アガサ・クリスティー『愛の重さ』-第三部ルウェリン-第一章より
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「メッセージ、特定の雑誌の読者への、ある国民へのメッセージ、人間への、全世界へのメッセージー
しかし彼自身には与えるべきメッセージなど、あったためしがなかったのである。たしかにメッセージの伝達者ではあった。しかし、伝達者であるということと、自らメッセージを語る者とでは、まったく違う。しかし、誰もそれをわかってくれそうにないのだった。
休息-それこそ、彼がいま必要としているものであった。休息としばしの時。自分自身がどういう人間であるか、また何をなすべきかを熟考すべき時。彼は四十にして人生の再出発をし、一私人としての生活をはじめなければならないのであった。メッセージの伝達者としての15年間に彼ルウェリン・ノックスに何が起こったか、まずそれを見出すことが必要だった。
小さなグラスにたたえられた淡い色の液体をすすりながら、また、あたりに坐っている人々や、波止場や、そのともしびを眺めながら、ルウェリンはこの島こそ、それらすべてを見出す絶好の場所であるという思いを強くしていた。彼が欲しているのは、砂漠の孤独ではなかった。人間仲間との接触であった。もともと彼は隠遁者とか、禁欲主義といったたちの男ではなかった。修道院の隔絶した生活には召命を感じなかった。彼が必要としているのは、ルウェリン・ノックスとは誰か、どんな人間かということを見出すことである。それを知った後、彼は前進するだろう。そして人生の道をふたたび歩みはじめるだろう。
おそらく問題は、カントの三つの提言に還元されることになろう。
自分は何を知っているか?
何を望むことができるか?
何をなすべきか?
この三つの問いのうち、彼が答えることのできるのは二番目の問だけだった。」
(アガサ・クリスティー、中村妙子訳『愛の重さ』早川書房、昭和62年4月30日第七刷、201-202頁より)
→続く