たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

月曜日からげっそり

2018年02月19日 22時34分55秒 | 日記
 今日も朝から冷たい風と晴れ渡った空と乾燥とで、雨が降りませんね。落ち着きません。週末になるとようやく雨が少し降るのかな。予報だった雪は降らず幸いでしたが、雪はいいので雨降ってほしい、からの月曜日。長い一週間が始まってしまいました。ほんとに長いと思います。なんだか月曜日だけでお腹いっぱいの疲労感。午後は大変な面談を一本予定していたのが想定外にその前に一本突然ふってきて、結果的に考えれば当然といえば当然だったのかもしれませんがすごく大変な内容が間髪入れずに二本続いたので疲れました。集中力がこれでもうなくなってしまったのに、さらに夕方想定外に一本。これはすごく大変というわけではありませんでしたが確認しなければならないことはあり、でもなにを確認するんだったか、もうすぐには頭が回りませんでした。なんだかね、月単位で考えるとわたしの薄給の倍以上にものがはいってくる人のことを薄給にわたしが心配しているのが哀しくなりました。心配しなくったっていいんじゃん、たくさんあるじゃないですかっていう話で、そんなこんなに振り回されて、きりのいいところで今日の分の事務作業を終わらせようとしたら、いやそれでも終わらないのですが時間押さざるを得ず、それでも残業代を一切請求することはできないのに、せっせこせっせことやっている自分がなんだか切なくなりました。なんだかね、自己管理できないのにこんなに持たせてしまうのはよくないんじゃないかと思うのですが、そういう仕組みになっているから仕方ないわけで、それで薄給の自分が苦労しているの、なんだかやってられないなあと思います。相変わらずひとつひとつわからず、気を使いながら確認しないと間違えてしまうことだらけで、相変わらず、すいませんすいません、ほんとにすいません、って言いながらあたふたしながら、やっている毎日。ほんとにいちいちわからない。そもそも基礎的な知識がほとんどないままやっているので知らないことだらけ、わからないことだらけ。範囲がひろすぎてはてしないです。明日も明後日もうざい顔をされても、いちいち確認しながらでないとやれないので、何が突然ふってくるのかわからないので効率よくまとめて確認するということがむずかしくって、締めに間に合うように終われるという感じが全くしません。やることはどっさり、次々とふってくるので何からやればいいのかわからない状態です。

 昨夕はおそい時間にスパの2時間利用で先週の澱んだものを洗い流してきました。それでなんとか迎えることができたあらたな一週間。新しい一週間とか、そんな綺麗ごと言えません。まだ月曜日。疲れました。そろそろ、いい加減雨降りませんかね、そろそろ、いい加減雨降ってほしいです、っていう気持ちをこめてしっとりとした恋人たちたちの小径のお写真。

 明日はまだ火曜日、一日も早く週末になりますように、って長いですね。明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。

星組『スカーレット・ピンパーネル』思い出し日記

2018年02月18日 18時25分01秒 | 宝塚
 なんとか生き返ってきた日曜日。昨夜は歯磨きをしないまま眠ったかもしれませんが記憶にありません。それぐらい疲れていたのか。起きた時は体が痛かったです、肩、腰、股関節、足。荷物の片づけはきりがなく、ひと区切りの目途がついたところでちっそくしそうな部屋を逃げ出して、五日間フルタイムのきびしい一週間に備えたささやかな息抜きタイム。今週はシステムの締め日があるのでほんとにきびしいんです。振り回されなければ進みますけど、想定外の電話やらに振り回されているうちに一日が終わってしまうんですよね。


ようやく、こちらの記事の続き

2017年6月11日星組『スカーレット・ピンパーネル』_ひとかけらの勇気http://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/287777f7c20a2d1f838f6662c140cadd

 
 『マタ・ハリ』、雪組『ひかりふる路』とワイルドホーンさんが楽曲を提供した作品が続いた流れで、ずっと書きたかったのが書けないままきていたのをようやく。昨年二か所目の就労が始まる前々日でした。思い出すだけで、自分でもくらくらします。はあっ、よくやってるよね、ほんとに。

 ライブビューイングでしたが、星組を観劇したのはたーたん(香寿たつきさん)の退団公演以来。十何年ぶりになるんだろう。万里柚美さんが組長。ずっと星組ひとすじにがんばっていらっしゃる姿に感動。最後退団者の挨拶の前に、スケジュールを読み上げる時、全く手元をみることなく全部頭に入っているの、びっくりでした。


 なんの前知識もなく観劇しましたが、展開についていくことができました。1997年ブロードウェイ初演、2008年星組、2010年月組に続いて7年ぶり三度目の公演。史実はおもたいですが、作品は明るい冒険活劇に仕上がっています。潤色は小池先生、お忙しい。セリと盆を駆使した歯切れのよい舞台展開はさすがです。ワイルドホーンさんの楽曲が耳に心地よく、作品全体を包んでいました。


ストーリー(公式HPより)

「18世紀末のフランス。虐げられてきた民衆が自由を求め立ち上がったフランス革命の勃発から数年が経ち、革命政府の統治下で多くの貴族たちが次々に断頭台へ送られていた頃。恐怖政治に反感を抱くイギリス貴族パーシー・ブレイクニー(紅ゆずる)は、イギリスで赤い星型の花を指す“スカーレット・ピンパーネル”と名乗ってその正体を隠し、無実の罪で捕らわれた貴族達を国外へと逃亡させる活動を行っていた。革命政府の公安委員ショーヴラン(礼真琴)は、一刻も早くスカーレット・ピンパーネルの正体を突き止めようと躍起になっていた。

