たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

22市長が稲村氏支持を表明したのが斎藤氏勝利の決定打

2024年11月18日 15時27分35秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年11月17日尼崎市在住の長尾医師ツィッタースペース、

Xユーザーの長尾和宏さん: 「https://t.co/vI9bAMoVym」 / X

 

 斎藤氏圧勝で稲村氏支持を表明した22市長はどう責任をとるのでしょう。24年間無投票当選のままきているという相生市長が机をばんと叩いて背中を向けている職員がびくっと驚いている瞬間の動画が拡散されていますが、宝塚ファンの一人として宝塚市長が極左だとわかったことが衝撃です。宝塚市議会議員がSNSでの説明を求めていますがどう動くでしょうか。宝塚OGさんが観光大使に任命されましたと宝塚市長とのツーショット写真をSNSにあげたりしているのでなんとも言いようのない心持ちです。来年4月任期満了とのこと。給食費無償化をアピールしてきた泉房穂氏の正体もわかってきてしまいました。

 

Xユーザーの藤舎💙さん: 「@oyashima787 @tachibanat 現宝塚市長は、泉房穂市長時代に明石市の弁護士でした。泉氏は、弁護士を市で直接雇用し始め、5年有期とはいえ常に10人は雇用するという特殊事態になっています。 弁護士余りの時代に、日弁連会長から感謝されてます。が、行政かじって他市で左翼市長になられたら迷惑… https://t.co/91XTXBiRii」 / X

「現宝塚市長は、泉房穂市長時代に明石市の弁護士でした。泉氏は、弁護士を市で直接雇用し始め、5年有期とはいえ常に10人は雇用するという特殊事態になっています。 弁護士余りの時代に、日弁連会長から感謝されてます。が、行政かじって他市で左翼市長になられたら迷惑…」

 

Xユーザーの桑原健三郎(宝塚市議会議員)さん: 「兵庫県知事選挙における市長会有志の表明について 市に確認したところ、あくまで山﨑晴恵市長個人の判断で行ったとのこと 選挙戦も明日で最終となるので、選挙期間中に当該文書に名を連ねるに至った経緯と意図を市長自身で運用しているSNSで明らかにするよう求めました #宝塚市 #兵庫県知事選挙 https://t.co/KlNirQvEPd」 / X

「兵庫県知事選挙における市長会有志の表明について 市に確認したところ、あくまで山﨑晴恵市長個人の判断で行ったとのこと 選挙戦も明日で最終となるので、選挙期間中に当該文書に名を連ねるに至った経緯と意図を市長自身で運用しているSNSで明らかにするよう求めました」

 

稲村氏、公職選挙法違反を繰り返し、演説では斎藤氏の悪口ばっかり、立憲民主党と社民党の極左過激活動家のような国会議員が応援に入りましたと写真をSNSにあげていたのもマイナスでしかなかったでしょう。斎藤氏のポスターはがしたり、選挙活動を妨害させていたのは立憲の息がかかった活動家たちだそうで当選させてはいけない方という印象でした。斎藤氏がいいわけではなくても外国人参政権、移民推しの極左知事が誕生しなかったのはよかったと思います。

斎藤氏が最後の最後になってようやくパワハラはしていない、おねだりもなかったと演説で言えたのは、自死した職員の年齢を考えるとまだ親が生きているだろうし、嫁さんと子供もいるだろうから家族のことをおもんばかってのことではと個人的には思います。鍵は業務用パソコンに私的な文書や写真が保存されていたこと。内容があまりにも不適切な為知事にみないほういいと言ったのは副知事だったようです。そこを言わないと自死の引き金になったのはパワハラではなかったと説明できないのでプライバシーを考えると難しい。でも勤務中に業務用パソコンで私的なことをやっていたこと自体が公務員としてアウト。自治体によるのでしょうが、どんなサイトにアクセスしたとかどんなフォーマットを作成していたとかネットワークから全部追跡できるようになっているはずです。非正規雇用で採用される際には、だから私的なことを業務用パソコンで業務中にしないでくださいと説明をうけ誓約書にサインもさせられます。地位があがり権力を行使できる立場になって基本のキを忘れてしまった方をかばいようもなく、斎藤氏失職のために利用した?県議会の責任も問われることになっていくのでしょう。解散して選挙?若者が関心をもって選挙にいけば組織票を上回ることができるとわかりました。草の根活動。維新の会が斎藤氏を支持していたら逆に斎藤氏への票が減っていたのではないかと維新の会の音喜多氏と柳ケ瀬議員がそれぞれ自身の配信で言っています。県議会解散となったら参政党から候補者を擁立できるだけの力があるか、擁立できれば組織票に勝てる可能性はふくらんできました。

 


1995年ミュージカル『回転木馬』-『回転木馬』の幕が開くまで

2024年11月18日 14時19分20秒 | ミュージカル・舞台・映画

1995年ミュージカル『回転木馬』-「MISTER SNOWのリプライズ」

(1995年帝国劇場公演プログラムより)

「萩尾瞳(映画・演劇評論家)

-ロンドンで甦った90年代の『回転木馬』-

 1992年12月10日、ロンドンの『回転木馬』初日。

 クリスマスを控え、イルミネーションの輝きと人波で華やぐロンドンの街。なかでも、テムズ河畔にあるロイヤル・ナショナルシアター(NT)は、この夜とびきり華やかな興奮に包まれていた。興奮の渦の中心は、NTに3つある劇場の中で2番目に大きい劇場、リトルトン。そう、『回転木馬』初日の幕が開いたのだ。オーバーチュアに盛り込まれた工場のシーンに観客は鮮烈な衝撃を受け、その直後、まさに弾けるといった感じで登場する回転木馬のシーンでは劇場を揺るがすような拍手が沸き起こる。リチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタインの名作が、ニコラス・ハイトナーの演出とサー・ケネス・マクミランの振付によって、ほぼ半世紀の時を経て鮮やかに甦ったのだ。プログラムによると、この作品は、NTのクラシック・ミュージカル・リバイバル・シリーズの第一弾。なるほど、演出、振り付けはもちろん、美術にボブ・クロウリー、照明にポール・パイアントといった一流スタッフが揃っているのを見れば、この作品にどれほど才能と力が注がれたかが分かる。この夜以来、劇場は連日満員。やがて、この作品は、93年度ローレンス・オリヴィエ賞をリバイバル・ミュージカル作品賞、ミュージカル演出賞など4部門を受賞する。

