たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

変形性股関節症と診断されました

2021年06月24日 20時58分25秒 | 日記
 知らないところへ行くのがこわくて、それでも4月末に契約終了として以降この痛み方はもう尋常ではないという身体感覚があり、昨日ようやく近くの整形外科へ行ってきました。乳幼児のころ、おぼろげに記憶の中にあるギブスをしていた自分、母の背中におんぶされてチンチン電車に乗り、大学病院へと通院していた自分、右足の先天性股関節脱臼だったのでしょうか。具体的に病名をきいたことがあったのか、どうか遠い記憶をたどることはもうできません。2012年2月母が突然旅立ったあと、古いアルバムをめくると、モノクロ写真で父の膝の上にギブスをつけたわたし、その隣に学年は一つ下の妹。家族が幸せな時だったのだろうと思います。弟はまだ生まれていなかったのか、たしかにこの時家族は幸せだったにちがいありません。

 それから半世紀以上の長い時が流れ、苦しみの上にさらにまた苦しみの上塗りとなりました。帰省してから田舎生活には必須の自転車に30年ぶりに乗ってから痛みがひどくなっていた股関節と腰、それでもどこへ治療にいけばいいのかわからず、マッサージを受けることもないまま時を過ごしました。この街に戻ってきてから気にはなりながらも歩く生活に戻れば、また以前の自分に戻れると過信していたところがありました。3年前の今頃まで毎日ものすごく歩いていて、マッサージに行けば太ももにしっかり筋肉がついていますねと言われていた自分に戻れると過信していました。訪問のある仕事に戻れると信じていました。振り返ってみれば、7カ月就労したところは別にして面接時になんとなく歩き方がおかしくバランス悪い、しゃきっとしないと見られていたということなんだろうと思います。7カ月間の通勤も遠くて、相当体にこたえていたはずなのに気力でここまで自分をひっぱってきました。

 右の足が曲げられなくてヨガにいってもあぐらをかくことができないのがまだ若い時からわかっていましたが、無理に無理に無理を重ね続けた結果、レントゲン検査で変形性膝関節症という診断でした。手術をした方がいい、手術をして人工股関節にすればだいぶ楽になるという医師の話でした。今すぐ決めることはできないというと、リハビリをやってみるか手術をするか少し考えてみるように言われました。診察代を払った時リハビリをやってみたいと言うとまた医師の診察、一か月やってみてまた話をきかせてくださいということで、理学療法士によるリハビリを申し込みました。手術をするなら紹介状を出すと言われた病院三か所のうち二か所は3年前の今頃行ったことがあります。人のために働いていました。そうは言いませんが仕事で行ったことがあると言いました。

 入院するには親族の同意書が必要なはず、てんがいこどくとなった自分が、無職の自分が、入院して手術して日常生活をまた送っていくという具体的なイメージが全くできません。どうすればいいのか思考はとまっています。お仕事さがしは、手術をすると決めるまで現状維持とするということだけ相談員さんと確認しました。保険診療の対象となることはネットで把握しました。行きたいわけではないですが、まずは役所に行って医療費の限度額証を出してもらえるか確認しますかね、それと一か月の限度額、低所得者はいくらだったか忘れてしまいました。限度額は一か月の診療の中でなので、もし手術をするのであればできるかぎり一か月の中でプロセスをおさめること。総合病院に紹介状を書いてもらって具体的なイメージを相談にいくことまでやってみるか、医師によってはまた違う診断にあるということはあり得ると思います。セカンドオピニオンをどこに求めるのか、かかりつけ医に相談してみますかね。長い間、社会保険料も税金も払い続けてきたのだから、これからは使える制度があれば使っていいのよと相談員さん。

 手術をしてまで生きながらえていくのかという気持ちに昨夜はなりましたが与えられた命の時間、生きなければなりませんかね。月組の『桜嵐記』をライブ配信で視聴しながら、こうして争いで志を果たせないままたくさんの命が散っていった歴史の上に今のわたしたちの命はあるのだと沁みました。だから死んではいけないのだと思います。

 考えなければならないこと、整理しなければならないことがあり過ぎて今考えられるのはここまででしょうか。試練につぐ試練、どうなっていくのか、どうすればいいのかわかりません。