 一方、パーシーとの結婚を控えたコメディ・フランセーズの花形女優マルグリット(綺咲愛里)は、イギリスへ渡る前の最後の舞台に立つ。しかし、舞台上で革命政府を批判する言葉を発したマルグリットは、ショーヴランから劇場閉鎖を命じられてしまう。そして、劇場の再開許可が欲しければ反共和派の貴族サン・シール侯爵の居所を教えるよう、ショーヴランから迫られるのだった。かつて二人は革命を共に闘った同志であったが、マルグリットは理想とはかけ離れた政策を推し進める共和派を見限った過去を持っていた。一度はショーヴランの要求を撥ね除けたマルグリットだったが、侯爵に危害を与えないことを条件に居所を教えてしまう…。

 イギリスで、パーシーとマルグリットの結婚式が大勢の参列者に囲まれ華やかに挙行される。幸せの絶頂のパーシーのもとに、スカーレット・ピンパーネルの協力者であったサン・シール侯爵が処刑されたとの報せが届く。しかも侯爵の居所を密告したのはマルグリットだというのだ。それが真実だと知ったパーシーは妻への愛と疑念の狭間で苦悩する。

 ルイ16世の遺児ルイ・シャルル奪還を最大の目的としていたパーシーは、やがて信頼できる仲間達に自らの正体を明かし、共に立ち上がって欲しいと訴える。パーシーはマルグリットに真実の姿を隠したまま、高き理想を胸に抱いた仲間と共にドーヴァー海峡を渡り、パリへと向かう──。 」

 主人公パーシーは、イギリス貴族社会からフランスへ冷ややかな視線が注がれるなかで、危機に陥ったフランス革命を救い出す人物。ヒロインのマルグリットは革命の闘士としてフランス革命に参加した過去を持つ人物として描かれています。要は公安委員会のショーヴランでしょうか。


「ロベスピエールを中心とするジャコバン党山岳派は次々と急進的な政策を行い、恐怖政治を遂行したのが公安委員会と言われる組織です。当初は毎月改選される革命政府内の組織に過ぎなかったのですが、穏健共和派であるジロンド派を追放すると反革派に対する取り締まりを強化して全政府機関が公安委員会の監視下に置かれ、次第に公安委員会は絶大な勢力を誇るようになっていきます。しかし、かつての仲間でさえも粛清する恐怖政治の徹底ぶりが、ブルジョワジーの反感を買い、当初は恐怖政治を支持していた民衆でさえも明日は我が身と恐怖におののきました。こうした民意とともに、公安委員会の存在を疎ましく思った一般議員が反旗を翻し、テルミドール反動に発展しました。これをもって約2年間の恐怖政治に終止符が打たれます。」

 ショーヴランは主人公パーシーに対する敵役。悪として描かれていますが、どんな作品も敵役がよくないと作品全体の世界感が成立しないように、ショーヴランがよくないと作品全体がくずれてしまうと思いました。歴代誰がショーヴランを演じるのかが大きなポイントだったんでしょうね。二番手の礼真琴さん、歌うまさんのうえに、どこか憎めないところのあるショーヴランの滑稽さをうまく醸し出していて印象的でした。濃い役所、歌に芝居をのせていく力がすごい方だなと思いました。ショーヴランがしっかりと立つことで舞台全体が安定。パーシーは、この舞台でトップとなった紅ゆずるさんが、星組全体を自分が守っていくんだっていう暖かいまなざしとルイ・シャルルを守るとするピンパーネル団のリーダーという立ち位置とが重ね合わさって、終始あたたかさに満ちていたように思います。

 結婚式の舞台裏で、ルイ・シャルルのために、マルグリットに正体を隠したまま仲間とイギリスからフランスへ船で渡る計画を進めようとしている場面、パーシーが公安委員会の一員のふりをして大げさなひげをつけてイントネーションを変えて喋る場面など、コミカルさもあって楽しいものでした。翻弄されるショーヴランがどこか憎めない感。

 あれやこれやとまだ書きたい感ですが時間切れとなってきました。きびしい一週間に備えなければなりません。ようやくここまで書けました。後日また書くかもしれませんがひとまずこれにて。

 制作発表会の写真は宝塚ジャーナルよりお借りしています。
 










 

 

ちっそくしそうになりながら

2018年02月17日 23時21分31秒 | 日記
 土曜日、久しぶりに8時間余り眠れました。疲れが出てつらいなあと思います。断捨離は部屋でしかできないし、訪問ですごい坂を歩くので足と股関節が痛いしで、引きこもりのオジサンの部屋から物音聞こえてくるの気持ち悪くって、緊張しちゃって、ちっそくしそうになりながらもほぼ部屋で過ごした一日でした。夕方買い物してカフェでケーキをいただきながらため込んできた本読みで4時間ほど出かけただけでした。電車に乗らない日も必要。少しずつだけど間違いなく荷物は減ってきていて、今日も気になっていたところを片付けると、これもあれも必要ないんだっていうものがたまっていたので思い切ってお別れ。なんだかすっきり。父と母と妹の遺品整理をしていて学びました。持ち主がいなくなれば全てただのゴミなのだと。母の荷物にあった映画のパンフレットやチケットなんかも二年前お別れしました。切ないなあと思いながら持ち主がいなくなれば必要ないものなんだと痛感しました。それでもまだまだ未練がましく、捨てるにはしのびないと思ってしまい、なかなかお別れできないものもあるし、モノはまだまだどっさりあります。少しずつ少しずつ・・・。

