている。今の日本においては、どんどん増えている貧しい家はこれまたどんどん子孫が少なくなって、家系さえ途絶えていく方向なのではないか。

 こんな豊かな現代世界がこんな原始的な現象を呈している。それも、世界的な格差という人為・社会的な原因が生み出したもの。地球を我が物顔に支配してきた人類だが、そのなかに絶滅危惧種も生まれつつある時代と、そんなことも言えるのではないか。

 

(2018年5月 同人誌に初出)

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サッカー記事の出し方、および柴崎岳、中島翔哉  文科系

2020年09月07日 16時32分58秒 | スポーツ

  まず、このブログで標記のこと、そのやり方を説明したいと思います。
 ブログ右上欄外に「検索」の空欄がありますから、ここに例えば長谷部誠と名前を入れます。そして、そのすぐ右の長四角欄をクリックして「このブログ内で」に換え、その上で右の虫眼鏡印をクリック。すると、エントリー画面すべてが、当ブログ内にある「長谷部誠」関連記事に変わりますので、お好きな物をお読み願えます。これは「岡崎慎司」や他の誰でも同じこと。

 話は変わりますが、柴崎岳、中島翔哉が可哀想でなりません。素晴らしい戦術眼、視野、それに相応しい技術を持ちながら、それを発揮する場所が得られぬままの、飼い殺し。リーマンショックで国全体が凄まじく貧困化した上に、最上位3チーム以外は貧乏すぎるスペインへ行ったせいだと思います。高く転売するためにだけ、移籍させたに違いありません。そもそも、民主主義感覚が遅れていてナショナリズム文化が強い国では、トップ下などは特に自国の選手を使いたがるもの。よほど抜きん出ていないと日本選手は使われないということでしょう。超有望若手だった本田圭佑のロシア飼い殺しなど過去にも移籍失敗は無数にありますが、日本選手もそろそろ行く先は厳選しないと、短い大事な全盛期を棒に振り、急速に消えていくことになってしまう。柴崎も中島も、今や実質世界20位台をかなり割るかという代表で(ロシア大会のベルギー戦を思い出して下さい)、二人の絶対的エース格なのに、選手全盛期は残り数年。本当に可哀想です。

 中村憲剛、遠藤保仁は日本だけで育ちました。今はさらに日本にいても世界水準戦術、視野なども含めて十分に世界水準に育つ環境があります。そのことは、横浜や川崎を見れば明らかなとおりです。闇雲に外国へ行く時代ではなくなったのだと思います。

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喜寿ランナーの手記(307) やはり今は、僕の難所なのだ  文科系

2020年09月06日 20時10分54秒 | スポーツ

 5日、ジムに行って、ほぼ前回書いた2日と同じ走りを予定通りにやってきた。30分2回が4キロと4・3キロだったのだが、予定よりも前進できなかった感じ。ジムマシンの30分継続速度は、やっと8・7キロというところとも、改めて認識した。後半がほぼこのスピードだったからである。それでもまだまだ、凄まじい汗をかく。Tシャツの脇の下の裾の辺り以外は全部びっしょり。1年前ほどと比べると、時速にして最低0・5キロは確実に低下している。それも、心肺機能の低下のようだから、ちょっと深刻な気分なのである。
 その鬱憤を晴らすように、今日6日夕方、サイクル・ファーストラン15キロほどをやってきた。久しぶりのファーストランだが、やはり身体が弱くなったなーと感じたもの。

 さて、今日はジムで気づいたことを一言。コロナで運動不足のせいか、ウエートトレーニング・コーナーに新しい若者がかなり現れてきた。そのうちのランナーでもあるかという1人と昨日話していて、言ってあげたところだ。走ってるの?と聞いた上で、こんなことを。

