たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

子供のマスク着用の弊害

2022年02月08日 15時04分01秒 | 気になるニュースあれこれ
2022年1月30日付女性セブンより、

「子供のマスク着用の弊害 脳の酸素不足で学習意欲、登校意欲の低下もー

「マスクは、子供の脳から酸素を奪います」。そう主張したのはドイツの神経科医マーガレッタ・グリーズ・ブリッソン医師だ。彼女は子供がマスクの着用を続けると慢性的な酸欠状態になるとして、2020年に公開した動画で次のように警鐘を鳴らした。

「酸欠の一時的な警告症状として頭痛や眠気、めまい、集中力の低下などが起こります。しかし、慢性的に酸素が少ない状態が続けば、人体はそれに慣れていくので、頭痛などの警告症状は消えます。とはいえ、脳の酸素不足は進行し続けます。

 成長期の子供にとってマスクは絶対によくありません。子供と青年は非常に活発な適応免疫システムを持っています。若い人は脳も非常に活発で、学ぶことがたくさんあります。若者たちの脳は、常に酸素を渇望しているのです」」

https://www.news-postseven.com/archives/20220130_1722610.html?DETAIL

 
「保育園児のマスク着用「子どもや保護者の意図に反して無理強いすることのないよう一時的に推奨。2歳未満児は推奨せず」後藤厚労大臣」

https://news.yahoo.co.jp/articles/9da566a5712c357cf62f67e6805c2a03cdd7ce5a


 子どもたちに同調圧力をかけるような施策がこれ以上必要でしょうか。朝から外に出れば、大人がみんなマスクをしているため保育園に通っている子どもたちほど喋れなくなっているという、心配なツィートをみかけました。家庭内感染を防ぐために?家の中でもマスク、お風呂に入るときもマスク、家の中にテントを立てることを推奨するという専門家?まで現れたようですが、本当にそこまで必要なのでしょうか。子どもの一日、一か月、一年と、大人の一日、一か月、一年は、時間軸が全く違います。子どもたちの健全な心身の発育の機会をこれ以上奪っていいのでしょうか。

→わかっているのなら、もう子どもたちを解放してあげてほしいです。

「尾身氏、高齢者「対策徹底を」 オミクロン株巡り」

https://news.yahoo.co.jp/articles/c2612887b9a46a6b0d2235164f80a542376270a9/comments?page=2&t=t&order=recommended


大阪府豊中市保健所の公式ツィッターより、

「豊中市内の皆さま、保健所長です。

12/10~2/6に豊中市は9,206人の新規陽性者を確認し、4人の死亡報告を受けました。謹んでお悔やみ申し上げます。
4人は全て高齢者施設の80歳代から90歳代。
調査出来た3人は、「蘇生の希望なし」かつ「直接の死因はコロナではない」が共通しています。」

重症化しやすい高齢者施設等には引き続きクラスター対策を実施していきます。
基本的な感染対策とワクチン接種の推進に、ご理解とご協力をお願いします。」

https://twitter.com/toyonakame




2022年2月7日付弁護士ドットコムより、

「グローバルダイニング訴訟、京大・藤井聡教授が都を痛烈批判「学部生レベルの検証もできていない」

藤井教授は、都が人流抑制や飲食店への時短要請などの根拠としている「新型コロナウイルス感染症対策分科会」の資料で、21時以降の人出抑制は感染対策上「有益」と記されていることについて、「有益」なる単語は統計学上存在しないと指摘。統計学的に問題となるのは恣意性を排した「有意」か否かだとした。

その上で、分科会資料と同じデータを使用し、大学の学部生レベルの一般的な手法で再度分析したところ、21時以降の人出抑制は「有意でない(意味がない)」との結果になったと証言した。」

https://news.yahoo.co.jp/articles/19ca71de8ec0a59d8dfef3ed2405a65c9f27abd9

 ワクチン接種100万回という目標数値は、感染対策ではなく、政権維持のため?になっているという話、この茶番劇はいつまで続くのか・・・。

アガサ・クリスティー『愛の重さ』-第四部はじめのごとく-第二章より

2022年02月08日 00時30分55秒 | 本あれこれ
アガサ・クリスティー『愛の重さ』-第三部ルウェリン-第一章より(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/9a9dafce998751ae3d63efc5809851ac




「「おわかりにならないのですわ、あなたには。わたしは償いをしなくてはなりません。自分の犯した罪の償いを。過ちは誰でも償わなくてはならないのです」

「あなたは償いという固定観念にとらわれていらっしゃる」

 ローラは繰り返した。

「誰れも償いをしなくてはならないのです」

「そう、それは本当でしょう。しかし、ローラ、あなたにはわからないのですか?」ルウェリンはちょっと言葉を切った。これから告げようとしているもう一つの苦い真実、彼女の知らなければならない真実を口にするには、少なからぬ勇気を必要とした。「あなたのしたことに対して、すで身を以て償った人がいるとは思いませんか?シャーリーですよ」

 ローラはぎょっとした顔で相手を見つめた。
 
 ルウェリンは頷いた。

 「そうです、そのことを心に留めて、あなたは生き続けなければならないのです。シャーリーが支払ったのです。あなたに代って。シャーリーは死に、負債は償われました。あなたは雄々しく生きなければならない。過去を忘れるわけではなく、それをその属する所に-毎日の生活の中にではなく、あなたの思い出の中にとどめて。あなたは刑罰でなく、幸福を受けいれなくてはいけない。そうです、幸福を。与えることをやめて、受けることを学ばねばならないのです。神の計らいはいと奇しい。神はあなたに幸福と愛を賜ろうとしておられるーそうわたしは心から信じています。へりくだって、その賜物をお受けなさい」

「できません!わたしにはできませんわ!」

「しかし、そうしなければならないのですよ」

 彼は彼女を引き寄せてそっと立たせた。

 (略)

 ローラは彼に微笑を向けた。彼の愛と心遣いがひしひしと身にしみていた。

 彼女は今、子どものとき、切に望んだように愛され、求められているのだった。

 そして突然、ほとんど無意識に、彼女の肩はこころもちさがった。あたかも荷が、ごく軽いながらも、一つの荷が、今その肩の上にそっと置かれたように。

 生まれてはじめてローラ・フランクリンは、愛の荷の意味を理解したのであった。」

(アガサ・クリスティー、中村妙子訳『愛の重さ』早川書房、昭和62年4月30日第七刷、327-328頁より)