 平日は書けないことを書きたい気持ちがあったのですが片付けにけっこう時間がかかるし疲れるしで、おそくなってしまい眠気がきているので書けませんでした。明日は書けていないことを少しでも書ければいいなと・・・。

 それにしてもほんとに風が冷たいですね。また雪の予報、坂きついのでかんべんだあ。寒くって寒くって、ちっそくしそうな部屋で気持ちが折れる夜。いろいろとできていないことばっかりですが休まなければなりません。頭が回っていないのでここらへんで失礼します。なんともつまらない、土曜日の夜につぶやき日記でした。

『ポーの一族』東京宝塚劇場千穐楽のライブビューイング、当選しますように・・・。

気がつけば金曜日

2018年02月16日 19時30分04秒 | 日記
 今日も朝から晴れ渡った一日、雨が降りませんね、夜は雨降ると落ち着くなあと思いながらの就寝、ちっそくしそうな部屋で眠らなければならないのもプレッシャーで、なんだか気持ちが落ち着かず、すごく疲れて眠いのに、あくびばっかりでるのに昨夜はまた寝つけませんでした。たぶん1時半ぐらいかな、眠剤をのみました。お手洗いで目がさめながらもなんとか4時間半ぐらいは眠れたでしょうか。眠くてぼけぼけしながらも出勤。長いのか短いのかわかりませんがどうにかこうにか一日が終わりました。わけのわからないことが多くて疲れました。言葉悪いですが、胸くそが悪すぎることに疲れました。なんだかやってられないなあということの連続。それでもほんの一握り、応援したい気持ちになれる希望があるのでなんとかやっていられます。全部が全部どうしようもこうしようもないことだけではモチベーションを保てずです。そんなこんなの電話が降ってくるのに対応しなければならないので肝心の事務作業が進みません。本来はわたしの仕事の範疇ではないこともやらなければならず、進みません。こうして人のために働いている人には福がやってきますかね、きっとやってくると信じたいです。きつい仕事をほんとによくやっています。それにしても人は色々ですね。当たり前みたいなことが、普通でいることが、いちばんむずかしいんだなって、あらためて心の底から思った一日でもありました。つまんない自己顕示欲とか承認欲求とかどうでもいい、普通の生活を続けられることがなによりの望みです。先のことはわかりません、一日一日を生き延びていくしかありません。

 金曜日の夜、ささやかな息抜きにメロンソーダを飲みながら、バレンタインデーにたくさん机の上に置いていただいたおやつをようやく食べています。喉が痛痒いし、昨日の訪問で足と股関節が痛いです。ちっそくしそうな部屋に帰りたくありませんが、明日のお昼のお弁当を購入したら帰って休まねばです。

 土日、色々と片付いていないものが山積みですが、観劇日記、美術館めぐり、本あれこれなど書ければと思います。たぶんまた書けないまま休みはあっという間に終わっていきそうですが、できるだけ書ければと。旅日記はまったく更新できないまま、長い間とまってしまっています。まず思い出すのに時間がかかるのでなかなか更新できず、いつから更新できていないのかすら思い出すことができません。楽しみに訪問してくださる方、ごめんなさい。4日間でしたが濃い一週間、お疲れ様でしたね、わたし・・・。

あと一か月ちょっと、祝日はなし。つらいなり。ライブビューイングに行けるかどうかわかりませんが、今日から始まった東京宝塚劇場『ポーの一族』と一緒に歩むべし。

少し報われた午後

2018年02月15日 22時16分17秒 | 日記
 朝起きた時は極寒、寒気がしたので風邪かなと心配になり、先ほどようやく葛根湯をのみました。朝飲んでは眠くなるし、第一購入する時間も場所もなくようやく。昼間は暖かく、午後の訪問は結果的に実りあるものとなりました。都合で帰る時間が30分以上おしましたが久しぶりに、ありがたいという言葉をきいて日々の苦労が報われた思いでした。ほんとは当たり前のことなのに現実にはほとんどないので沁みました。心配していた方ともようやくお会いすることができて安心しました。冷静に振り返ったらメンタルさんがいないからでした。たまにはこういう日もないとやってられません。毎日毎日どうしようもこうしようもない人たちに振り回されてエネルギーをそがれるばかりではやってられません。ほとんどはどうしようもこうしようもなくて希望がみえませんが、ほんのひとにぎりこうしてどうにかこうにかやっていこうと頑張っているんだなあっていう方もいて、希望を感じて応援したいなあっていう気持ちにもなる、だからやっていられるのだと思います。全部が全部どうしようもこうしようもないだけでは気持ちもたずです。明日はまたどうしようもこうしようもないことだらけになるそうですけどね、今週は明日でおしまい。木曜日みたいな感覚ですが金曜日。土日はまた断捨離と確定申告の準備。去年の医療費のレシートが整理できたら、一昨年のレシートも整理して医療費控除の申告をしようと思います。還付金はわずかなもので手間の方が高くつきますが、薄給なので10万円なくても申告できることが分かったし、5年までさかのぼることができることもわかったのでやろうと思います。本来自分でやらなければならないことをできなくって人を振り回し続けている人にオプションでわたしの手間賃を払っていただきたいぐらい。自分で稼ぐのは大変なことで、人が苦労して稼いだものだということを忘れてしまっているのはだめです。ほんとにだめ。