 走っているなら良いけど、ウエートだけだとデブになるだけだよ。どれだけやっても。30分以上は走れないと、脂肪が全く落とせない身体になっていくのね。すると、いくらウエートやっても脂肪が落とせないわけだから、厚い筋肉の上に脂肪が付いてただのデブだ。これで40歳以上になっていくと、もっともっと太っていくよ。そして、必ずこういう話を付け加える。
『ボディビルダー・コンクールにでるような人は、必ず走れる人だって知ってる? コンクール前に脂肪を落とさないと、筋肉が鋭角的に浮き出ないからなんだよね。脂肪を落とすには、何よりも走れること』
 ジムで走れなさそうな若いウエート派は、僕から観ればほとんどデブである。普通のこんな若い人は腕は太くても、僕に腕相撲を負けると思う。体重57キロの僕だけど、座位の重量プルを75キロで10回ほど引けるからである。80キロの体重でも体脂肪30%なら僕と同じ体重に過ぎぬというそんな程度のほとんどの人にまず勝ったという体験は、今日まで随分重ねてきたものだ。ちなみに、ベンチプレス70キロを10回あげられる人でも、走れない人は年を取るに従って腹が出て来るのが普通である。

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僕のサッカー好き原点・「中田英寿のメモリー」   文科系

2020年09月06日 14時52分25秒 | スポーツ

 これは、06年ワールドカップ直後にある所に書いたものだが、再掲させていただく。日本サッカーは、彼にどれだけ感謝してもしたりないはずだと、そういう思いで書いた物だ。サッカーが盛り上がって欲しい時になると、いつも思い出すべき事と、自分に言い聞かせている内容である。
 
【 最後に、〇六WCドイツ大会終了を待って、二九歳でサッカー界からの引退表明をした中田英寿のメモリーを記しておく。彼が日本サッカーにどれだけの革命をなしたかという諸事実の記録である。

 この20歳のジャパン登場がどれだけ衝撃的だったか
 九七年、フランスワールドカップ・アジア予選途中で絶望的な苦戦続きから加茂・代表監督解任という結末、窮地が訪れていた。前回の「ドーハの悲劇」を経て、「今回こそは、WC日本初出場!」という国民の期待が崩れかけていた瞬間である。この瞬間に、突如出現した新米の二十歳。チーム危機の中、実力でレギュラーをもぎ取り、あまたの先輩たちが即座に「チームの司令塔」と自然に認めて、その後数ゲームで日本初出場という結果を出して見せた「日本の救世主」。日本中を大フィーバーさせたのも当然のことだろう。この二十歳の出現がなければ、フランスでワールドカップ日本初出場という歴史自身がなかったはずなのだから。クライマックスとして上げられるのが「ジョホールバルの奇跡」、対イラン第三代表決定戦。得点したのは中山、城、岡野。この三得点それぞれへの最終パス(アシスト)は全て中田が出したものだった。
 さて、この彼、その後も日韓、ドイツと三回のワールドカップを引っ張り続け、さらに希有のアスリートであることを証明し続けて見せた。これが、中田の二十歳から二九歳までの出来事なのである。そもそも「三大会連続出場」は他に川口、小野だけだし、「三大会レギュラー出場」ともなればもちろん、中田以外にはいない。こうして、日本サッカー界の常識を覆した革命児と表現しても、サッカー界の誰一人反対はできないという選手なのである。
 これは今回に付ける注だが、その後三大会連続名選手がもう1人生まれた。長谷部誠である。彼はしかも、三大会連続キャプテンだ。長谷部については、このブログで、岡崎慎司に次いで多くのエントリーを書いているのでお読み願えれば嬉しい。その長谷部が、常にこう語っている。「ヒデさん、日本サッカー界に必ず戻ってきて下さい!」。と、ヒデはそんな長谷部の憧れの選手でもあったのである。

