2020年5月17日:2014年『CELEBRATION100!TAKARAZUKA』_思い出し日記(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/df91d3302fb7e92b6274b71c0335093e
(公演プログラムより 眞帆志ぶきさん、三木章雄先生の対談)
「在籍23年、そのうち13年がトップスター扱いという眞帆志ぶき。彼女と共に、宝塚歌劇100周年んを記念して設立された<宝塚歌劇の殿堂>入りとなった三木章雄。(略)長い付き合いの二人が、数々の伝説を生んだスータンの<宝塚初めて物語>を存分に語ります!
🌹眞帆が宝塚に入団したのは1952年。男役といえど女声のキーで歌うのが通常だった宝塚歌劇で、彼女はまだ若手だったにもかかわらず、男役のキーを低くするという革命をもたらし、一躍注目の人となった。
三木;眞帆さんというと雪組のイメージが強いけれど、若手時代は花組で活躍されていたんですね。
眞帆;歌って踊って芝居しての三つがね、最初はどうやっていいのか分からなかった。おまけに言葉の壁があって、大阪弁で叱られても(関東出身の)私には通じないの。でも演出家の意図するところをつかまなくちゃいけない・・・勉強しましたね。フランス映画に通って。日本映画だと石原裕(次郎)ちゃん♪ それから市川雷蔵さん。あとはね、天津乙女さんや春日野八千代さんをはじめとする先輩たち。
三木;当時の男役は、燕尾服を着てもソプラノで歌っていました。
眞帆;私も最初はメゾでした。でもある時「すみれの花咲く頃」を加茂さくらさんとデュエットすることになって、彼女のソプラノが映えるよう私がキーを低く、ジャズ的なフィーリングで歌ってみたら「面白い子が出てきた」って公演評にも書かれて。その頃、大劇場で初めて新人公演が行われることになったんですが、私がその新人公演で主役に抜擢されて、そりゃもう嬉しかったですね。その時も本役どおりでなく低く歌ってみたら「良かった」と褒められて。でも、褒められたら褒められたで上級生の前を歩きにくくってねぇ。
🌹1960年に花組から雪組へ組替えとなり、活躍の場を広げる眞帆。次々に新しい風を吹き込んでいった。
眞帆;その頃の雪組は芝居上手がそろってて。千穐楽は、お客様を喜ばせようと「ちゃんと元の筋に戻しますから怒らないでください」って白井(鐵造)先生にご挨拶したら「好きなようにやってみなさい」って。鴨川(清作)先生もそういうの好きでしたから、千穐楽はいっぱい遊ばせてくれたの。千穐楽でのお遊びのはしりです。私は三枚目を演じるのが好きだったの。
🌹エンターテイナーとして評価の高い眞帆。ショーでは最先端の音楽やリズムで独自の世界を展開する。
三木:寿美花代さんの『華麗なる千拍子』の頃からジャズっぽいものが宝塚のショーに出てきたけれど、スータンは土着的な舞台のパイオニア。宝塚の男役って春日野八千代さんみたいに美しさで酔わせるタイプと、スータンみたいに想像もつかない何かを見せてくれそうで目が離せなくなるタイプがいて、今の生徒たちにもいろんなかたちで影響が残ってます。僕は1971年年に入団して、初めてスータンにお目にかかったのが『ノバ・ボサ・ノバ』なんですが、スータンが稽古場に現れるファッションがアメリカのモード誌から抜け出したようで、毎日「今日はどんな格好をしてくるんだろうな」と楽しみでした。
眞帆;私、ファッション好きなの。髪の毛を1㎝位の短髪にカットしたこともあったわ。
三木;眞帆さんがトップとして参加しあ1965年のパリ公演で、宝塚は初めて洋物ショーを海外で上演しました。外国の方は反応がいいですね。
眞帆;あちらのお客様は主役が誰だか知らないはずなのに、劇場の空気感や熱気で注目されているのが分かるの。パリ公演が振付家のパディ・ストーンとの出会いでした。コサック・ダンサーが真剣に踊っている中、私だけが上手くできない三枚目の役で「あー、しんどい」とボヤく場面、あれは受けたわね。私、真面目な場面の中にちょっと楽しいものを入れるのが好きなの。
三木:ストーンはガッツリと盛り上げる振付を得意とした人だけど、面白いナンバーもすごく上手。オチがあって、ユーモアがあって。スータンはユーモア担当。『ポップ・ニュース』の酔っぱらいが回転ドアをぐるぐる回る場面で、どんどん酔っていく人をカリカチュアするセンスといったら!