 ささやかなブログへの訪問と応援、いつもありがとうございます。


旅の思い出-セーヌ川クルーズ

2021年06月24日 14時22分41秒 | ドイツロマンティック街道とスイスアルプス
旅の思い出写真_ローザンヌからパリへ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3a8a6bdb99234b4ed04fcefbd7c85d78


旅の思い出写真_パリ市内
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/c7237e4e6a3e7f92b8287b0d52e2d8c8


旅の思い出写真_ルーヴル美術館
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/ddbaf36c2dd3d66d478a561f628ecb5e


 2007年10月27日(土)、6泊8日の旅の最終日、ドゴール空港から20時発の全日空206便で帰国、ホテルをチェックアウトした後大きな荷物はホテルに預けたまま、出発まで自由時間でした。

 思い出を振り返ってみると、旅の最終日は午前中ヴェルサイユ宮殿の日帰りバスツアーに一人で参加、パリへ戻ってきてからは午後ツアーメンバーの女性ふたり連れとたまたま一緒にセーヌ川クルーズに参加。たどたどしい英語でなんとか乗り切り、夕刻ドゴール空港へ。20時発の成田空港行きの飛行機に乗ったのでした。成田空港の文字が見えた時、現実が戻ってきた時、「いよいよ日本へ帰っちゃいますね」「現実ですね」「帰りたくないですね」とツアーメンバーと会話。帰る場所があればこその旅。同日日本を出発する予定だった同じツアーは、台風のため出発できなかったとのこと。わたしはやっぱり運のいい、晴れ女でした。

宙組『アナスタシア』に登場した「アレクサンドル3世橋」の下を通っていました。月組『ピガール狂騒曲』でも別の名前で登場していました。なんだったかな、ちょっと思い出せず・・・。

セーヌ河に架かる橋、下を通るたびに、石に獅子の顔などが彫られていて重厚感たっぷり、橋も芸術でした。







フランス観光開発機構【公式】
@franceiine

https://twitter.com/franceiine/status/1407596659597398020

「フランス国旗2021年6月21日より、エールフランス航空が羽田-パリ便の運航を再開しました!飛行機7月7日までは羽田、関西、成田からそれぞれ週3便、合計週9便運航。7月7日以降はパリ発から羽田便を週5便に増便し、週11便を運航予定です」

 叶うならばこの世にいる間に今一度だけパリにも行きたいです。一周間ぐらい滞在してルーヴル美術館とオランジェリー美術館をゆっくり鑑賞、公園を散歩するのはちと危ないですが散歩したい。日帰りでモネが睡蓮の絵を描いたところも訪ねたい。もう叶うことはほぼほぼきびしい願いのひとつ。もともと右の股関節が悪いの、昨日ようやく整形外科に行ったら手術した方がいいって言われて思考がとまっています。てんがいこどくののわたしがどうすればいいのか・・・。

「紀元前300年頃、セーヌ川を行くケルト人パリシィ族のフナ人が、舟の形をしたシテ島を見つけ、上陸した。これが、のちに花の都と呼ばれる国産都市、パリの歴史の幕開けであった。
やがて、シテ島には王宮や大聖堂が造られてパリの心臓部となり、周辺をとり巻くセーヌ川はその動脈としてパリの街を育み続ける。
光り輝いた時代も、革命の嵐が吹き荒れた時代も、ただセーヌの流れだけは、常に変わらず穏やかだった。」




2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-「ウェリントン公爵」

2021年06月24日 00時34分51秒 | 美術館めぐり
2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-「聖エミディウスを伴う受胎告知」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/469a320674e97496779ff67a18ba826b



フランシスコ・デ・ゴヤ
《ウェリントン公爵》
 1812-14年
 油彩/板(マホガニー)

「ワールテローの戦いでナポレオンに勝った英雄。英雄の苦労をしのばせる表情に描いたので公爵は満足しなかったのだろう。英雄の象徴である勲章があとから追加されている」という音声ガイドの案内でした。