 サッカー選手として、どんな特長をもっていたか
 二十歳の彼のパスは、「『追いつけ!』という不親切この上ないもの」と日本の評論家たちから総スカンを食った。が数年後にはもう、彼のパススピードでしか世界には通用しないとは、周知の事実となった。
 「フィールドを鳥瞰していることを示すようなあの広い視野はどうやって身につけたものなのか?」。こちらは、反対者のいない関係者全員が初めから一致した驚きの声だった。どんなプレー中でも背筋を伸ばし首を前後左右へと回してきょろきょろする彼のスタイルは、その後日本の子ども達の間に広がっていったものだ。正確なロングパスは正確な視野からしか生まれないのだから。
 「人のいない所へ走り込まないフォワードにはパスをあげないよ」。これも今や、「フォワードは技術以上に、位置取りが全て」という、日本でも常識となった知恵だ。これについては日本FW陣の大御所、中山雅史のこんな証言を読んだことがある。
 「中田が俺に言うのね。『そんなに敵ディフェンダーをくっつけてちゃ、パスがあげられない。どこでも良いから敵を振り切るように走ってって。そこへパスを出すから。そしたらフリーでシュート打てるでしょう』。俺、そんな上手くいくかよと、思ったね。でもまー、走ってみた。きちんとパスが来るじゃない。フォワードとして『目から鱗』だったよ!」
 この出来事が中田二十歳の時のことだ。十年上の大先輩によくも言ったり!従ってみた中山もえらい。中山のこの「えらさ」こそ、三九歳の今日まで現役を続けられている最大の理由と、僕には思えるほどだ。封建的な日本スポーツ界では、希有なエピソードなのではないか。

(なお、これも今回付ける注だが、中山が2回得点王になったのは、この年98年と、2000年のことだ。31歳、33歳のゴンのこの得点力急増に従って、いわゆる「J至上最強チーム・ジュビロ磐田」が生まれる。このことについて、間接的にせよヒデの影響があったのは間違いない。僕はずっと、そう観てきた。)

 中田はまた、今では当たり前のことだが当時としては珍しく自分個人用のサッカー専用体力トレーニングにプロ入り以来毎日、汗を流し続けている。「走れなければサッカーにはならない」、「外国人には体力負けするなんて、プロとしては言い訳にもならないよ」。自らのプレー実績で示してきたこれらのことの背景こそ、このトレーニングなのである。

 こんな特徴・「世界」をどのように知り、身につけたのか
 さて、これら全ては今でこそ日本でも常識になっているものだ。しかし、中田はこれら全ての「世界水準」を二十歳にして、どうやって身につけたのか。「世界から習った」、「例えば十六歳で出会ったナイジェリアから」などと彼は述べている。ほとんど世界の相手を観察してえた「知恵」なのである。もの凄い観察力、分析力、練習プログラム考案力、自己規制!それら全てにおいて、なんと早熟だったことか!この上ない頭脳の持ち主が、観察のチャンスに恵まれたと語りうることだけは確かであろう。

 スポーツマスコミを軽蔑していたから、ナカタ・ネットを作った
 彼はまた、世の全てが媚びを売るがごときマスコミへの反逆者でもある。「嘘ばかり書く」、「下らない質問ばっかり投げてくる」と主張し続け、「こんなものは通さず、自分の大事なことはファンに直接語りたい」と、スポーツマン・ホームページの開拓者にもなったのだった。弱冠二一歳、九八年のことである。それも、日本語、英語、イタリア語だけでなく、中国語、韓国語版まで備えたサイトに育ち上がって行った。国際人というだけではなく、アジアの星にもなっていたということなのだろう。
 他方、日本のサッカーマスコミは未だに程度が低い。テレビのサッカー中継でも、ボールばかりを追いかけているように見える。サッカーの神髄はこれでは絶対に見えてこないはずだ。この『ボール追いかけ』カメラワークは野球中継の習慣から来ているものだろう。野球はどうしてもボールを追いかける。その習慣で、サッカーでもボールを追いかける『局面アングル』が多くなっているのではないか。それにもう一つ、新聞などの野球報道でも、勝ち負け、得点者に拘りすぎているように思われる。サッカーの得点は、ほとんど組織の結果と言って良いのだから、フォワードよりも組織を写して欲しいと思うのだ。得点を援助したラストパス、いわゆる「アシスト」報道がないのも、日本の特徴だろう。

