たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

東京宝塚劇場リニューアル20周年パネル展-宙組

2021年01月24日 23時14分25秒 | 宝塚
東京宝塚劇場リニューアル20周年
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/714e1b70a6e7774df29c5fe4dfb80a47

東京宝塚劇場リニューアル20周年パネル展-宙組
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/32971398dccaa3abb5cc0bfa8c39cf0b

私が宝塚に戻ってきてから、ライブビューイングも含めて観劇した作品。


まあ様のトップスター時代。



このまあ様ドミトリーのカッコよさは永遠。今のキュートな笑顔のまあ様はかっこ可愛い。どちらもよき。



真風さんがトップスターになってからの作品。

『天は赤い河のほとり』がすでに懐かしい。









現在上演中の『アナスタシア』、公演期間が1月2日から2月21日までとなっているところに、無事に千穐楽を迎えるのだという劇団の意気込みと凛とした姿勢を感じます。

真風さんディミトリのロングコートの着こなしがどの場面もスマートでかっこよくてさわやかなプリンス感満載、まどかちゃんアーニャはキラキラと光り輝いています。

もともとの予定では東京はいちばん暑い季節の公演。この衣装では暑かったですね。
半年おくれでいちばん寒い季節の公演となり、季節感がマッチしました。

『神々の土地』の少しあとの物語。宙組、ロシアものにつよし。













写真がごっちゃになって載せきれていなかった、2001年の『カステルミラージュ』『ダンシング・スピリット』、

花ちゃん、むしろ今のほうが若くみえることもあって、ここからおよそ20年の歳月が流れているなんてほんとに不思議。まどかちゃん、花ちゃんのようなスーパー娘役になっていくのかなとふと思います。今でもスーパーだけど、さらにプリンセス役者として高みへとのぼっていくのかな。



『アナスタシア』、先週19日と23日に観劇して、短い間にも進化しているのを感じました。グレブ@キキちゃんの「アーニャ~♪アーニャ~♪」が耳にのこっていて離れない。どんどん壮大になっています。来月もう一回チケットあるから楽しみです。エピローグでアーニャがディミトリと同じメロディーラインを歌っている?と気づいたり、細かいところはかなり見通しているところがあるような気がしますがりもうおばあさんだし疲労もあるから仕方ない。とにかく映像の演出と歌が素晴らしくてファンタジックな楽しい作品。サンクトペテルブルクからブタペストを経てパリをめざす列車が吹雪の中や木々の枝の下を走りぬけていくときの映像の美しさと盆周りを駆使した演出、窓から顔を出して歌うところが特に心躍る楽しさ。みどころがありすぎてきりがないのでまた少しずつ。

今週と来週5日間フルなのかと思うとゾッ、脳みそと心が疲れてつらいですが自分を食わせていくためにはわずかなお給料でも求めていくしかありません。わたしなんかほんとはもうとっくに終わっていますが、苦しい時間のあとには『ポーの一族』のライブ配信と雪組千穐楽ライブビューイングが待っている、『アナスタシア』もまだ見届ける、それまで死ぬわけにはいかないとの思いで一日一日生き延びていくだけ。

宙組元気度200パーセント、キラキラ度200パーセント、
ここにはまだ夢と希望がある、そんな場所が人生には必要。

無事に公演が続いていきますように・・・。




モタメディ遥子『シルクロードの十字路で』

2021年01月24日 17時00分16秒 | 本あれこれ


《女3人、ランドローバーを走らせる》

 著書、アーリーン、ナンシー、そして運転手のカディールと共にアイハヌムに旅立つ。
 アイハヌムは、アフガニスタンとソ連との国境線になっているアムダリア、別名オクサス河とバダクシャン地方より流れ出るコクチャ河の合流点に位置する。1963年に偶然発見された広大な遺跡。古代ギリシア都市の特徴をもちながらも地方の特色を兼ねた、いわゆるアレキサンドリアの一つとも考えられている。
 以来、アフガニスタンに駐在するフランス考古隊のポール・ベルナール教授によって、毎日発掘が行われている。

《東西文明の交流点、アイハヌム遺跡》

-ついに発見されたバクトリア時代の遺跡-

 バクトリア地方は、ヒンドゥークシ山脈とアムダリアとの間にある地域で、古代より交通の要地として知られている。アケメネス王朝のキュロス王の時、ペルシア帝国の一州として併合された。西暦紀元前4世紀、アレクサンドロス大帝に征服され、後にはマケドニア王国に属していた。が、しばらくしてからセレウコス家のシリア王国に支配され、ヘレニズム文化の流入で、ギリシア人植民都市がつくられた。紀元前3世紀の中頃、ディオドトスはこの統治にあきたらず立ち上がり、始めてここにギリシア・ベクトリア王国を設立した。
 
 その後、デメトリオス王の時代、紀元前190年頃、当時衰微してきたマウリア王朝に代わって、インダス河流域に侵入し、支配権を得た。

 ”ミリンダ王の問い”で有名なメナンドロス王も紀元前163年頃即位し、パンジャーブ地方に君臣した。しかし、王位が争われ、権力が分散し、王朝の力はしだいに衰えていった。これに乗じて西よりパルチア国が、北からスキタイ諸部族が侵入し、ついに紀元前189年に滅亡した。