 

-ロンドンからニューヨーク、そして東京へ―

 NTの『回転木馬』は素晴らしい。そんな評判が、あっというまに世界中のミュージカル関係者の間を駆け巡った。初日から3か月が過ぎた93年3月、東宝のプロデューサー、古川清はリトルトンの観客席にいた。94年に再演する『レ・ミゼラブル』のキャストについて打ち合わせるためロンドンを訪れた彼は、当然のごとく『ミス・サイゴン』の演出家ニコラス・ハイトナーの評判の新作『回転木馬』を見に来たのだった。ただし、この時点では日本上演の可能性を調べるという意図は、全然なかった。「ところが、舞台の素晴らしさに圧倒されましてね。古い作品だし、映画の『回転木馬』(55年製作)の印象が良くなかったので、あまり期待してなかったのに。なんと、名作が見事に甦っているうえ、サー・ケネスが振り付けたバレエの美しさときたら。ミュージカルにクラシック・バレエのシーンが盛り込まれているのではなく、バレエがストーリーに完璧に融け込んでいる。ボブ・クロウリーの美術も新鮮でしたし」と、驚き、感動し、「ぜひ、これを日本でやりたい」と即座に思い定めてしまった。

 キャメロン・マッキントッシュの強い勧めもあり、それから数か月間、『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』に続き『回転木馬』でも共同プロデューサーに入ることになる田口豪孝ら関係者が、次々とNTを訪れ『回転木馬』を観劇、それぞれが作品に魅了されて帰国した。そして、93年11月、最終的にGOサインが出る。劇場は帝劇、プレビューを含む公演期間が95年5月から9月までの5か月というロングランが決定。日本版『回転木馬』の芽生えであった。

 東宝の内部では『回転木馬』公演のこまごまとした準備が進んでいた。その頃、ロンドンの『回転木馬』はNTでの公演をいったん終え、93年9月10日にウエストエンドのシャフツベリー劇場で改めて初日を迎えていた。レパートリー・システムのNTでは、ひとつの作品がロングランすることはない。だから、NTで評判になった作品がウエストエンドの劇場に場所を移して続演されることも多い。『回転木馬』の場合、NTのプロダクションに多大な援助を与えているプロデューサーのキャメロン・マッキントッシュによって、シャフツベリー劇場で上演されることになったのだった。きらめく星空に木馬をあしらったネオンで外壁を飾ったこの劇場で、『回転木馬』は約1年続演し94年8月末に幕を降ろした。

 『回転木馬』ブロードウェイ公演は、ウエストエンドより半年後にスタートした。94年3月24日、リンカーン・センターのヴィヴィアン・ポーモント劇場で初日を開けた『回転木馬』は、この劇場の半円形の舞台によく似合い、もとより作品の素晴らしさのおかげで大ヒット。同年のトニー賞リバイバル作品賞、演出賞、振付賞など5部門を受賞する。ここでの公演は、95年1月15日までロングランした。

 

-世界3都市でオーディション-

 ロンドン、ニューヨークの『回転木馬』が連日満員を記録している頃、東京では帝劇公演を目指してオーデォションが始まっていた。第一次オーディションは94年3月から4月にかけて、第二次が同年6月、第三次は同年10月後半と、当初の予定よりオーディション期間は長引き、審査員が会った人数も回数も予想をはるかに越えた。『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』を手がけ、オーディションにはすっかり慣れているはずの東宝だったが、『回転木馬』のオーディションは予想以上に難航した。もっとも、歌や演技が中心のプリンシパルについては、ほとんど問題はなかった。これまでの実績からオーディション・システムが浸透していたからである。大変だったのは、バレエ・ダンサーのオーディションだった。サー・ケネス・マクミランの振付は、一見バレエの心得のあるダンサーなら踊れそうだけれど、実はかなりのバレエ技術の持ち主でなければ踊れない難しいもの。当然、アンサンブルのダンサーのオーディションは大変だった。けれど、もっと難航したのは2幕に長いバレエ・シーンのあるルイーズとフェアグランド・ボーイのダンサーである。「最初からプリマ級をねらってました。まずは、国内のバレエ団に声をかけたのですが、バレエ界は思ったより閉鎖的で、所属しているダンサーは貸してくれないんですよ。ルイーズはせりふがあるからやっぱり日本人じゃないとまずいので、外国で活躍している日本人に結局ねらいをつけて。一方、フェアグランド・ボーイはせりふがないから国籍は問わず、ただし日本の舞台に立つのは法律的にクリアできればいい、ということで」バレエ・ダンサー探しを進めた。従って、オーディションは東京だけでは済まず、ニューヨークやロンドンでも行われた。スコティッシュ・バレエ団でプリマを踊る下村由理恵や、コロラド・バレエ団のプリンシパル・ダンサー宮内真理子などは、こうしてカンパニーに参加することとなった。日本の『回転木馬』はすべての役がダブル・キャスト。もちろん、ルイーズ役もフェアグランド・ボーイ役もダブル・キャストのはずだった。ところが、2役は、ロンドンでもニューヨークでもダブル・キャストになっている。バレエにテクニックとエネルギーを出し尽くすため、連続して出演するのは無理なのだ。あちらより1週間の公演数が多い日本では、この2役についてはダブル・キャストのもう1人加え、トリプルという3人体制を取ることになった。

 世界3都市に渡る長期のオーディションを経て、ついに全キャストが決定した。94年11月14日、『回転木馬』の製作及びキャストの発表。出演者全員の笑顔の奥には、これから始まる稽古への闘志がすでに燃えていた。『回転木馬』カンパニーは、スタート・ラインについたのだ。

 