 ありがとう、中田英寿。僕をこれほどのサッカー好きにしてくれて。僕の生活にサッカーを与えてくれて。】

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改めて、アメリカの世界戦略  文科系

2020年09月05日 11時19分08秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など

「アメリカが世界の平和を支えてきた」とか、「中国、ロシア、イランなどが今後世界不安定の要因」とかを骨子とするアメリカの「国際情勢理論」の本当の背景、出所は、別にあると思う。ちょうど、イラク戦争の本当の原因が「大量破壊兵器の所持」ではなくって、フセインが原油のドル支払体制を崩し始めたことだと言われて来たように。また、シリア内乱工作の原因が、化学兵器使用・市民弾圧などにあるのではなくって、「敵は本能寺」よろしく「アメリカの仇敵イランを滅ぼすための前哨戦、その友邦国を滅ぼしてイランを丸裸にするために」だったというように。ちなみに、アメリカにとってこのイランとは、フセインと同じく原油=ドル支払体制を崩した国であり、同時に国王政を倒したことによってアメリカの友邦サウジやUAEから忌み嫌われている国である。つまり、ベネズエラと並んで、アメリカの世界原油政策の鬼子! この両国原油埋蔵量は、ベネズエラが1位、イランが4位である。
 ちなみに、国連と、その下の圧倒的に多くの国の反対を押し切ってイラク戦争を敢行し、有志参戦国イギリスが深刻かつ重大な反省書をまとめたことに示されているように、そして今またイラン戦争瀬戸際に追い込んでいるように、アメリカが世界の平和を保ってきたなどは、余りにも明白な、嘘である。

 アメリカの真の世界戦略、思惑はこういうことだろうと、以下ごく短く、4点にわたってまとめてみる。

①短期金融転がし株主資本主義から物経済がすっかり駄目になって、産軍と、石油=ドル体制、およびGAFAのバブル株価が今のアメリカを辛うじて支えている。軍隊、兵器輸出なども含めれば、今のアメリカ経済の半分は、軍事で持っていると言われてきた。なにしろ、その軍事費は、冷戦時代の2倍を優に超えているのだから。物経済不振や一般消費不況など税収減の下で軍事費がこれだけ増えた結果、国家の借金はアメリカGDPの4倍という発表になった。アメリカの元会計検査委員長デイブ・ウオーカーが2015年に精査、発表した数字である。なお、「資本主義の下の経済は、これをきちんと制御できなければ必ず軍事化する」とは、世界経済学史に残る人類の知恵、遺産の一つだとも付け加えておきたい。

②そこから、今の原油ドル支払い体制を守るためにも、大きすぎる軍隊の存在意義を示すためにも、敵と戦争とがどうしても必要になっている国である。そこを世界戦略上は「アメリカの傘の下の世界安定、平和」と言い換えているに過ぎない。もちろん嘘を承知で。この嘘を承知というのは、イラク戦争で明白に示されたものと愚考する。ケネディ暗殺にしても、キューバ危機や9・11に関わるいくつか分かっている隠蔽工作についても、タリバン・アルカイダとの過去の「愛憎関係」についても、この国には嘘が横行している。それも、国家の存立を左右するような大きすぎる嘘が。

③そして、こんな今のアメリカの最大懸念はこれ。軍事以外の自国物経済を金融が破壊して他国に譲ってきた後の国際貿易から、通貨危機などを創造して世界の金融搾取、金融による世界支配に励んできたが、中国が物経済で台頭し、その黒字分によって金融でも台頭し始めている。さらに、この中国の金は、元の保護制度によってアメリカは奪い取れない仕組もあるのだろう。ちなみに、ファーウェーを親のカタキよろしく敵視するのは、ここの5Gが間もなくGAFAのバブル株価を崩壊させる可能性があるからだ。ドイツのGDPをその株式時価総額が超えたと言われる現在のGAFAバブルは、原油=ドル支払い世界体制と並んで、金融帝国アメリカの生命線なのだろう。
 GAFAバブルが崩れれば、「パクス・アメリカーナ」、「アメリカによる世界の平和」は終わる。その金融・軍事世界支配の野望とともに。

④ちなみに、「物経済と金融帝国」というテーマをもう一歩つっこむと、以下。 
 アメリカは、原油と軍事、IT、食肉、穀物、医療など以外の物経済は捨ててしまった。その分、米金融による世界企業支配帝国を目指してきた。日英がその副官のように振る舞ってきたわけだ。そんな彼らから見れば、中国は物経済から出発して、金融にも手を伸ばした、恐るべき敵である。世界金融帝国建国に立ちふさがる唯一の敵。この国を己の金融帝国に喰らい込むことができなければ、アメリカGAFAバブルは終わる。