 公式HPには、「ウェリントン公爵ことアーサー・ウェルズリーはイギリス人将校で、スペイン独立戦争においてナポレオン軍を駆逐した功労者です。ゴヤによるこの生き生きとした肖像は、1812年にマドリードで描かれ、2年後に勲章が一つ描き足されたもの。」と紹介されています。

https://artexhibition.jp/london2020/highlight/




1995年ミュージカル『回転木馬』‐『回転木馬』と『リリオム』

2021年06月23日 15時49分29秒 | ミュージカル・舞台・映画
1995年ミュージカル『回転木馬』‐制作スタッフ
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2a232f035986584f7bb3f08be61aa36b

1995年帝国劇場公演プログラムより

「『回転木馬』と『リリオム』-倉橋健(早稲田大学名誉教授)

『回転木馬』は、ハンガリーの劇作家で小説家でもあるフェレンツ・モルナールの戯曲『リリオム』(1909)をミュージカルにしたものである。

 モルナールは1878年にブダペストの富裕なユダヤ人家庭にうまれ、はじめ法律を学んだが、小説『パール街の少年たち』(1906)、戯曲『悪魔』(1907)で作家生活にはいり、第一次世界大戦中は従軍記者として活動し、『従軍日記』(1916)を発表した。戯曲としては『リリオム』のほか、『近衛兵』(1910)や『芝居はおあつらへむき』(1926)が代表作であるが、ナチに追われてアメリカへと亡命、いくつかの劇と自伝『亡命の仲間』(1950)を書いたあと、1952年にニューヨークで死んだ。

 <リリオム>とは、ハンガリーのこおば、つまりマジャール語で<ならず者>という意味で、ブダペストの初演は、現実と幻想の融合という手法の新しさのゆえに、一般には受け入れられなかったが、表現主義の本家ドイツで上演されて高い評価を得、1920年にはロンドン、21年にはニューヨーク、23年にはパリで好評を博した。

 日本では、1927年に築地小劇場が、1933年に築地座が、ともに友田恭介のリリオムで上演したが、興味をひくのは、1935年の9月、シンパが東京劇場で川村花菱の翻案により、『星を盗む男』と題して取りあげていることである。もちろんこれは、新劇よりは大衆的な、従来のシンパよりは辛口の演劇-いわゆる<中間演劇>をめざした井上正夫の出し物であるが、『回転木馬』のビリーにあたる曲馬団の呼び込み利吉を井上、お袖(ジュリー)を花柳章太郎、おちよ(ルイーズ)を森赫子、無頼漢鉄五郎(ジガー)を柳永二郎、鞄を持った男(バスコム)を小堀誠といった配役で、観客に良質な作品を提供しようという当時の新派の意欲がうかがえる。



 1921年のシアター・ギルドによる『リリオム』のアメリカ初演では、リリオム(ビリー)をジョゼフ・シルトクラウト、ユリー(ジュリー)をエヴァ・ラ・ガリアンが演じ、その後2年にわたって各地を巡業した。エヴァは、イプセンやチェーホフをふくむ多くの作品に出演して知性と美貌をうたわれた名女優、ジョゼフは『アンネの日記』のフランク氏を映画でも演じ優れた脇役になったが、ともに『リリオム』が出世作であった。

 シアター・ギルドは、1910年代の小劇場運動の代表的劇団ワシントン・スクエア・プレイアーズ(1915~18)を改組して、1919年に設立され、ヨーロッパの近代劇やアメリカの新しい劇作家の作品を上演。25年にはギルド・シアターを開場し、アメリカ演劇の発展に貢献した。1931年、ハロルド・クラーマンやリー・ストラスバーグ、フランチョット・トーンなどの若い演出家や俳優が脱退してグループ・シアターを結成したあとは、劇団としての活動を縮小し、プロデュース団体となった。

 シアター・ギルドの製作責任者テリーザ・ヘルバーンは、1931年に上演したリン・リッグズの『ライラックは緑に』のミュージカル化をリチャード・ロジャースとオスカー・ハマースタイン二世に提案し、これが大成功した。1943年の『オクラホマ!』である。柳の下の二匹目のドジョウをねらったヘルバーンはさらに、『リリオム』をミュージカルにしては、と二人にもちかけた。これには『リリオム』が、映画でもよく知られたバージェス・メレディスとイングリッド・バーグマンという配役で、1940年に再演されて好評だったこともある。