 平日は長文のグチだらけでもつらいですね、午前中は気持ちが追い詰められてお昼には涙と溜息がでるばかりでしたが午後久しぶりに報われたので、今日はこれぐらいにしておきます。わたしにしてはめずらしく、短めのほっと日記でした。

ちっそくしている水曜日

2018年02月14日 22時26分00秒 | 日記
 昨夜はブログを書き終えて投稿したところ途中でネットがつながらなくなっていたので、途中から書き直し、投稿するまでネットが切れているってわからないので大変。損害は少なくてすみましたが10時半を回ってから書き直すのはこたえました。それでも納得のいくところまで書かないと眠れないのでね、結果、今日もあと10分早く就寝すればよかった、からの朝となりました。この部屋で眠らなければならないプレッシャーとたたかうのもけっこう大変。いついかなるときも引きこもりのオッサンはいる気配の音丸ぎこえ、食い物の匂いが漂ってくるのカンベンしてほしい。お向かいの女性はいつ出かけているのかわかりませんが帰ってくるのは毎晩12時半過ぎ。はあっ、古い建物なのでこういう作りなんだろうなあ、はあっ。

 朝から晴れ渡った、陽射しのまぶしい一日、雨が降りそうにありませんね。落ち着きません。わたしの薄給なんかよりもずっと入ってくるものがたくさんあるはずなのに払うべきものを払えていませんっていう方の心配している場合ではなく、薄給のわたしの方がずっと大変なんですけどっていうこの頃。今日もあれやこれやと想定外の電話がいくつも入ってきて振り回されすっかりいやになっています。基本的なことをほとんど知らないまま、理解していないまま行き当たりばったりでやっているのでなおさらひとつひとつに時間がかかるし、そんなこと知らんがな、っていうことの連続で事務処理は進まないし、わたしの対応能力をこえています。明日も明後日もなんですよね、対応しきれません。ちっそくしています。ほんと標準的なという意味での普通の想像力でいるとそんなところをはるかに超えたことばかりが起こるので、おっといけない、しまったという感じで、わたしの想像力ではとうてい及ばず頭がついていかないことばかりです。普通の感覚で良心的に考えてしまってはほんとにダメで、周囲が心配していることを理解できるだけのスキルがないことを忘れてはダメで、ついつい一般的な感覚で必死になってしまった自分がいるというむなしさ、そんなことが通じる相手ではないことがわかったのでなおさらむなしい。資格を生かせるし妹が与えてくれた役割なら尽力したい、もう少しやってみたいと思い踏み込んだ世界、色々と勉強にはなりますがやってられないよっていうことが多すぎでむなしいです。ほんの一握り希望を感じさせてくれる方があるからやっていられます。全部希望がなかったら気持ちがもたないなあと思います。ほんとにきつい仕事。明日の午後は訪問の約束をしたので行かねばですが、午前中準備が間に合うのか。また次々と電話で遮断されそうです。なんどもなんどもかけてきている人がいて出てしまうと終わらなくなるので出ていませんが出るまでかかってくるんだろうなあ。事務方が最初に出てしまうとうまくいってもらうことができないのでなおさら大変。いやだなあ。胃の痛みはとまりません。

 今日もお花屋さんのDVDをかけ続けています。癒しと潤いのお花屋さん。舞空瞳ちゃんハンナの「自分の心がわからなくなったときは森へ行くの」「心の声に耳をすませるの」に涙。余計なものをすべて取り払ったとき、きっと自分の心と素直に向き合うことができるんでしょう。きっと植田先生の心の底からのメッセージ。

 あと少しだけ、みりらんの映像もみたら休むことにしましょう。明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますように・・・。


心が折れそうな夜

2018年02月13日 22時34分37秒 | 日記
 極寒の一日、夜になって冷え込みがさらに厳しくなっています。ちっそくしそうな部屋のすみっこで震えている夜。こんな窓際にいることって拾い実家ではあり得ないことですがワンルームタイプの部屋では仕方ありません。乾燥し切っているので気持ちは落ち着かず、やりきれない現実に心が折れそうになっています。今日もお花屋さんのDVDを流し続ける夜。「自分の心に正直に生きれば、きっと幸せになれる」(Byハンナ)「自分らしき生きたい、心のままに♪」(Byクリス)。植田先生が心の底から書きたかったであろう言葉たち、いちいち心に沁みます。