 これが米中衝突の真の姿なのだ。対するに、世界の普通の人々の職業という物は金融支配世界ではただ虐められるだけ、普通の物経済の中にしか健全な姿では存在しないのである。
 僕は金融世界支配をどうしても認められない。普通の人々の普通の給料、生活が端から無視されるからである。

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川崎フロンターレ賛歌   文科系

2020年09月04日 14時01分17秒 | スポーツ

  以下は。旧稿の再掲だが、報告文、説明文の特徴を減らし、僕なりの文芸作品・随筆として書いてみたもの。スポーツを文芸作品や、随筆にするのは日本では案外少ないことなのだが。
 今この興味深いチームが新たなルネッサンス見せているようなこの時、ご笑覧願えれば嬉しい。


Jリーグに歴史的強豪誕生(1) 文科系 2019年02月26日 

家長昭博、感謝の辞

 テレビに、サッカーJリーグ本年度表彰式、今年のMVP受賞者が映っている。二連覇を遂げた川崎フロンターレ・家長昭博三十二歳が、こんな挨拶をする。
『日本を代表するような選手が多いからここに飛び込んできたのですが、多くの刺激をもらえるチームメイトがいて学ぶことがあるクラブに加入して、本当に良かった。皆のおかげで、僕自身も人としても選手としても成長できた。本当に良かったと思えます』

 この家長、ガンバ・ユース時代の十代早くからJリーグ選手育成史屈指の天才と言われながら、芽が出なかったスペインリーグなども含めてここが六チーム目で、それもフロンターレ在籍二年目の選手に過ぎない。こんな彼の言葉に対するに、チームで「長老」と呼ばれている中村憲剛のネット談話もこんな風に報道された。
『加入当初はうちに合わせようという気持ちがありましたが、それよりも自分の間も大事にしてやりたいことをやれ、僕らもそれに合わせる、とやってきて、どんどんアキも良くなっていった。去年の夏以降は苦しい時に突破口を開いたのはアキの左足でしたし、苦しい時に身体を張って時間を作ってくれたのが、アキでした。こんな頼もしい選手はそんなに多くない。数字に直結できるプレーを意識してからすごい怖い選手になった』
 チームに来て二年で現代(世界サッカー)の最高、最新のチーム戦術にこれだけ溶け込んで見せ、かつその先頭にも立って、結果を最大限に評価された家長。やはり天才なのだろう。その天才を見せられる場を、三十路を過ぎて初めて得た希有な幸せ!

 川崎フロンターレ、歴史に残る強豪が誕生した。その二連覇以上に特筆すべきは、そのゲーム内容である。過去に二連覇チームは四つしか無いが、川崎には、日本史上初の快挙が一つ加わっている。川崎からのMVPが三年連続なのだ。一六年の中村憲剛、一七年の小林悠、そして今年の家長。この三連続が特別に興味深いのは、そのチーム戦術が群れを抜いて優れている証明になるということだ。一一人がぴったり意思一致して高度な組織的動きをしてこそ初めて攻守の成果が上がるサッカーにおいて最高殊勲選手が三年続きで生み出せたのは、そのことを証明している。その傍証として、こんな数字も加えられる。本年のJリーグ優秀選手表彰三〇人に、川崎から実に一〇人が入っている。

 川崎のどこが優れているのか。その最大テーマについて、「長老」の説明を聞こう。
『現代サッカーでは攻撃の選手も積極的に守備をするのが当たり前ですからね。その質をどこまで高められるか。いまや、そういうフェーズ(段階)になっている』
『自分が常にスイッチャー(攻から守への切替役)になること、今年最もやるべきことは、そこだと思っています』
 あるサッカーライターは、このチーム、特に中村の凄みを、こう表現している。
『攻から守への切り替えと球際の厳しさを徹底。そこから敵陣でボールの保持(攻撃)と奪取(守備)を繰り返し、敵を一方的にやり込める最強フロンターレの「核」が形づくられていった』