 ロジャースとハマースタインは、物語や人物たちには強い興味を示したが、当時ハンガリーは枢軸国の一部にくみこまれ、ブダペストを舞台にしたミュージカルが一般に受けいれられるとは思えない、政治的事情があった。じじつ1944年の春には、ハンガリーを占領したドイツ軍が、在住のほぼ全員にあたる40万人のユダヤ人を虐殺した。

 そこでテリーザは、場面を中央のブダペストから、アメリカのルイジアナ州のニュー・オリンズあたりに移してはどうか、と言った。ここならヨーロッパ的な異国情緒も残っているし、入りオムをクリオール人(フランス系かスペイン系の白人と黒人との混血)に設定すれば、彼の屈折した心情も納得できるのではないかというわけである。しかしハマースタインは、ルイジアナ地方の方言に不案内だし、それを使って歌詞を作る自信がないと断った。こんどはロジャースが、場所をニューイングランドにして、漁師や船乗りや女工のいきいきとした生活を描けば、『オクラホマ!』と対照的な作品になるだろうと、と提案した。

 企画は進行したが、ニューヨークに亡命中の原作者の許可を得る必要があった。モルナールは、『ラ・ボエーム』が『トスカ』『蝶々夫人』の作曲家プッチーニが『リリオム』のオペラ化を申し出たとき、「プッチーニの『リリオム』ではなく、モルナールの『リリオム』として名を残したい」と言って、拒否したことがある。テリーザはモルナールに『ライラックは緑に』を読ませてから、『オクラホマ!』を見に連れていった。モルナールは、ロジャースとハマースタインがこんなふうに原作を扱ってくれるならと、承諾した。

 こうして出来上がったミュージカル版『リリオム』は、題名も『カルーセル』(『回転木馬』)となり、時と所は1873年から88年にかけてのメイン州、ヒロインは女中から紡績工場の女工にかわった。

『回転木馬』は1945年の4月、『オクラホマ』とおなじくルーベン・マムーリアンの演出、アグネス・デ・ミルの振付により、マジェスティック劇場で幕をあけ、2年間のロングランを記録し、さらに2年間地方巡業をおこなった。この初演のとき、『オクラホマ!』もセント・ジェイムズ劇場で続演中だったkら、ニューヨークの西44丁目の向かい合わせの劇場で、ロジャースとハマースタインの作品が二つ、競演するかたちになった。
                                      →続く
                     

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-「聖エミディウスを伴う受胎告知」

2021年06月22日 20時10分18秒 | 美術館めぐり

2020年『ロンドン・ナショナル・ギャラリー展』-「マルタとマリアの家のキリスト」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/2aa9f9ffa9bb731705f611e3f44ca53c






カルロ・クロヴェッリ
《聖エミディウスを伴う受胎告知》
 11486年
 卵テンペラ・油彩/カンヴァス

会場に入って最初に出会った大きな、美しい絵でした。
「左の橋の上の男は、自治権が認められたことを告げている。聖母マリアの妊娠と自治権が認められたことを同時に祝っている」という音声ガイドの案内でした。

公式HPには、「通常、受胎告知には大天使ガブリエルとマリア以外は登場しません。しかし、ここでは町の模型を持つアスコリ・ピチェーノの守護聖人エミディウスや、人々の営みが描き込まれ、聖なる情景が日常の光景として提示されています。」と紹介されています。

https://artexhibition.jp/london2020/highlight/




月組『桜嵐記』『DreamChaser』宝塚大劇場千穐楽-ライブ配信

2021年06月22日 00時40分02秒 | 宝塚
 2021年6月21日(月)13時~、『桜嵐記』『DreamChaser』宝塚大劇場千穐楽をライブ配信で視聴しました。

 珠城りょうサヨナラショー、終盤に『All for One』の「この地上の何処かに」「明日を信じて」と続き、客席では黄色いペンライトが揺れていました。この状況下で、希望のある歌をもって終わるのかとしんみりなっていたら、サングラスを取り出して、「邪魔だ どけ!」と『BADDY』のテーマソングで終わりました。紅ゆずるさんのサヨナラショーが「ち~ん!」で終わったのに匹敵する、明るく賑やかな幕引き、爽快でした。

 「誰も俺を止められない 悪逆非道
  Don,t stop me,I am BAD!
  I,m BADDY!