 わたしごときの薄給よりもたくさん入ってきたものがあるはずの方に、金銭管理しましょうって言わねばならなかった午後、2時間余りかかって疲れました。たぶんこうして関係者が心配するほど本人は心配していないというかわかっていないであろう現実。さらにやりきれません。なんだかなあ。こう言っているわたしがちゃんとしているわけではなく、大会社から使い捨てにされて損害賠償を求めたら気がつけば某弁護士との闘いとなってしまい、気がつけばずたずたになっていて社会から孤立し、10か月余り完全に収入が途絶えたまま家賃を払い続けた日々と昨年2度も失業しながら家賃を払い続けたのがきいています。家賃が大きいんですよね、いちばん大きい。この負担を免れているのになにをやっているんだっていう感じでさらにやりきれず、心が折れていやになっています。明後日はお給料日ですがほんとに少なくって、一か月後もほんとに少なくって、稼働日が多い3月分が入ってくる4月のお給料日でようやくまともな金額。このちっそくしそうな部屋から引っ越すことは無理だし、また失業すれば持ちこたえることはもうできないし、家賃のために苦労し続けるのも疲れてしまって、実家に帰りたいなあっていう気持ちがよぎっています。社会への怒りと悔しさのマグマを噴火させながら社会へ戻る道筋が全くみえなかった日々の辛さを思い出せば、ここまでほんとによく復活できたなあって我ながら思いますが、家賃を背負っている身に薄給はやっぱりきびしい。人をみて自分の現実を突きつけられた連休明けの火曜日。まあ大劇場遠征したりライブビューイングにいったりしなければもう少し落ち着いているわけで自分の責任といえばいえますけどね。

 なにかお別れするものはないかと、隙間時間に引き出しを物色して昨日も今日も、これからの人生には必要と思われないモノを発見。こんなものあったなあ。早速お別れ、大会社でもらったことを思い出してしまった、もう必要なくなった箱ともお別れ。さらにこれらを入れていた引き出しともお別れしたいところですが、そこはさくっと思いきることはできずどうしようかと迷います。モノを増やさないためには収納用品を買ってはいけないの鉄則。もう買いませんがすでにあるものをどうしましょう。少しずつ、少しずつ・・・。

 乱視がさらにひどくなってきているのか、これ以上ひどくなりようもないぐらいもうひどい感じですが、遠くの見え具合がまた変わってきている気配でさらにひどくなっているのかもしれません。システムや書類の文字がほんとに小さくってこたえます。契約満了までなんとかやり切るしかありませんが、その後仮に次の話があったとしても2か月のクーリング期間は必須です。その間をもちこたえられるだけの力はもうないし、かかりつけ医に、胃の痛みがとまらないの無理ないよね、って言われるきつい仕事だし、水漏れが起きているのを知らないまま借りてしまったちっそくしそうなこの部屋の更新はもうしたくないし、なんだかね家に帰りたいなっていう気持ちがよぎっています。母が78歳で旅立ったことを考えるとたっぷりと時間があるわけではないんですよね。限りある人生の時間、どうしましょう。読むこと書くことをやれたらいいな、絵本屋さんやりたいな、『赤毛のアン』の原文を読み通したいな、見逃している舞台の映像をみたいな、などなど絵空事ばっかり思い浮かんで、どうやってごはんを食べていくんですか、っていう肝心なところは、特にやりたことがないのでなにも頭に浮かびません。何してんでしょうね、わたし。社会への怒りとマグマを噴火させながら社会から孤立し続けた日々を思い起こせば、よくここまで復活してきたなと自分ながらに思いますが、よくこんなきつい仕事をやっているなと思いますが、本当のやり直しまでの道のりは遠く人を見て自分の現実を突きつけられた極寒の夜、心が折れそうになっています。先は見えず、今は極寒の乾燥しきった一日をまたなんとか乗りきっていくしかなく、明日もなんとか無事に一日が過ぎていきますようにとしか考えらえません。

 お花屋さん、心の点滴、沁みます。うるおい、必用経費、かつ生きる楽しみ・・・。

とにかくまた現実

2018年02月12日 16時48分38秒 | 日記
 外から入る陽射しがものすごくまぶしい2月の夕暮れ、また陽が長くなってきていて落ち着きません。乾燥しているし、ものすごく冷たい風が吹いています。放射冷却現象っていうやつでしょうか。とにかく風が冷たい。そんな中ですが出かけるとちっそくしそうな部屋に帰りたくなくってまだウロウロとしています。昨夜は雪組公演の余韻とあんな部屋で就寝しなければならない緊張感とで寝つけませんでした。眠剤をのんでも体が冷えておなかは痛くなるし、なかなか寝つけず。明け方3時間半ぐらい眠れたかな。そんなこんなで連休は終わっていき、とにかく明日からまた現実です。働いた分しか入ってこないので働くしかありませんが、わからないこと、できていないことだらけだし、明日の午後はここ一か月ぐらいずっと振り回されている件で面談。一般的感覚では意味わかんないことで、一人じゃないですけどね、気がおもいです。わたしの薄給なんかよりも入ってくるものがたくさんあるはずなのに何やっているんだっていう感じで腹立たしいぐらいです。そこまでの能力しかないからどうしようもないですけど、希望がなさ過ぎていやになってしまいます。こうしてどうしようもこうしようもない人たちのために働いている自分、いいこともやってくるんでしょうか。想定外のことが降りつづけてきて、書類が整理できないままたまる一方、年度末に向けてこなせる感じが全くしません。先ほど3月25日、東京宝塚劇場『ポーの一族』千穐楽ライブビューイングの先行抽選に申し込みました。当選するかどうかわかりませんが当選できたとして、そこにたどり着くまでの一か月余り、やらなければならない仕事をやりこなせている感じが全くしません。役者さんたちも一日一日命を燃やすように舞台を務めた結果の千穐楽、一緒に千穐楽への道のりを歩む気持ちでやっていくしかないと思っています。映像でも舞台で役者さんが放つエネルギーは伝わってくるような感じがあって、舞台はやっぱりいいなあと思います。強烈なマイナスエネルギーに負けないためにはプラスの心のエネルギーをもらってチャージしないともたない毎日。薄給なれど観劇をやめることはできず、どうにかこうにかやっていくしかありません。