-訳詞の手直し、小道具や衣装、すべてに細心-

 ミュージカルの舞台を作るには、実にもう膨大な時間と手間と人材とお金がかかる。オーディションが進行していく一方で、台本の翻訳や訳詞の作業も着々と進んでいた。翻訳の酒井洋子はせりふを滑らかで耳に入りやすく、しかも明確な日本語に移すことに腐心し、訳詞の岩谷時子は、元の意味をできるだけ正確になぞりながら、しかもメロディに乗る日本語の歌詞にするため、言葉を探していた。『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』の訳詞をこなしてきた岩谷は、この『回転木馬』でも同じ苦労を強いられた。まず、一つの音符には一つの音しか入れないという原則を守ること。そうすると、一つのメロディで伝えられる情報は、英語に比べて日本語ではグンと減ってしまう。この情報量をできるだけ減らさないようにしながら、元の歌詞のニュアンスを捕らえ、また聞いただけで意味が理解でき、しかも、アクセントがメロディに反さず歌いやすく耳に心地よい訳詞を作る。はっきり言って、不可能な作業。それでも、不可能を可能にすべく、彼女はいくつもいくつも訳詞を書く。音楽監督と相談し、キャストに歌ってもらっては、直していく。英国側スタッフと話し合った結果、ニュアンスが違うからと、また手直しする。今回、歌詞は全て日本語に移すことに決まった。音符3つに「I Love You」とそのまま英語で入れれば簡単でも、そんな逃げはなし。けれど、五か所だけ、とうとう日本語にできない歌詞があった。『六月みんな弾ける』のナンバーの一部である。3つの音符に乗った「June June June」は、掛け声的な性格と弾むような語感を生かすため、結局そのまま歌うことになったのだ。

 小道具や衣装の準備は、95年に入ると急速に進んだ。一番苦労した小道具は、以外にも木馬である。これだけは94年から準備を進めている。木馬なんかいくらでもありそうなものだが、なかなかピッタリのものがないのだ。油圧で上下する木馬のシステム自体は、日本の技術者にとってはなんてこともない。ところが、あの精悍な顔つき、筋肉しっかりのスタイルは、日本の木馬とは微妙に違うらしい。とうとう英国から買うか、という語になった。そこへ、リンカーン・センターの『回転木馬』が1月に終わるという情報が入ってきた。タイミングもいい、と、木馬をはじめとするこまごまとした道具や衣装は、リンカーン・センターから買うことになった。

 95年1月、スタッフはニューヨークに飛び、さまざまな道具や衣装を買い込んで来た。道具のなかには、木馬はもちろん、古びてSINGERの文字がかすれたミシンやペンキがはげかけた椅子から、種の袋なんてものまである。種の袋は、それらしい模様と飾り文字がついた素朴な紙袋で、いかにも40年代のアメリカ、ニュー・イングランド地方で売られていたものに見える。客席からは見えない細かい部分まで、全てがきちんと作られているのだ。買って来た道具は、全部が日本の舞台で2度目のお務めをするわけではない。この道具を参考に、日本で作り直すものもずいぶんあるのだ。衣装も、リンカーン・センターで使ったすべてが、2月には日本に到着した。ただし、これも参考にするだけ。第一、サイズが合わない。到着した衣装は、日本側の衣装スタッフの手で見る間にバラバラにされてしまった。微妙なラインの出し方や各部のはぎ方などを、衣装をバラしながらチェックするのである。4月には、英国側から衣装補のクリスティーヌ・ローランドが加わり、日本側の衣装スーパーバイザー黒須はな子が腕を奮って、日本人キャストに合わせた舞台衣装が次々と出来上がってきた。

 

-基礎訓練から舞台稽古まで-

 出演者の稽古は、製作発表の直後、94年11月に早くも始まった。とはいえ、この頃は「スクール」と称する基礎訓練。週に一度、原則的には水曜日に、この訓練は行われた。発生、肉体訓練、バレエの基礎演習、といった内容だ。歌がメインで選ばれたプリンシパル、バレエで選ばれたメイン・キャストは、まあ、さほど苦労せずにすんだよう。大変だったのは、歌で選ばれたダンサー・シンガーと、ダンスで選ばれたシンガー・ダンサーで構成されたアンサンブル。それぞれのグループの歌とダンスのレベルを揃え、より高いレベルに持って行く必要があるのだから。「特にバレエ・ダンサーの人たちは、最初とまどったようです。バレエって、声を出すのはタブーでしょう。まず声を出すことから始め、徐々に、歌うのって気持ちいいね、と思えるように持っていく。でも、さすが表現する人たち、物理的にはついていけなくても表現したい気持ちはあふれるほどある。だから、いったん歌えだすと、伸びがすごい」と、音楽監督の山口シュウ也は言う。

 スクール最後のカリキュラムは『回転木馬』のナンバーの練習だった。1週間ほどの特訓の成果は、3月17日の『回転木馬 帝劇上演記念グランドコンサート』で披露された。これは、3月18日からの『回転木馬』の前売り開始を記念して帝劇で開かれたもの。無料だったけれど、葉書で応募して抽選で入場券がもらえるというシステムだったため、一人で何枚も葉書を出すファンも多く、東京地区以外からの応募も多かった。『もしもあなたを愛したら』で始まり『人生ひとりではない』で終わったコンサートは、早く公演を見たいという気持ちをかき立てるに十分なものだった。

 4月に入り、ロンドンから演出補のマシュウ・ホワイト、振付補のジェーン・エリオット、音楽監督のマーティン・イェーツらもやって来た。いよいよ稽古は本格化。たくさんある帝劇の稽古場のうち、一番大きな9F稽古場ではダンスが、もっと小さなB6稽古場ではお芝居が、さらに小さなB4稽古場では歌が、といった具合に分業で稽古が進行する。4月も後半になると、午前中から午後にかけては分業で、午後か夕方には全員が9F稽古場に集まって場面ごとの稽古をするというスケジュールが基本になった。『回転木馬』の時代や舞台背景については、それ以前にカンパニー全員が勉強済み。その勉強のために、たとえば「ニュー・イングランドの歴史と産業」と題した参考資料を作ったのは演出部のメンバーだった。

 面白いのは、出演者それぞれが自分の役に肉付けし膨らませていくエクササイズ。舞台の上では呼ばなくても、アンサンブルの全員にニュー・イングランドふうの名前が付いているのだ。名付け親は演出家のマシュウ。日本人には、どんな名前がニュー・イングランドふうなのか、なんて、よく分からないからだ。そして、それぞれの人物には、年齢や仕事や生い立ちなどのキャラクターづけがされる。たとえば、エラは陽気なミセスといったように、さらには誰と誰が家族で、誰と誰が仲良しでといった人間関係も作り上げていく。「浜辺のはまぐりピクニックのシーンひとつとっても、誰と誰は不倫をしているとか、新しい恋人探しが目的で参加しているといった人間模様があるわけ。細部までていねいに作っているので、よく見れば見るほど面白いですよ」と、演出助手の増田邦彦は言う。

