1月16日(土)17時開演、梅田芸術劇場公演、ライブ配信を視聴しました。宝塚歌劇団が全面協力、台詞も歌もほぼ同じだったと思います。キングポーの登場場面で歌っているところとエドガーの影が仮面をつけてモノクロの衣装で踊っていたところが変わったぐらい。舞台には3年という時空を超えて、まぎれもなく明日海りおエドガーが実在していました。エピローグの登場シーンでスポットライトがあたったとき、なんだか胸がいっぱいで涙でそうになりました。カーテンコールでは変わらないみりお節健在。「今日はライブ配信、あれ(パソコン・タブレット端末)の向こうでご覧のみなさまありがとうございます」と目いっぱい手を振って、キャストのみなさんに「みなさんも手を振ってください~」と。「DVDの収録日でもありました。お買い上げいただきありがとうございます」も変わらない。「23日にもライブ配信があります。おかわりしたい方は視聴料を払ってごらんください」「DVDに収録されてしまいましたがまだまだ進化し続けていきたいと思います」と座長としてあいさつする姿に、宝塚で真ん中に立ち続けてきた貫録とたのもしさを感じました。(東京宝塚劇場の前で遠巻き後ろ姿をみたことのあるみりおちゃん、誰よりも細かった、風が吹くと飛んでいきそうなぐらい細かったですが少し太れたかな)。2回目のカーテンコールにひとりで登場したあと「千葉くんアランを呼びたいと思います」と。呼ばれた千葉雄大くん、「舞台の上で千葉くんと呼ばれたの初めて」と緊張感から解き放たれた笑顔ですごく嬉しそうでした。共演できて嬉しいとリスペクトし合う姿が素敵でした。みりおちゃんエドガーの隣にアランとして存在し続けるのはものすごいプレッシャーだと思います。小顔のみりおちゃんと並んで違和感のない小顔、名乗りをあげくれてありがとうとお礼をいいたい気持ち。
宝塚とはまた違う幻想とリアルのはざまの美しい世界観。衣装も素敵でした。お化粧の違いもあるかもしれませんが、みりおちゃんエドガーの人間だったときのかわいい少年感とバンパネラになってからの血にうえた表情の違いがよりはっきりしたように感じました。幼い日森に捨てられ、たった一人の妹メリーベルを守ろうとして守りきれなかった葛藤、メリーベルが消滅したあとの孤独感・バンパネラとして生きていこうと強さがより伝わってきました。
あーちゃん(綺咲愛里)メリーベルとの兄妹は麗しすぎました。タカラヅカスペシャルでデュエットしたときのツーショットも麗しかったですが、不思議とより顔が似ているようにみえたのはそれぞれのなりきり度でしょうか。水車をくるくる回す、お前の目もくるくる回るの場面と、シーラとポーツネル男爵がキスした時の目隠し、あたふたが可愛すぎ兄妹。ピンク色、フリルたっぷりのドレスをまとったあーちゃんメリーベルもまた本物のフランス人形でした。可愛くて、バンパネラとなってからは本当に血を吸いそうな強さをもったメリーベル、可愛いという芸を極めたあーちゃん、納得のメリーベル。歌もダンスもより進化したかな、リアル男子にリフトされているの、不思議な感じでした。
夢咲ねねちゃんシーラ、豪華な肩出しドレスの着こなしと美しさ、貫録は期待値をこえていました。クリフォードに「脈がない」と言われた時の、指先まで美しい腕の透明感は、真っ白で向こう側が本当に透けて見えてきそうな、血が通っていないバンパネラ感にあふれていました。ポーツネル男爵に愛されている自信と貫録、鎖骨の美しさ、さすがでございました。あーちゃんとねねちゃん、トップ娘役の実績、ここにありという感じ。
麗しの宝塚OG3人の妖精に囲まれた小西遼生さんのポーツネル男爵のなりきり度が、タカラジェンヌではないかと思うぐらい完璧でした。ビジュアル、美しい衣装の着こなし、マントのひるがえし具合、しぐさ、ねねちゃんシーラとの並び、みりおちゃんエドガーとシーラの三人で馬車に乗っているときの美しい並び、リアルに完璧な一枚の絵のようなポーツネル男爵一家の長として存在感していました。秋に『生きる』では書生役でよれよれの着物を着ていた方が、役者さんってすごいですね。この、エドガーに歌う時の説得力が半端ないと感じました。「疑惑など打ち壊せ、ひるんではいけない」と一家を守ろうとする男爵の姿は、宝塚ファンの間で認知度がぐんぐんあがったのではないでしょうか。
「み言葉や 十字架を 恐れるな
ただの象徴だ
だが恐ろしいのは信仰だ
異端を認めずに
自分と違う者を排斥する」