 すき間時間に捨てるものを物色、もう必要のない細々したものを捨てた結果収納用品も必要なくなって、百円ショップで購入した小物入れはほぼお別れ。無印良品で購入したちょっとした物入とか通販で購入した引き出しケースなんかも必要なくなってきています。今までちょっとモノが増えると収納用品を購入してきたツケは大きく、その時は必要だと思ったけれど実は必要なかったモノがまだまだあって、確実に収納用品が余り始めているのに捨てるに捨てられない感じになっています。とにかくこの世を旅立つまでの間にどうしてもそばに置いておきたいモノを残してお別れしていきたいです。部屋を出たいしね。今の仕事契約終了したら家に帰ろうかな。仮に2カ月のクーリング期間をおいてまた仕事があったとしても2カ月無収入でもちこたえるだけの力はもうありません。家賃と住人のクオリティは比例するっていることをわかっていなくってとにかく前の部屋よりも安い部屋で隣を気にしなくていいという条件で紹介された結果の今の部屋、今以上の家賃に部屋に住めるだけの稼ぎはなく、今後も見込むことはできそうにありません。なんだか疲れちゃったし、日比谷が遠くなりますが家に帰ってゆっくりしたい。弟に疎まれなければですが・・・・。

 明日から4日間ですが連休のあとだし、年度末が近づいているし大変な一週間になりそうです。いろいろと書きたいことあるんですが、仕事のことを考えざるを得ず、考えると緊張感が高まってきてまたこんなグチ日記になってしまいました。普通の人相手ではないので、ひとつひとつ緊張感を強いられるきつい仕事。訪問もいかねばだし、なんとか無事に過ぎていきますように・・・。

 母の法要は次6年先とのこと。その時までわたし無事に生き延びているのかしらとふと思う。年齢考えるとなにしているんだろうって思うとぞっとします。人生の時間には限りがあります。このあとどう生きていけばいいのかわからないまま、今できることをやるしかないと言い聞かせながらの日々は続いていきます。

 『ポーの一族』東京宝塚劇場千穐楽ライブビューイング、当選できますように・・・。

 大劇場遠征、色々な意味で無理しましたが一期一会の出会い、あの幻想的な世界観はたぶんもう二度とありません。行ってよかった。

雪組『ひかりふる路~マクシミリアン・ロベスピエール』『SUPER VOYAGER!』

2018年02月11日 23時51分12秒 | 宝塚
 昼間はあたたかでしたが夜になって風が冷たい日曜日の夜、まさにこの季節ならではの気候。寒さと乾燥と季節の変わり目の始まりの体のだるさ。お昼を部屋の中でちっそくしそうになりながら荷物整理と同時進行でなんとかすませたので夜は外でうどんを食べてから、帰りたいけど帰りたくないちっそくしそうなこの部屋に帰ってきました。帰ってくると斜め向かいのオッサンの部屋からなにやらすごい物音、なんやろ、なんでずっといるんやろ、ひょえ~気持ち悪い~からのストレスと緊張。ほんとに心が休まりませんが荷物あるし、訪問で足と股関節が痛いし、仕方ないですね。

 なんか怒られちゃいそうですが雪組のライブビューイングをどうしてもみたかったです。なんかねえ、最初から最後までみんなで新トップの望海風斗さんをささえて盛り上げていこうっていう温かさに満ちた一体感で、芝居の雪組、日本物の雪組の系譜の上に、トップコンビは、もちろん全体的にすごく歌がうまいなあって思いました。指揮が西野先生なのもなんだかすごく嬉しかった。芝居は『マタ・ハリ』に続いて、ワイルドホーンさんが書き下ろした楽曲が舞台全体を美しく包み込んでいました。客席で千穐楽の舞台を見届けていらしたそうでカーテン・コールで望海さんが紹介されていました。(まさか20数年前雪組をみていたときには、杜けあきさんの退団公演で読売の役をやっていたたかこさんの旦那さんが作曲をした雪組の舞台に観劇する日がくるとはだれも思わなかったですよね、なんだかすごく不思議な感じ・・・。)ショーは若さと溌溂さがはじけている感じでした。ジャニーズみたいって思った場面があったのですがジャニーズより歌もダンスも基礎がしっかりしているので上手いんだろうなあと。星組の『ベルリン、わが愛』に続いて、若手演出家の心意気と冒険心と演者への愛、温かさを感じさせるオリジナル作品の二本立て。宝塚の層の厚さと底力をみたように思いました。冒険心の上に安定感がありました。なんかいいものをみたなあっていう充実感。