 9F稽古場には、真っ青な回り舞台が入っている。ただの青ではない。『回転木馬』のテーマ・カラー「インディゴ・ブルー」である。その舞台で、4月下旬、初めて『ジューン・ダンス』が通して踊られた。見た目よりはるかに難しいこのダンスでは、思わぬケガ人が続出している。それほどダンサーたちが苦労しているだけあって、さすがに素晴らしいシーンだ。華やかさと迫力に、見ている人々は呆然とし、次の瞬間は拍手が起きる。他の日、初めてルイーズとフェアグランド・ボーイのバレエが通される。渡辺美咲と森田健太郎のコンビだ。サー・ケネスの振付の美しさに、バレエを見ている人々は瞳にうっすら涙さえ浮かべるほど感動している。

 4月28日。帝劇で上演されていた『サウンド・オブ・ミュージック』の千穐楽。マチネのラク公演が終わるのを待ちかねたように、夕方から道具が撤去され始めた。徹夜の撤去の後は『回転木馬』の舞台作りが始まる。美術も美しく新鮮なら、それをより際立たせる照明もまた美しい『回転木馬』だけれど、それだけに装置や照明器具は贅沢に凝っているのだ。たとえば、最近使われ始めたバリライト。ちょっとゴージャスなコンサートでも2、3機程度で済ませるこの高価なバリライトを、『回転木馬』ではなんと20機も使っている。それを備え付けるだけでも大仕事。観客席からは見えない部分にこそ、実は最も労力とお金がかかっているわけだ。

 5月1日。初めて1幕、2幕を通し稽古。プレビュー初日まで、残り20日を切った。カンパニー全体に、ほどよい緊張感がみなぎる。後は、細部をていねいに練り上げていくだけだ。

 

-プレビュー、そして初日の幕が開く-

 5月19日、プレビュー初日。帝劇は、この日を待ちかねた観客で埋まった。この日のジュリとビリーは鈴木ほのかと宮川浩で、日によってキャストの組み合わせは変わる。満席の客席が期待と興奮でざわめくなか、オーヴァーチュアが鳴り響く。劇場の空気に緊張が走り、次の瞬間には観客はもう舞台の虜だ。舞台上が一瞬にして回転木馬の回る遊園地に変わるや、どっと拍手が沸く。2幕目になると、客席のあちこちで涙を拭う姿が目立ち、鼻をすする音が聞こえる。この夜、出演者たちは少々あがり気味ながら見事な舞台を見せ、カーテンコールでは盛大な拍手を受けた。ここからスタートしたプレビューの客席には、時に海外からの劇場関係者の姿も見受けられた。たとえば5月26日には米国からロジャーズ&ハマーシュタイン・オーガニゼーション社長のセオドア・S・チャピン氏が来日して観劇、「初めて日本語の『回転木馬』を見ました。日本語の分からない私も、とても感動しました。素晴らしい舞台にしてくれて、ありがとう」という言葉を残している。

 6月2日。この夜の観客には予期せぬプレゼントがあった。カーテンコールに一人の米国人女性が現われたのだ。彼女はメアリー・ロジャーズ・ゲッテル。この作品の作曲家・リチャード・ロジャーズのお嬢さんで、いまは名門ジュリアード音楽院の理事長を務めている。『回転木馬』については「50年前のブロードウェイ初演を14歳の時に見ました。それまでも父の作品は見ていたけれど、初めて初日を見せてもらったのがこれなので、とりわけ感慨深い作品です。その夜、ちちは背中にケガをして担架で劇場に運ばれて来たため客席には座れませんでした。でも、客席から聞こえて来る大きな拍手の音で成功したのが分かったそうです」という思い出がある。思わぬ人の登場にどよめく客席に向かって、彼女は「こんなに素晴らしい舞台を見たのは初めてです。亡き父がこの舞台を見たら喜んだことでしょう。カーテンコールのときに回転木馬が回るのは、日本のオリジナル演出ですが、とても素敵でした。俳優さんたちの歌も演技も素晴らしかった」と挨拶、割れるような拍手を受けた。その後、舞台裏で出演者に囲まれ、父の作品が日本で甦るのを、ワクワクしながら拝見しました。日本語は分からないけれど、とても感動しました」と語った彼女の言葉に、カンパニー全員は自分たちの仕事に改めて自信と誇りを持ったのだった。こんな出来事もあったプレビューの日を重ね、舞台はグングンと磨かれてきた。

 そして、6月26日。ついに初日の幕が開いた。各界の有名人の観客も多く、華やかななかにも静かな興奮と緊張が支配するこの夜の客席には、オリジナル演出のニコラス・ハイトナーの姿もあった。パリのシャトレ劇場で演出したヤナチェク作のオペラ『利口な女狐の物語』の初日を開けたばかりで、『キング・ジョージの狂気』に続く監督2作目『るつぼ』のクランク・インを控えた多忙なスケジュールのなか、ロンドンから飛んで来たのである。終始、嬉しげに舞台を見つめていた彼は、幕が降りた途端こう叫んだのだった。”They did a great job!“(素晴らしい出来だ!)

「日本人キャストの表現はナチュラルで、しかもパッションを感じさせて、とても素敵です。歌のスタイルは、日本人の場合、欧米とは違ってビブラートの幅が大きいという特徴がありますが、歌そのものは、文句なしに素晴らしい。バレエも技術的に優れていて、もちろん美しいし。日本のカンパニーは実に感動的な舞台を作ってくれました」と、手放しの褒めよう。それからも毎日、毎日、劇場では素敵な奇跡が起こり続けている。」

 


財務省に騙されてきたことに気づく人が増えてきた

2024年11月18日 01時13分57秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年11月17日安藤裕チャンネル

【だまされてはいけない】補正予算13兆円

 

 

大蔵省が解体されたのはいつだったかと振り返ると1998年の「ノーパンしゃぶしゃぶ」事件、長野オリンピックのあった年でした。自分がどこでこのニュースを話題にしていたかを思い出しました。これもなにがどこまで本当だったのか、裏に何があったのか。財務省になって日本は借金大国と請民を騙し続けて、国政選挙で議席を増やした国政政党が減税を進めようとすると全力で阻止しようとしてきていることを思うと大蔵省の方がまだマシだったのではないかと思うことがあります。安藤さん曰く、減税してしまうと国内経済が回るようになり逆に税収が増えて嘘がバレバレになるからバレないように財務省は必死。三橋さん曰く、財務省の役人には実績をたてる場がない。目に見える実績が唯一増税。増税すると省内で出世できる。