涼風真世さんのドスのきいた老ハンナは狙いを定めた相手の血を逃さずいっぱい吸って生きてきた感がすさまじかった、還暦を迎えたとは思えない若さと美しさは、永遠の妖精、永遠のオスカル様、ブラヴァツキーの怪演ぶりとの演じ分け、お見事でした。福井晶一さんのキングポーはバルジャンが歌っている?いや違う、仮面をつけたエドガーの影6人は同級生と同じキャストの方々かな、キレッキレのダンスはトートダンサーのような身体能力の高さ、線の細さを感じさせるところが違和感なくてエドガーの葛藤がよりひきたつなあと感じました。
『ポーの一族』、小池修一郎先生の手腕が光る作品、たぶん原作の台詞をかなり使った歌詞はちょっぴりの哲学と楽曲の良さ、みりおちゃんエドガーの歌声、コーラスの美しさでなんどでも聴きたい、何度聴いても飽きることのない魅力があります。またまたオンデマンド配信された宝塚の映像もまたみています。
尽きませんが長くなったので今はこれぐらいで。
こんな時こそ現実を忘れる時間は必要、最後にひとりで緞帳の前に登場したみりおちゃん、不便をしながら劇場に来てくれたお礼と手洗い、規制退場への呼びかけ。無事に公演が続いていきますように・・・。


宝塚とはまた違う幻想とリアルのはざまの美しい世界観。衣装も素敵でした。お化粧の違いもあるかもしれませんが、みりおちゃんエドガーの人間だったときのかわいい少年感とバンパネラになってからの血にうえた表情の違いがよりはっきりしたように感じました。幼い日森に捨てられ、たった一人の妹メリーベルを守ろうとして守りきれなかった葛藤、メリーベルが消滅したあとの孤独感・バンパネラとして生きていこうと強さがより伝わってきました。
あーちゃん(綺咲愛里)メリーベルとの兄妹は麗しすぎました。タカラヅカスペシャルでデュエットしたときのツーショットも麗しかったですが、不思議とより顔が似ているようにみえたのはそれぞれのなりきり度でしょうか。水車をくるくる回す、お前の目もくるくる回るの場面と、シーラとポーツネル男爵がキスした時の目隠し、あたふたが可愛すぎ兄妹。ピンク色、フリルたっぷりのドレスをまとったあーちゃんメリーベルもまた本物のフランス人形でした。可愛くて、バンパネラとなってからは本当に血を吸いそうな強さをもったメリーベル、可愛いという芸を極めたあーちゃん、納得のメリーベル。歌もダンスもより進化したかな、リアル男子にリフトされているの、不思議な感じでした。
夢咲ねねちゃんシーラ、豪華な肩出しドレスの着こなしと美しさ、貫録は期待値をこえていました。クリフォードに「脈がない」と言われた時の、指先まで美しい腕の透明感は、真っ白で向こう側が本当に透けて見えてきそうな、血が通っていないバンパネラ感にあふれていました。ポーツネル男爵に愛されている自信と貫録、鎖骨の美しさ、さすがでございました。あーちゃんとねねちゃん、トップ娘役の実績、ここにありという感じ。
麗しの宝塚OG3人の妖精に囲まれた小西遼生さんのポーツネル男爵のなりきり度が、タカラジェンヌではないかと思うぐらい完璧でした。ビジュアル、美しい衣装の着こなし、マントのひるがえし具合、しぐさ、ねねちゃんシーラとの並び、みりおちゃんエドガーとシーラの三人で馬車に乗っているときの美しい並び、リアルに完璧な一枚の絵のようなポーツネル男爵一家の長として存在感していました。秋に『生きる』では書生役でよれよれの着物を着ていた方が、役者さんってすごいですね。この、エドガーに歌う時の説得力が半端ないと感じました。「疑惑など打ち壊せ、ひるんではいけない」と一家を守ろうとする男爵の姿は、宝塚ファンの間で認知度がぐんぐんあがったのではないでしょうか。
「み言葉や 十字架を 恐れるな
ただの象徴だ
だが恐ろしいのは信仰だ
異端を認めずに
自分と違う者を排斥する」
涼風真世さんのドスのきいた老ハンナは狙いを定めた相手の血を逃さずいっぱい吸って生きてきた感がすさまじかった、還暦を迎えたとは思えない若さと美しさは、永遠の妖精、永遠のオスカル様、ブラヴァツキーの怪演ぶりとの演じ分け、お見事でした。福井晶一さんのキングポーはバルジャンが歌っている?いや違う、仮面をつけたエドガーの影6人は同級生と同じキャストの方々かな、キレッキレのダンスはトートダンサーのような身体能力の高さ、線の細さを感じさせるところが違和感なくてエドガーの葛藤がよりひきたつなあと感じました。
『ポーの一族』、小池修一郎先生の手腕が光る作品、たぶん原作の台詞をかなり使った歌詞はちょっぴりの哲学と楽曲の良さ、みりおちゃんエドガーの歌声、コーラスの美しさでなんどでも聴きたい、何度聴いても飽きることのない魅力があります。またまたオンデマンド配信された宝塚の映像もまたみています。
尽きませんが長くなったので今はこれぐらいで。
こんな時こそ現実を忘れる時間は必要、最後にひとりで緞帳の前に登場したみりおちゃん、不便をしながら劇場に来てくれたお礼と手洗い、規制退場への呼びかけ。無事に公演が続いていきますように・・・。