眞帆;あの役はまたやりたいわ。」
真帆志ぶきさん、わたしは2014年5月22日(木)、最初で最後、拝見しました。
細身の小柄な体にキラキラ、キラキラと光る衣装を着こなし、曲名はわからなかったのですが低音ボイスを響かせて腹の底から豊かな声量で歌われる姿に驚愕しました。正直、初風諄さん、榛名由梨さんと三人で思い出話をされていた時は、年齢相応といえば年齢相応だったと思いますが、弱々しいと感じる声に、この方が歌えるのだろうかとすごく失礼と思いましたが心配でした。歌い始めた途端、そんな危惧はぶっとびました。表情もきりっと変わり、舞台に立っていたのは男役トップスター真帆志ぶきさんでした。もしかしたら立っていることすらきつかったのかもしれないと思うのですが、長きにわたりトップスターをつとめたタカラジェンヌの底力、誇りと自信を目の当たりにした思いでした。わたしのなんぞのことばではほとんど表現しきれない、そこに立っていたのは男役トップスター、真帆志ぶきさんでした。80歳を過ぎて全身にキラキラをまとい、そのキラキラに負けないオーラを放つ、ほんとにすごい方でした。こうして一度きりでしたが生で拝見できたのは貴重な出会いでした。
1992年月組公演『メモリーズ・オブ・ユー』の中でパディ・ストーン振付の「バナナボート」と「ココナッツボーイ」の場面が再演されました。かつて真帆志ぶきさんが演じた役を涼風真世さんが演じるということで話題になりました。公演プログラムには、稽古場に演技指導に訪れた、まだ60代だった真帆志ぶきさんのお姿と指導を受ける月組生の姿が掲載されたことを思い出します。四つん這いになった男役たちの背中に涼風さんがのってバナナを食べようとするんだったかな、楽しい振付、オーソドックスな宝塚のショーにはない面白い場面、動きはハードだと思いました。
真帆志ぶきさん、2020年3月9日、87歳でAnotherWorldへと旅立たれました。
2018年星組公演『AnotherWorld』のあと、宝塚ファンは、冥途歌劇団ではどなたか主役の舞台を上演しているのかな、柴田先生が新作を書き下ろしているのかな、あちらもチケットとるの大変かしらと思い巡らすことができるようになりました。谷正純先生、こんな作品をありがとうございます。わたしもAnotherWorldへ行ったらチケット争奪戦に参戦する気満々です。AnotherWorldは永遠ですから、真帆志ぶきさんの舞台にもきっと会えるでしょう。
初風諄さんが「青きドナウの岸辺」を歌われた時は、さすがに歌声も年を重ねていると感じましたが小学生だったわたしが憧れた昭和のベルばらのマリー・アントワネットが歌っていることになんともことばにしようのない胸があつくなる思いでした。
OG公演、現役時代をなぞるというよりはダンスも歌もさらに磨きがかかり、人生を重ねてきたから醸し出せる強さがそこにはあって退団されてからの時間を感じつつ拝見する楽しさがあります。
あと一回だけ書きたい気持ち。
ささやかなブログへの訪問、ありがとうございます。夕方から下書きをはじめて、6年越しで書きたかったことがようやく書けました。
『ジャージー・ボーイズ』の中止が決まり、主演作が二本続けて中止となったアッキー(中川晃教さん)からのメッセージ。
「コロナは必ず終息する。今は健康第一に、命があれば、また何でもできる。
そう僕は見方を変えました。
この無念さも、きっと前向きなものへと意味を変える日がきますように!