 

Xユーザーのもりちゃんさん: 「ノーパンしゃぶしゃぶです。こんなくだらない理由で大蔵省は解体出来たのに財務省は公文書を改ざんしても無傷です。あり得ないでしょう。 @MOF_Japan」 / X

 

 

ノーパンしゃぶしゃぶ - Wikipedia

東京都新宿区歌舞伎町の高級ノーパンしゃぶしゃぶ店『楼蘭ローラン』が、大蔵省接待汚職事件大蔵官僚接待の舞台の一つとなっていたことが発覚したことから、1998年(平成10年)に話題となった[2]exciteによれば、ノーパンしゃぶしゃぶは飲食店という扱いであり、風俗店とは異なり「飲食費として領収書を落とせる」ことにより、国家公務員の接待に利用された[1]

朝日新聞出版/週刊朝日によれば、この事件で話題となった店舗については、新宿区歌舞伎町にあった会員制の店舗であり、コースの料金は2時間で税込み1万9980と言うもので、フォアグラ松阪牛などが提供されていたと言う。また、従業員の証言によれば、接待する側は冷めていたが、接待される側は「一心不乱に見ている」状態であったと言う[3]

 

1998年の日本 - Wikipedia


アメリカ大統領選挙速報 !サプライズ新トランプ陣営とはどんなメンバー?山中泉

2024年11月17日 19時43分22秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年11月16日参政党赤坂ニュース、

(598) アメリカ大統領選挙速報 !サプライズ新トランプ陣営とはどんなメンバー?山中泉【赤坂ニュース194】参政党 - YouTube

 

 

ロバート・ケネディ・ジュニアを反ワクと呼ぶ日本のテレビ大丈夫ですか?

 

 

 案の定、石破さんはトランプさんにまともに相手にされません。こんなのが総理大臣なのかと思うと絶望感でいっぱいになります。

 

2024年11月16日日テレニュース、

トランプ氏側が石破首相との会談を見送る考え…正式に伝達(2024年11月16日掲載)|日テレNEWS NNN

「石破首相とアメリカのトランプ次期大統領との会談をめぐり、トランプ氏側が「会談要望が殺到していて今は難しい」と正式に会談を見送る考えを伝えてきたことがわかりました。

これは複数の日本政府関係者が明らかにしたものです。

日本側はこれまで石破首相の南米訪問にあわせ20日にフロリダ州のトランプ氏の自宅での会談を要請していました。

これに対してトランプ氏側から正式に「各国から会談要望が殺到していて今は難しい」「法律上も就任するまでは会談を行うのは厳しい」などとこのタイミングでの会談を見送る考えを伝えてきたことがわかりました。

石破政権の幹部は「日本だけでなく各国に対して断りを入れていると聞いている。トランプ氏も今は閣僚人事など国内基盤を固める時期なのだろう」と話しています。

別の外務省関係者は「トランプ氏側の準備が整えばいつでも会えるよう準備は続ける」と述べていて、政府は早期の会談実現に向けて引き続き調整を続けていく考えです。」

 

アホみたなことやっている日本のテレビ、肝心の閣僚人事、政策、アメリカをグローバリストたちの手から取り戻すべく着々と進んでいることは一切報じません。自民党にとって都合の悪いことは故意に流さないのか、もはや何が起こっているのか理解できないレベルなのか。これを朝からみていたらそりゃ思考停止になります。


長い間騙されてきました

2024年11月17日 15時54分12秒 | 気になるニュースあれこれ

2024年11月16日(土)

参政党さとうしゅん個人演説会
応援弁士 神谷宗幣参議院議員

@ユーホール

Instagram

 

 長い間官僚政治に騙されてきました。自民党に騙されてきました。もうわたしは手遅れですが、せめて未来を担ってくれる子どもたちのために少しでも日本がいい方向へといきますようにとの思いをこめて、参政党にサポーター登録しました。コロナ騒動、間違ったコロナ対策により間接的にですが人生は閉ざされました。間違いだらけのばかな人生の終焉、日々おかしくなっていく日本の姿を黙ってみていられず最後にできることをという気持ちです。左翼的な人は参政党のこと嫌いみたいですがいちばんまともなことを言っていると思います。日本を守ろうとしている人たちの集まりだと信じます。

 

 

2024年11月16日(土)渋谷駅ハチ公口参政党神谷代表、

2024年上半期の出生数は33万人、倍にしたって今年の出生数は66万人、一番多いときの4分の1、極度な少子化をなんとかしなければならない、過剰な医療と食に問題があるのでは、

それぞれの国のよさを大切にするのが本当の多様性、

【参政党】国民の民意を潰すな!減税勢力を潰したら選挙の意味が無くなってしまう!1番深刻なのは少子化問題 陰謀論者扱いされるロバートケネディジュニア 巨大利権との闘い


2010年4月を振り返る

2024年11月17日 15時27分50秒 | 祈り

2010年4月1日(木)

 あたたか、晴れ、桜の花が開いている。今を一生懸命生きる先に未来はある。そう信じていくしかない。

2010年4月2日(金)

 朝はなまあたたかい。変な時間に目がさめてしまったのでだるいし眠い。つらいよー。長い一週間だ。

孤独な長い一週間が終わった。すごくがんばった。国家資格を持ちながら・・・という思いをひそめつつ、稼げる時に稼ぐ。己を信じていくしかないのだ。クサレ大会社はわたしの最後の場所ではない筈だ。疲れ果ててくると喋るのも面倒くさい。そんな自分に自己嫌悪・・・。でも仕事だ。今を一生懸命生きる。その先に未来の仕事もある筈だ。自分を信じてがんばれ、私。フランス語も勉強して、パリフリープランに挑戦てなこともちらっと考えてみる。

2010年4月3日(土)

 キャリアカウンセリングを申し込む(4/15)。休めない時は早めにTEL。イタトマでお茶。

2010年4月4日(日)

 川和グループ、R先生とお茶。休みもある意味疲れる。夜はなんだかあまり眠れなかった。

2010年4月5日(月)