  天国なんて行きたくない
  天国なんて
  ばあさんたちの行く場所さ
  冗談じゃねえ」

 自分が認識できたところを断片的に思い出すと、『アーサー王伝説』のテーマソング?『エリザベート』のフィナーレより「闇が広がる」にのせて男役群舞(初演から変わらないのが本当に嬉しい)、銃で撃たれてせり下がっていったのは『グランドホテル』のフェリックス男爵かな、初演では久世星佳さんが演じていた役、『カンパニー』のテーマソング、美園さくらちゃんは『I AM FROM AUSTRIA』より「ブロンド」、たまきちとさくらちゃんのデュエットは『夢現無双』より「同じ星空の下で」、さくらちゃんの鬘の長い巻き毛の先がたまきちの袖のカフスに絡んでしまい、たまきちが笑顔でほどいていた光景も生の舞台ならでは、鳳月杏さんと『幽霊刑事』の幽霊刑事、冷媒刑事コンビの場面を再現、二人がコンビを組めばホームズにも負けないは宙組を意識してのアドリブかな、続いて『月雲の皇子』より、よい国を一緒に作っていこうと誓いあう穴穂皇子と木梨軽皇子の場面を再現、そして『All for One』『BADDY』だったかな。

 退団挨拶、たまきちは花を手に最初に口にした言葉が「本日は月組の千穐楽をご覧いただきありがとうございます」と通常運転のトップスター挨拶に客席からは笑い声が。ものすごくらしいなと思いました。黄色いペンライトが揺れる光景に、「○○シカを思い出しました」っていうのは、「風の谷のナウシカ」でしょうか。さくらちゃんの万感の思いを込めた挨拶が心に響きました。初めてみた宝塚がずんこさん(姿月あさとさん)の退団公演「砂漠の黒薔薇」、「いよいよ故郷の大劇場にお別れをする日がやってきました、この甘き調べに満たされた宝塚が永遠に続いていきますように、キラキラと輝く舞台に立ち続けるには相応の努力が必要なのだということを学びました、悩んだ時にはいつも誰かが手を差し伸べてくれるということを学びました」。そのまま記憶にとめることのできない自分の脳みそがうらめしいですが、こんな内容でした。トップ娘役になってからのさくらちゃんの成長ぶりは爽快でした。高い腰の位置、引き締まったウエストと背筋、美脚に並々ならぬ努力があったであろうことを感じます。
 

『桜嵐記(おうらんき)』作・演出/上田 久美子   

「南北朝の動乱期。京を失い吉野の山中へ逃れた南朝の行く末には滅亡しかないことを知りながら、父の遺志を継ぎ、弟・正時、正儀と力を合わせ戦いに明け暮れる日々を送る楠木正行(まさつら)。度重なる争乱で縁者を失い、復讐だけを心の支えとしてきた後村上天皇の侍女・弁内侍。生きる希望を持たぬ二人が、桜花咲き乱れる春の吉野で束の間の恋を得、生きる喜びを知る。愛する人の為、初めて自らが生きる為の戦いへと臨む正行を待つものは…。
「太平記」や「吉野拾遺」などに伝承の残る南朝の武将・楠木正行の、儚くも鮮烈な命の軌跡を、一閃の光のような弁内侍との恋と共に描く。  死を思いながら生きてきた二人の出会い。」(歌劇団HPより)

 光月るうさん演じる老齢期の正儀が、過去を回想するかたちで最初に南北朝の説明をしてくれるので日本史を忘れていても理解できるようになっていました。『月雲の皇子』『金色の砂漠』と並ぶウエクミワールド、珠城りょうという役者との相性の良さ、芝居の月組と相俟って、人が生きるということの根本を問いかける上田久美子先生の真骨頂と思いました。
 