 まだまだ昨年の観劇日記も書けていないので少しずつ思い出していければと思いますが、芝居はタイトルからして演出家の想いを感じさせてくれます。東宝版の『1789バスティーユの恋人たち』をみているのでなんの前知識がなくても内容はほぼ理解できました。『1789』のその後を見届けたような感覚でした。フランス革命に身を投じ理想に燃えていたはずのロベスピエールがいつしか革命の象徴的存在と祭り上げらるようになっていくと、次第に革命にとりつかれていき、もはや何を目指していたのかわからないまま恐怖政治を行うようになり、暴走を止めようとするダントンのいさめる言葉の耳に入らなくなってしまい、ダントンを処刑、自分を殺す目的で近づいてきたマリアンヌをそうとは知らずに愛するようになり、いつしかマリー=アンヌもロベスピエールを憎みながら愛するようになりと、ロベスピエールがダントン、マリー=アンヌとそれぞれ対峙、葛藤する場面が印象的でした。マリー=アンヌの真彩希帆さん、愛憎に葛藤する難しい役どころをよくこなされていました。望海さんの隣でわたしがいるから大丈夫ですよ、みたいな強さを感じさせてくれる娘役さん。歌う場面が多かった。歌うまさん。演者をほとんど知らないままみていましたが、ダントンの彩風咲奈さんが二番手の男役さんなのか。歌も芝居も説得力があり納得。すでに安定感を感じさせました。そして革命にとりつかれていくロベスピエールの狂気、美しさと儚さ、歌に芝居をのせていく望海さんの歌声。歌が上手だけというのも違っていて、心がそのまま歌声になっているような、楽曲と美しさが望海さんの歌声をより引き立ている感じでした。革命の辿り着く先がみえなくなって、ダントンを処刑したあとの「次に何をすればいい?」という時の憔悴しきったような、空虚な表情も心に残りました。自分にナイフを向けてきたマリー=アンヌの正体を知り、彼女が逮捕されると自分も死を望むようになったロベスピエール、今までとは違うロベスピエールを描きたかったという演出家の想いがあふれている物語に市がっていました。牢獄で再会した二人の場面、いつしか涙が出ていました。なんかもう一回、映像でみたいなあ。いやなんどでも・・・。サン・ジュストの朝美絢さんもすごく素敵いた。カメラが一回一回ロベスピエールの後ろでいらやしくほくそえむ表情をとらえてくれていて、ロベスピエールからはその表情がみえないのでロベスピエールを操っている感じがうまくでていました。美しさと次々と粛清を行っていく残酷さとが見事に融合。ロベスピエールと運命を共にした史実のサン・ジュストに近いのでは・・・。ショーでは美しい女役姿を披露していて細いし美脚でした。

とまあ、なんかきりがありません。あれだけの芝居をやったあとにあれだけのショーをやるとは、とにやくこれだから宝塚はやめられないという感じで、この世にいる間の楽しみは続いていきそうです。マリー=アンヌとロベスピエールの牢獄での場面、普通に出会っていたなら、いや普通だったら出会うことはなかった、お互いの存在すら知らないままだったみたいなセリフがすごく沁みました。普通であることほどむずかしいことはなく、普通であることほどとうといことはありません。上をみればきりがないけど下をみてもきりがなく、きついことばかりなれどこうしてどうにかこうにか普通の生活を送ることができているのはやっぱりありがたいのだと心に沁みました。マリー=アンヌは架空の人物ですが、お互いに市井の人として出会うことができていたら、セリフにあったように普通の生活を営むことができて幸せだったのかもしれません。

 おそくなってきたのでこれぐらいでやめておきます。映画館、後方席でコンタクトレンズ、弱めにあわせてるし乱視がひどいからあんまりみえなくってつらかったけど、プレミアムスクリーンで席がひろかったのはうれしかったです。いい時間でした。こうして普通にいい作品を楽しめるの、ありがたいです。

 望海さん、何度もみているような気になっていますが全部映像。願わくは一度でいいから生で拝見したいです。チケットがとれません😿

『シェイクスピアの面白さ』より(3)

2018年02月10日 20時18分40秒 | 本あれこれ
 

一言でいえば、エリザベス朝とは、古いものと新しいものとが、実に奇妙に、ときには多くの矛盾さえも含んで 、併存していた 時代といってよかった。古い ものとは、中世からの継承物としての世界観、考え方であり、新しいものとは、  いうまでもなく今日ルネサンスの名をもって呼ばれる大胆な人間解放、再発見のそれであった。(略) イギリスだけにかぎらず、西欧ルネサンスの場合は、なにしろ一方に中世を支えたキリスト教的世界観という構築物が、千年以上の堅牢さを誇るものであった上に、新しいルネサンスの人間解放が、これまた陶酔的とさえいえるほどの奔放、強烈なものだっただけに、その併存の様相もまたかぎりない豊富さと奇怪きわまる矛盾を学んでいたということになる。イギリスについていえば、上は宇宙観から、下は自然観、国家観、人間観にいたるまで 、神 中心に整然たる階級的秩序が一貫して行われているという考え方が、なお強くのこっていた一方では 、すでにマキアヴェリズムの厳しい現実主義や無神論が、あるいは少数インテリの間だけではあったかもしれぬが、とにかく大きな影響をあたえており、まもなくモンテーニュの懐疑主義まで、深い親近感をもって受け入られるようになるのである。

 この興味深いイギリス・ルネサンスの複雑さ、そして豊富さを、選択的というよりはむしろ包容的に、それこそ「自然に向けられた鏡」のようにうつしているのがシェイクスピアの作品ということになるのではあるまいか。