 寒い、夜左眼のコンタクトレンズを外そうとしてずれたまま。辛かった、だるい。

2010年4月6日(火)

 あたたかい。晴れ。桜の花がまだ開いている。この季節の変わり目、なんだかきつい。まだまだ。がんばれ、わたし。

2010年4月7日(水)

 寒い、よく働いた。夜はファミマ。

2010年4月8日(木)

 寒い、よく働いた。

2010年4月9日(金)

 時々雨、よく働いた。セントラル整骨院4,850円、夜はファミマ。

 今週もよく働いた、長かった、それでもなお何かをしたいというエネルギーが私にはある。へたれてはいられない。私には果たすべき役割がある。そのためには今をがんばるのだ。なんだかばかみたいな小さなことを気にしつつ、休日は少しゆっくりと時間が流れる。かりかりしているとどうしても少し人にきつい言い方をしてしまう。ごめんなさい。あやまる機会はないけど心の中でごめんなさい。本当に更年期に入っているようだ。腰は冷えるのに顔はカッとあつくなって信じられないほどびしょびしょの汗がでる。

2010年4月10日(土)

 晴れ、あたたかくなった。〇〇医院、デパスとザンタックはジェネリック有。次回先生に確認すること。タリーズでお茶。

2010年4月11日(日)

 晴れ、あたたか。タリーズでお茶。『アスペルガー症候群』を読み終わる。レポート作成資料の整理がなかなかはかどらない。すごい量だ。私の足跡。これだけやったんだ。すごい。

2010年4月12日(月)

 寒い、雨、ことばを学ぶのが楽しい。なかなか身にならないけどね。

2010年4月13日(火)

 あたたか、一日で気温差が10° 体にこたえる

2010年4月14日(水)

 残業して10時ごろ最寄り駅に着いた。夜はファミマ、少しまだ寒い。タクシー乗り場でW先生を見かけ思わず声をかけてしまった。なんと熱いハートをもった方なのだろう。あったかくて人間くさくてそばにいるだけで幸せな気持ちになれる、すごい人だ。母と妹へのありがとうという思いをもっともっと大事にしながら、私は生きていけばいいんだ。

2010年4月15日(木)

 有給休暇所得、寒い、雨、仕事支援センターでキャリアカウンセリングを受けた。

2010年4月16日(金)

 なんだか雨も降ってすごく寒い。PEIがすごく遠い。本当にもう一度行けるのだろうか。幸せになれると信じる気持ちが大切。

2010年4月17日(土)

 今日もすごく寒い。雨はあがった。母と妹がおしえてくれていることを社会に還元していく。それが私の役割だと思う。それにしてもすごく汗がでて辛い。

2010年4月18日(日)

 少しあたたかくなる。アンの原書を読むこととレポート資料のスキャン。なかなか進まない。

PEIにまた行ける可能性がでてきた。あと1ヶ月半ほど。ほんとにいいのだろうか。大丈夫だろうか。遠い、片道25時間。ルピナスの花が、リンゴの花が、そしておだやかな景色が私をもう一度迎えてくれるだろうか。英語を勉強しなくちゃ。本も読まなくちゃ。にわかに忙しい。GW中に準備しよう。

・トランク用ベルト

・腕時計 携帯食品

・カイロ 飲み物 カナダドルが残っていたはずだ

・時差も確認しなくちゃ

 去年行っているんだし、大丈夫。思い出せる、ガンバレ。連休は諸々の片付けと準備で忙しくなりそうだ。

2010年4月19日(月)

 できるだけ笑顔で過ごすように気持ちだけでも・・・。服は相変わらず真っ黒だし、元気オーラは出ていないが気持ちだけでも・・・。自分を否定しない。

2010年4月20日(火)

 ややあたたかだが雨。会社にいるのが辛い。

2010年4月21日(水)

 晴れ、外が暑いと冷房がきつくなってこたえる。ストレスがきてどうしてもきつくなってくる。やりにくい。全く誰にもわかってもらえないやにりくさ。昨晩はたぶん5時間眠れていない。生理もこないはずだ。つらいけど仕方ない。

2010年4月22日(木)

 寒い、雨。

また寒い。木曜日までくるとあと一日だあって感じでがんばれる。睡眠不足だけどね。また本当にPEIに行けるのだろうか。実感がわかない。おだやかな場所・・・。

2010年4月23日(金)

 雨、暑かったり真冬のように寒かったりであまり眠れなくてさすがにきつい。昨夜はすごく変な夢をみたし、これぐらいのことでと思うのだが、なんだかきついね。部屋を片付けてすっきりしたい。

2010年4月24日(土)

 〇〇医院、漢方の薬を変えてみる。なんとかまた一週間が終わった。わたしってえらいと思う。

2010年4月25日(日)

 PC水ぬれ、無理してはいけないとわかりつつ、つい無理してしまう。でも寒い。買い替えのタイミングだ。

2010年4月26日(月)

 少しあたたか。

2010年4月27日(火)

 雨、なんだか寒い。

2010年4月28日(水)

 今日も雨、寒いし、電車の中、オフィスの冷房がこたえる。風邪っぽい。なんだか5時間眠れていないし、きついね。明日は休み・・・。

2010年4月29日(木)

 晴れ。ようやくこの季節らしい。PCを買い替えて諸々の再セットアップが終わった。ほっ!

自分を信じて自分をほめてあげて自分にやさしくしてあげて過ごしていけばいい。誰がどう言おうと自分を責める気持ちは心のすみに残るし、だって電話をかけてきたんだもの、それを背負っていこうと思う。無理にうち消そうとすることはない。これでいい。漢方のおかげか、ちょっと調子があがってきている気がする。

2010年4月30日(金)

 昨夜も偶然最寄り駅のデパート内でW先生にお会いした。ご縁なのだろうか、エネルギーとあたたかいものを感じる、私もそういう人になりたい。会社ごときに負けていられない。夜眠れなかったりもするがまあ仕方あい。私は今どんなオーラを発しているのだろうか。若い人からみてどんな感じなのだろうか。まあおばさんには違いないがどんなオーラをはなっているのかな。


衆議院・選択的夫婦別姓制度を審議する法務委員会の委員名簿が公開されました

2024年11月17日 10時07分18秒 | 気になるニュースあれこれ

 