Jリーグに歴史的強豪誕生(2)  文科系2019年02月27日 | 文芸作品

 川崎の強さについての一考察

 川崎フロンターレがJリーグ二連覇を果たした。のみならず、この三年続きでリーグMVP選手を出している。その原動力の一つがゲーゲンプレス戦術の取り入れだと僕は観ていたが、それを解説してくれる中村憲剛のインタビューを読むことが出来た。「Jリーグ サッカーキング」2月号、J1、2、3各リーグ優勝チーム特集号である。

 なお、ゲーゲンプレスというのは、二〇一〇年頃から世界を席巻している「攻勢的守備即得点」というある戦術であるが、初めに、その定義をしておく。この得点戦術の元祖ドイツはドルトムント時代のユルゲン・クロップ監督の解説を要約すればこういうものである。なお、このクロップはその後イングランド・プレミア古豪リバプールに行って、今年はついに、世界有数の名監督ジョゼップ・グァルディオラ率いるマンチェスターシティーと優勝争いを演じている真っ最中である。

①相手陣地に押し込んだ時、相手が自ボールを奪って攻めに出た瞬間こそ、そのボールを奪えればゲーム中最大の得点チャンスができる。急に前掛かりになった相手こそ、守備体制としては最も乱れている時だというのが、この得点戦術そのものの着眼点である。

②そこから、敵陣に攻め入った時にあらかじめ①を意識しつつ攻めることになる。例えば、DFラインを押し上げて縦に陣地を詰め、そこに身方を密集させる「コンパクト」布陣もこのための準備だ。また、身方後方にフリーな相手を作らないようにオフサイドトラップに留意しつつ攻める。奪われた時にボールの受け手になる人間を作らないようあらかじめ準備をしておくということだ。

③その上で、ボールを奪われた瞬間に敵ボールに近い数人が猛然とプレスに行き、他はパスの出先を塞ぐ。この「攻から守への切替」をいかに速く激しくしてボールを奪い切るかが、ゲーゲンプレスの要だ。言い換えれば、そうできる準備を、敵陣に攻め入った時いかに周到にしておくか、そういう組織的訓練がゲーゲンプレスの練習になる。


 さて、憲剛の優勝総括文章を読んでみよう。
例えば、鬼木(監督)体制になってからの変化として、守備の楽しさを覚えたと話している。……ボールを失った瞬間に、素早く切り替えてボールを取りに行くこと。そして球際の局面で力強さを出すことである。……それこそが鬼木監督が掲げているサッカースタイルなのだ。……もちろん、守備に楽しさややりがいを見出したと言っても、それが目的というわけではない。守備が目的ではなく、目的はあくまでもゴールである。「攻撃のための守備」というのが鬼木体制における合言葉だ。……「相手がボールを取った瞬間に、取り返しに行く。息をつかせない。今は、それがチームの戦術にもなっているし、周りの身方も早く反応してくれる」……そんな守備のスイッチ役としてプレッシャーを掛ける仕事には、時に嬉しい見返りもある。相手のボールを狩りに行き、そのままゴールに繋がる形がそれだ。……』

 川崎は、ボール繋ぎ指導が得意な前の風間監督時代にはどうしても優勝できず、鬼木時代になったとたんに二連覇。この繋ぎ上手チームの優勝への画竜点睛こそ、ゲーゲンプレスの取り入れ、『「攻撃のための守備」というのが鬼木体制における合言葉』だと分かるのである。川崎の時代は今年も続くはずだ。今年三九歳になる憲剛の後にも今年のMVPで今や怪物と言って良い家長昭博がいるからだ。この怪物が近年燻っていたのは、繋ぎサッカー全盛の日本でボールが持てすぎて繋ぎが遅れると見られたこともあったのではないか。ゲーゲンプレス以降のゴール前では、身体も強靱な家長のこの力は、正真正銘の宝物。憲剛とともに、若手がどんどん見習っていくことだろう。前掛かり守備で奪ったボールを彼に預けて、敵ゴール前に身方選手を増やす時間を少しでも多く作り出せるということだ。

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