人生に無駄なものはないから、ここから、より良いものに高めていけなすよねっ。」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/df91d3302fb7e92b6274b71c0335093e
(公演プログラムより 眞帆志ぶきさん、三木章雄先生の対談)
「在籍23年、そのうち13年がトップスター扱いという眞帆志ぶき。彼女と共に、宝塚歌劇100周年んを記念して設立された<宝塚歌劇の殿堂>入りとなった三木章雄。(略)長い付き合いの二人が、数々の伝説を生んだスータンの<宝塚初めて物語>を存分に語ります!
🌹眞帆が宝塚に入団したのは1952年。男役といえど女声のキーで歌うのが通常だった宝塚歌劇で、彼女はまだ若手だったにもかかわらず、男役のキーを低くするという革命をもたらし、一躍注目の人となった。
三木;眞帆さんというと雪組のイメージが強いけれど、若手時代は花組で活躍されていたんですね。
眞帆;歌って踊って芝居しての三つがね、最初はどうやっていいのか分からなかった。おまけに言葉の壁があって、大阪弁で叱られても(関東出身の)私には通じないの。でも演出家の意図するところをつかまなくちゃいけない・・・勉強しましたね。フランス映画に通って。日本映画だと石原裕(次郎)ちゃん♪ それから市川雷蔵さん。あとはね、天津乙女さんや春日野八千代さんをはじめとする先輩たち。
三木;当時の男役は、燕尾服を着てもソプラノで歌っていました。
眞帆;私も最初はメゾでした。でもある時「すみれの花咲く頃」を加茂さくらさんとデュエットすることになって、彼女のソプラノが映えるよう私がキーを低く、ジャズ的なフィーリングで歌ってみたら「面白い子が出てきた」って公演評にも書かれて。その頃、大劇場で初めて新人公演が行われることになったんですが、私がその新人公演で主役に抜擢されて、そりゃもう嬉しかったですね。その時も本役どおりでなく低く歌ってみたら「良かった」と褒められて。でも、褒められたら褒められたで上級生の前を歩きにくくってねぇ。
🌹1960年に花組から雪組へ組替えとなり、活躍の場を広げる眞帆。次々に新しい風を吹き込んでいった。
眞帆;その頃の雪組は芝居上手がそろってて。千穐楽は、お客様を喜ばせようと「ちゃんと元の筋に戻しますから怒らないでください」って白井(鐵造)先生にご挨拶したら「好きなようにやってみなさい」って。鴨川(清作)先生もそういうの好きでしたから、千穐楽はいっぱい遊ばせてくれたの。千穐楽でのお遊びのはしりです。私は三枚目を演じるのが好きだったの。
🌹エンターテイナーとして評価の高い眞帆。ショーでは最先端の音楽やリズムで独自の世界を展開する。
三木:寿美花代さんの『華麗なる千拍子』の頃からジャズっぽいものが宝塚のショーに出てきたけれど、スータンは土着的な舞台のパイオニア。宝塚の男役って春日野八千代さんみたいに美しさで酔わせるタイプと、スータンみたいに想像もつかない何かを見せてくれそうで目が離せなくなるタイプがいて、今の生徒たちにもいろんなかたちで影響が残ってます。僕は1971年年に入団して、初めてスータンにお目にかかったのが『ノバ・ボサ・ノバ』なんですが、スータンが稽古場に現れるファッションがアメリカのモード誌から抜け出したようで、毎日「今日はどんな格好をしてくるんだろうな」と楽しみでした。
眞帆;私、ファッション好きなの。髪の毛を1㎝位の短髪にカットしたこともあったわ。
三木;眞帆さんがトップとして参加しあ1965年のパリ公演で、宝塚は初めて洋物ショーを海外で上演しました。外国の方は反応がいいですね。
眞帆;あちらのお客様は主役が誰だか知らないはずなのに、劇場の空気感や熱気で注目されているのが分かるの。パリ公演が振付家のパディ・ストーンとの出会いでした。コサック・ダンサーが真剣に踊っている中、私だけが上手くできない三枚目の役で「あー、しんどい」とボヤく場面、あれは受けたわね。私、真面目な場面の中にちょっと楽しいものを入れるのが好きなの。
三木:ストーンはガッツリと盛り上げる振付を得意とした人だけど、面白いナンバーもすごく上手。オチがあって、ユーモアがあって。スータンはユーモア担当。『ポップ・ニュース』の酔っぱらいが回転ドアをぐるぐる回る場面で、どんどん酔っていく人をカリカチュアするセンスといったら!