 立憲民主党が選択的夫婦別姓を決めたがっている衆議院・法務委員会の委員会名簿が公開されました。28日に国会が召集される予定とのこと。売国議員だらけ、ほぼ出来レース。反対する委員はどれほどいるでしょうか。

 参政党は選択的夫婦別姓に反対しています。

参政党は、選択的夫婦別姓に反対します。 | 参政党

「家族が同じ姓を名乗ることは、一体感や絆を育む重要な要素である。同じ姓を持つことで家族のつながりが生まれ、子供にとっても「自分はこの家族の一員である」というアイデンティティを持つ助けとなる。この安心感こそが、子供たちの健全な成長にとって重要であると考える。
 
令和3年の内閣府調査では、69.2%の国民が夫婦同姓を支持しており、この価値観は現在も多くの人々に受け入れられている。夫婦がいずれの姓を選べる現行制度のままでも、旧姓の使用が広がり、不便さは解消されつつある。
 
次世代が安心して育つことができる環境を守るためにも、現行制度を活かし、柔軟に対応することが重要である。戸籍制度は、人々のつながりを正確に記録し、社会の秩序と信頼を支える基盤であり、この観点からも現行制度を維持すべきである。」

 

 参政党の吉川里奈さん、普通の方が衆議院議員となりました。これぞ民意の反映だと思います。長い間国会議員をやってきている奴らが日本を衰退させてきたのです。ようやく本当にわたしたちの声を代弁してくれる本当の議員の誕生。初当選で最初はぎこちないとおもいますが選択的夫婦別姓に反対の声を届けてくれようとしています。参政党の政策チームで質疑の内容を練っているところです。日本の戸籍制度が破壊されることはならんと思う方、応援をお願いします。

吉川りな@参政党(@rina_yoshikawa_)さん / X

 

 高市早苗さんは「選択的夫婦別姓」に反対。だから総裁選の最後にひっくり返されたということでしょうか。

 

Xユーザーの世良公則さん: 「高市大臣 2度自民法務部会に 「婚姻前の氏の通称使用に関する法律案」提出 法的根拠を与える内容 これで姓の違いでの家族分断や 戸籍に影響が出る危険性が懸念される 「選択的夫婦別姓」の問題は解消 以前から二度の提案済にも拘らず 党議決定に至っていない事が問題 https://t.co/pT7cDh2FDP」 / X

 

「高市大臣 2度自民法務部会に 「婚姻前の氏の通称使用に関する法律案」提出

法的根拠を与える内容 これで姓の違いでの家族分断や 戸籍に影響が出る危険性が懸念される

「選択的夫婦別姓」の問題は解消 以前から二度の提案済にも拘らず 党議決定に至っていない事が問題」

 

2024年7月24日産経新聞、

高市早苗氏「家族一体とした氏は残したい」、選択的夫婦別姓に反対 通称使用に法的根拠を - 産経ニュース

「高市早苗経済安全保障担当相は23日配信のインターネット番組「虎ノ門ニュース」で、選択的夫婦別姓の導入に改めて反対の立場を示した。「戸籍上のファミリーネーム、家族一体とした氏は残したいと思っている」と強調した。選択的夫婦別姓を巡っては経団連が6月に早期実現を求める提言を公表したほか、共産党の田村智子委員長らが同月の党首討論で岸田文雄首相に導入を働きかけるなど導入の是非が議論になっている。

高市早苗経済安全保障担当相は23日配信のインターネット番組「虎ノ門ニュース」で、選択的夫婦別姓の導入に改めて反対の立場を示した。「戸籍上のファミリーネーム、家族一体とした氏は残したいと思っている」と強調した。

選択的夫婦別姓を巡っては経団連が6月に早期実現を求める提言を公表したほか、共産党の田村智子委員長らが同月の党首討論で岸田文雄首相に導入を働きかけるなど導入の是非が議論になっている。」


地方行政の腐敗が浮かび上がりつつあるようです

2024年11月16日 22時57分20秒 | 気になるニュースあれこれ

 朝日新聞とNHKの記者が片山元副知事に圧をかけていたそうです。辞任の記者会見で、知事を守れなかった自分が情けないと涙していた理由がようやくわかってきました。斎藤前知事の街頭演説、選挙権がまだない中学生・高校生も関心をもって聴いているようです。ドラマや小説の上をゆくドロドロ劇を大人たちは彼らにどう説明するのだろうと思います。

 

2024年11月15日松田学チャンネル、

(594) 【11/15最新情勢分析】『マスメディア対ネット 兵庫県知事選挙で何が起こっているのか!?その2』報道アナリスト 新田哲史氏【サキシル動画は概要欄】 - YouTube

 

2024年11月16日SAKISIRU チャンネル、

(594) 【11/16 緊急スクープ生放送 第2弾】不倫発言「取り消せ」記者クラブの圧力に片山氏が屈服!朝日・読売激詰め実況中継 - YouTube

 

現役市長たちによるイジメ、

Xユーザーのmioraさん: 「西宮市長・川西市長・尼崎市長の3氏が力を合わせ、斎藤さんを貶めるポストを見つけてはリポストを繰り返すという陰湿なアカウント。 この写真も斎藤さんをネットリンチするためにわざわざ撮影したんだ…って思うと吐き気がするわ😰 #兵庫県知事選 #リンチと #ともにひょうご #西宮市長 #石井としろう https://t.co/jpUbEbGo66」 / X

 

 投票率があがらないかぎり、組織票により稲村氏が優勢という読みのようですが、外国人参政権、移民推進の極左知事が誕生してしまうのはこわすぎます。LGBT法、選択的夫婦別性制度・・・、全て日本を破壊する共産主義的思想です。危険すぎます。斎藤氏がいいわけではないのかもしれませんが稲村氏を上回ってほしいと思います。

 

2024年11月16日日本中学生新聞、

(594) 【兵庫県知事選挙】さいとう元彦候補 - YouTube

 


立憲民主党の国会議員、かなりヤバいですね

2024年11月16日 12時26分50秒 | 気になるニュースあれこれ

男性器のある心は女に女性トイレを使わせるよう経産省に圧をかけた国会議員

 

11月11日(月) 特別国会初日!経産省トイレ使用制限問題で聞き取り | 大椿ゆうこ Official Site

 

 女装したデカイおっさんと一緒に経産省に乗り込みおっさんに女性トイレを使わせろと圧をかけた社民党の大椿副党首が兵庫県知事選挙で、稲村候補の応援にいったようです。握手する写真があがっています。この点だけでも稲村候補が知事になってはいかんと言えそうです。