 エリザベス朝ルネサンスの豊富さ、豊饒さを、そのまま、あるがままに反映していたのがシェイクスピア作品であったといえようか 。しかしまたそうしたことを可能ならしめた――言葉をかえていえば、シェイクスピアを第一人者としてのエリザベス朝演劇の盛観、また演劇以外の分野でも、詩におけるエドマン ド・スペンサー以下の輩出など、かぎりない多様性の中での豊富さを実現させたものが、処女王エリザベス一世によって率いられたイギリス・ルネサンスの偉観であったと考えていいのではないか。現にシェイクスピア作品をほぼ年代順に 考えてみても、あの「夏の夜の夢」、「お気に召すまま」、「ヴェニスの 商人」、「十二夜」等々というような、 いわゆる浪漫喜劇と呼ばれる独特のジァンルの最高作品が、続々としてすべて書かれたのがこの時期であり、またドタバタ喜劇一歩手前のものとしても、「間ちがいの喜劇」、「じゃじゃ馬馴らし」、「ウィンザーの 陽気な女房たち」というような、あんな楽しい裕達無比のものが出たのもこの時期である。

 当然のことながら、処女王エリザベスは継嗣のないままに死んだ。あとはスコットランド王のジェイムズ六世が迎えられて、ジェイムズ一世と名乗った。いわゆるスチェァート王朝のはじまりである。血のつながりということで 、ゃっとなんとかつながるだけのを迎えて、国王にしたのだった。よくある手口である。

 このジェイムズ一世というのが変わっていた。(略)個人としてなら、変りものくらいですむところだろうが、国王となるとやはり困ることもぁる。とりわけエリザベスのあとだったからである。

 もっとも問題だったのは、彼がいわゆる王権神授説の忠実な信奉者だったことである。もっともこれは、例のフランス王ルイ十四世なども同様で、当時王者間のある意味で流行理論であったかもしれぬが、ジェィムズ一世の有名な発言として、「 臣下の身分で 国王の行為を私議したり、国王の自由に制限を加える などというのは、僣上沙汰である」というような言葉まであるにいたっては、ゃはりただごとではすまなかった。もともと人嫌いだった上に、こうした思想まで加わったのでは、議会、ことに下院とは、ことごとに衝突した。手を焼くと解散を命じて、極力議会を開かないことにした。

 エリザベスの政治のやり方も、しばしばテューダー・デスポティズム(専制)の名で呼ばれる。だが、ジェイムズのスチェアート・デスポティズムと絶対にちがう点は、エリザベスは議会を通じ、あるいは議会を超えてまで直接に国民と結びついていた。芝居などまで民衆といっしょに楽しんだ。ところが、ジェイムズのそれは、完全に国民を疎外してのそれだった。そこがたいへんにちがう。これでよく行くはずは 、まずなかった。もちろんほかにも原因はあったが、社会的雰囲気がまず変ってきた。

「ヴェニスの商人」の冒頭に、アントーニオのセリフとしてこんなのがある。
「実際、なぜこう気がふさぐのか、ぼくにもわからない。クサクサする。君たちも同じだというのか? どうして取っつかれたのか、どこから生れたのか、 まるでわからない。気鬱も気鬱、どれがほんとの自分なのか、それさえわからない」

 原因のわからない漠然たる憂鬱、しかも誰もがなんとなく取り憑かれている憂鬱――イギリスの後期ルネサンスで大きく問題になる時代病、憂鬱症のいわば走りとして、しばしば注日される一節である。「ヴェニスの商人」といえばい1950年代の後半に入ったばかり、いいかえればまだルネサンスの陶酔たけなわなりしころに書かれているわけだが、実はその反面に早くもこんな憂鬱の兆候もあらわれているのである。浪漫喜劇の明るさになんとなく影が射しそめ、さらに世紀の変り目になると、シェ イクスピア以外にも、にわかに主人公の 憂鬱を主題にした悲劇がふえ出してくる。「 ハムレット」もまたその代表的な一例であった。そして1598年ごろには早くも、「黄金時代は去った。鉄の 時代もすぎた。鉛の時代だけが残された。どこでも貧乏人が苦しんでおり、どちらを向いても不幸ばかり、『気前』の旦那の死んでからは」というような小唄が流行していたという。

 原因を数え出したらきりがないが、 一口でいえば、やはり高度成長のひずみがようやく出かかったとでもいうことだろう。他人事ではないのである。スペィンの野望を挫折させて国威はあがり、海外への冒険投資で世界の富はかきあつめていたが、一方では貧富の落差はようやく激しさを加えていた。いわゆる囲い込み(地主が大きな土地を柵などで囲い込み,小農民の入会権を奪うこと)がとみにはなはだしくなるのもこの時期だった。また復員兵士の失業問題や戦傷兵士の浮浪化問題も重大化を見せてきた。画期的に厳しい「救貧法」が制定されるのが、エリザベスの死ぬ二年前の1601年である。

 もちろん、これらのことは、ジェイムズ一世の責任でもなんでもないが、こうした情勢の中に登場して、しかも前にも述べた通りの彼の政治姿勢だった。時代閉塞の兆は蔽うべくもない。そもそも国王がひとり変ったからといって、そう社会相が一変するなどということはあるはずもないわけだが、そうした表にあらわれた事実の背後に、時代の空気をかぎつけるということになると、やはりおそろしいものであり、それがことに演劇、文学などには微妙に反映されるのである。シェイクスピア晩年の諸作品は、実にこうした時代相変化の中で物されていたと見てよい。」

 (中野好夫著『シェイクスピアの面白さ』より)


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『レディ・ベス』を観劇したあとで、なんだか今の日本の様相に通じるものがあるのかなという気持ちから引用しました。
シェイクスピアの面白さ (講談社文芸文庫)
中野 好夫
講談社