眞帆;あの役はまたやりたいわ。」
真帆志ぶきさん、わたしは2014年5月22日(木)、最初で最後、拝見しました。
細身の小柄な体にキラキラ、キラキラと光る衣装を着こなし、曲名はわからなかったのですが低音ボイスを響かせて腹の底から豊かな声量で歌われる姿に驚愕しました。正直、初風諄さん、榛名由梨さんと三人で思い出話をされていた時は、年齢相応といえば年齢相応だったと思いますが、弱々しいと感じる声に、この方が歌えるのだろうかとすごく失礼と思いましたが心配でした。歌い始めた途端、そんな危惧はぶっとびました。表情もきりっと変わり、舞台に立っていたのは男役トップスター真帆志ぶきさんでした。もしかしたら立っていることすらきつかったのかもしれないと思うのですが、長きにわたりトップスターをつとめたタカラジェンヌの底力、誇りと自信を目の当たりにした思いでした。わたしのなんぞのことばではほとんど表現しきれない、そこに立っていたのは男役トップスター、真帆志ぶきさんでした。80歳を過ぎて全身にキラキラをまとい、そのキラキラに負けないオーラを放つ、ほんとにすごい方でした。こうして一度きりでしたが生で拝見できたのは貴重な出会いでした。
1992年月組公演『メモリーズ・オブ・ユー』の中でパディ・ストーン振付の「バナナボート」と「ココナッツボーイ」の場面が再演されました。かつて真帆志ぶきさんが演じた役を涼風真世さんが演じるということで話題になりました。公演プログラムには、稽古場に演技指導に訪れた、まだ60代だった真帆志ぶきさんのお姿と指導を受ける月組生の姿が掲載されたことを思い出します。四つん這いになった男役たちの背中に涼風さんがのってバナナを食べようとするんだったかな、楽しい振付、オーソドックスな宝塚のショーにはない面白い場面、動きはハードだと思いました。
真帆志ぶきさん、2020年3月9日、87歳でAnotherWorldへと旅立たれました。
2018年星組公演『AnotherWorld』のあと、宝塚ファンは、冥途歌劇団ではどなたか主役の舞台を上演しているのかな、柴田先生が新作を書き下ろしているのかな、あちらもチケットとるの大変かしらと思い巡らすことができるようになりました。谷正純先生、こんな作品をありがとうございます。わたしもAnotherWorldへ行ったらチケット争奪戦に参戦する気満々です。AnotherWorldは永遠ですから、真帆志ぶきさんの舞台にもきっと会えるでしょう。
初風諄さんが「青きドナウの岸辺」を歌われた時は、さすがに歌声も年を重ねていると感じましたが小学生だったわたしが憧れた昭和のベルばらのマリー・アントワネットが歌っていることになんともことばにしようのない胸があつくなる思いでした。
OG公演、現役時代をなぞるというよりはダンスも歌もさらに磨きがかかり、人生を重ねてきたから醸し出せる強さがそこにはあって退団されてからの時間を感じつつ拝見する楽しさがあります。
あと一回だけ書きたい気持ち。
ささやかなブログへの訪問、ありがとうございます。夕方から下書きをはじめて、6年越しで書きたかったことがようやく書けました。
『ジャージー・ボーイズ』の中止が決まり、主演作が二本続けて中止となったアッキー(中川晃教さん)からのメッセージ。
「コロナは必ず終息する。今は健康第一に、命があれば、また何でもできる。
そう僕は見方を変えました。
この無念さも、きっと前向きなものへと意味を変える日がきますように!
人生に無駄なものはないから、ここから、より良いものに高めていけなすよねっ。」