 大椿ゆうこ議員のブログにあるもう一人の国会議員、立憲民主党の石川大我議員。石川議員はLGBT活動に熱心で、台東区議会に乗り込みヤジを飛ばして委員長に退出を命じられても拒否して区議会を紛糾させるということがあったそうです。

Xユーザーの松村ともなり/台東区議会議員さん: 「全くもってあり得ません。 同じ政治としてもジャンルが違うと言われてます。 例えば野球とサッカーでは同じスポーツでも内容が違います。 地方議会と国会とは似て非なるものです。 ヤジを飛ばして委員長から退出を命じられても拒否するといった振る舞いで、結局委員会は紛糾し何度も中断されました。」 / X

 この女装したデカイおっさんはトランスジェンダージャパンという団体に所属、団体の元トップは性暴力事件で逮捕、さらにこの団体のメンバーが兵庫県知事選挙で斎藤候補に暴力を働いて選挙妨害しているしばき隊の一人とのこと。しばき隊は立憲民主党が送り込んでいるそうです。表に出て来るトランス女性を名乗るおっさんたち、とんでもない社会悪、女性と子供の安全を脅かす危険な人たちでしかありません。女装して差別するなと主張する男性、なぜか初老にさしかかっていると思われるおっさんが多いですね。人生間違えたのをこういうかたちでしか吐き出すことができなくなっているのか。こんなド変態たちの欲望を満たすためになんで女性と子供の安全が脅かされなければならないのか、意味わからんです。

 

Xユーザーの青谷ゆかりさん: 「@matsumura_88 こちらもご覧ください。真ん中の水玉の服の人のポストです。先日も経産省に女子トイレ利用制限撤廃をするように脅しに行ってましたた。動画を見ましたが怖かったです。」 / X

 

Xユーザーの青谷ゆかりさん: 「@matsumura_88 はい。この人の所属するトランスジェンダージャパンの元トップは性暴力事件で逮捕されました(浅沼智也というトランス男性です)しかしそれに対する対応もおざなりなまま、トランスジェンダーの権利!を方々で主張しています。またこの団体にはしばき隊(兵庫県知事選でも噂の)の谷口岳もメンバーです。」 / X

 

 立憲民主党のヤバさ、わたしが経験したどうでもいい話ですが、10年前労働紛争から左翼の弁護士たちに踊らされて気がついたら派遣法改正反対とやっていた時、がち活動家が入り込んできていました。シングルマザーで派遣社員として働き理不尽な目にあっているとうことでテレビや雑誌に顔をだして訴える女性がいましたが、経歴に嘘があり成田闘争で反対運動をやっていた過激派の一人だったと後に知りました。過激な運動がやって目立ちたいだけでネタはなんでもよかったということ。2・3年前に立憲から地方自治体議員の補欠選挙に出馬したのがツィッターで流れてきていました。当選したんだったかどうだったかは忘れました。都知事選で蓮舫さんの選挙演説の最前列に陣どっている姿が映っているのをたまたまYouTubeでみて相変わらずなんだと思いました。立憲ってこういう活動家とかおかしな人の集まりということか、自民党以上にヤバい。

衆議院選挙、八王子市で当選した有田氏もかなりヤバい人物だと言われていますが、有田氏も兵庫県知事選挙で稲村候補の応援にかけつけたようです。


フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活

2024年11月16日 01時20分02秒 | 本あれこれ

フランクル『夜と霧』より-第ニ段階収容所生活-苦痛

「余裕はまだあった。作業現場で昼食のスープが配られるとき、カボーはわたしの番になると、レードルをいくらか深く突っ込んで、樽の底のほうから豆を数粒すくいあげてくれた。それはなんの甲斐もなく、わたしは打ちすえられた。それでも、わたしの延命にまたひとつ、好都合なことが起こった。翌日、カボーはわたしをさりげなくほかの労働部隊に押しこんでくれたのだ。

 この、はたから見ればどうということもないエピソードが示すのは、かなり感情が鈍磨した者でもときには憤怒の発作に見舞われる、それも、暴力やその肉体的苦痛ではなく、それにともなう愚弄が引き金になる、ということだ。現場監督がなにも知らないくせにわたしの人生を決めつけるのをただ聞いているしかなかったとき、わたしはかっと頭に血がのぼった。「こんな男、下劣で粗暴で、うちの診療所の看護婦だったら、待合室から追い出しただろう」(と考えて、まわりの仲間の手前、子供っぽくわれとわが身をなぐさめたことを白状しなければならない)

 わたしたちに同情し、わたしたちの境遇をせめて作業現場にいるあいだだけでもましなものにしようと、できるかぎりのことをする監督もいた。そんな彼らですらくどくどと、ふつうの労働者はわたしたちのノルマよりも数倍の仕事をもっと短時間でこなす、と言った。けれども、ふつうの労働者はわたしたちのように、日に三百グラムのパン(というのは表向きで、実際はもっと少ない)と一リットルの水のようなスープで暮してはいないし、わたしたちのように、収容所に連れてこられた家族がすぐさまガス室送りになったのかどうかまったくわからないという精神的重圧にうちひしがれてもいないし、毎日毎時、死に脅かされてもいない、などと抗弁すると、この監督たちは、それもそうだと言ってくれた。わたしは気のいい現場監督に向かって、こんなことを言ったこともある。

「現場監督殿、わたしがあなたから土木作業を習得したように、あなたがわたしのもとで数週間のうちに脳穿刺(のうせんし)をものにしたら、心から尊敬しますよ」

 すると、現場監督はくっくっと笑った。

「第二段階の主な徴候である感情の消滅は、精神にとって必要不可欠な自己保存メカニズムだった。現実はすっかり遮断された。すべての努力、そしてそれにともなうすべての感情生活は、たったひとつの課題に集中した。つまり、ただひたすら生命を、自分の生命を、そして仲間の生命を維持することに。それで、夕方、作業現場から収容所にもどってきた仲間たちが、あの深々としたため息とともにこう言うのを、耳にたこができるほど聞くことにもなったのだ。

「やれやれ、また一日が終ったか」」

 

(ヴィクトール・E・フランクル、池田香代子訳『夜と霧(新版)』2002年 みすず書房、44-46頁より)