 この与えられた時と力をなんのために使うのかといった台詞が繰り返し出てきたと思います。楠木正行@珠城りょうさん、「なんのために戦っているのか、その答えをみつけるために戦っている」。敵方の北朝の兵も末端は暮らしを立てるために志願した農民たち、河に投げ出された彼らを助けて村に帰してやるつもりだと手当、弁内侍@美園さくらちゃんが敵方をたすけるなどありえない、公家である自分の言うことを聞けないのかというと刀を渡して、では彼らを斬れるのかと問う。多勢である北朝の高師直の軍勢に勝てるはずがない、争いをやめて和睦するために北朝へ自分をつかわしてほしいと後村上天皇@暁千星さんに嘆願し、後村上天皇は亡き人たちを弔いながら生きたいと願うも、後醍醐天皇@一樹千尋さんら北朝に負けて亡くなった者たちの、求めているのは和睦ではないという声に願いはかなわず。足利尊氏風間柚乃くんが南朝側にやってきて、正行に北朝へ寝返れば酒に金に女と、贅沢な暮らしができるともちかけるも断る。楠木正時@鳳月杏さんの義父、日野俊基@朝霧真さんはすでに北朝に寝返り、正時は妻、百合@海乃美月さんの命を守るために離縁するも百合は自害、「この命、世の流れのために使う」と負けるとわかっている高師直との戦に出陣していく。正時と正儀に自分と行動を共にすることはないと告げるも二人は兄と運命を共にする道を選んで出陣。戦いで討たれた正時は百合の待つ三途の川に先に行くと正行の腕の中で命尽きる。自分も撃たれると誰もいなくなっては困ると三男の正儀を逃がし、手当をして村へ帰した北朝の兵だった農民たちが慕って集まってくると後村上天皇を連れて吉野の山へ行くようにと告げて命果てる。

 プログラムは舞台写真が入る東京宝塚劇場版を買いたいし、脚本が掲載される「ル・サンク」で台詞を確認したくなってしまいましたが、ざっくりとこんな理解であっているでしょうか。

 弁内侍「恋を知り、限りを知り、美しさを知りました」、

 満開の吉野の桜の下での女房たち「桜は散るとわかっていながら何故咲くのか」、

  あいまいですがこんな台詞が沁みました。「限りを知り 命を知れ」と『桜嵐記』に込められたウエクミ先生の想いに触れることができたように感じました。出陣を前に、死と共に生きてきた正行と弁内侍が桜の中で契りを交わす場面が素敵でした。公家装束の正行が弁内侍の肩を抱いてせり下がっていく後ろ姿の美しさ、リアルお雛様と思いました。

 高師直との戦の場面は、老齢期の正儀と弁内侍の回想としてスローモーションで動くという演出、盆周りとせり上がりの使い方にストレスフリーで存分に物語の世界に浸ることができました。出陣していく楠木三兄弟の、精悍で凛々しい美しさは宝塚の男役ならでは。己を犠牲にして人のために生きる誠実な正行、たまきちに似合います。ちょっとお調子者で心優しい三男正儀は月城かなとさんに、妻にやさしくお料理好きな次男正時は鳳月杏さんにとても似合っていました。日本物の着こなしの凛々しいこと、美しいこと。クスノキの音頭を歌っているのはどなたかと気になったら、同時退団の颯希有翔(はやきゆうと)さんとのこと。劇場で観劇したら熱量が凄まじい舞台だろうと思います。東京宝塚劇場の2階てっぺん席、楽しみです。この作品、お金のためにオリンピックやろうとしている国のエライ人たちにみてほしいと心の底から思いました。そういう方々がこういった心を揺さぶられるものを求めることはなさそうですが、今この時たくさんの人にみてほしい名作。NHKが8Kで収録済みのようです。

 高師直の紫門ゆりやさんうますぎ、足利尊氏の風間柚乃くんの芝居力さらにマシマシ、娘役さんが公家の男役にも扮していたり、芝居の月組すみずみまでうまい。

 ショー『DreamChaser』、『サジタリウス』で大劇場デビューした中村暁先生らしいファンタスティックな世界観の作品。むずかしいことはなにもいりません。美しくかっこよく、夢々しい世界。月城かなとさんのソロ、この禍の中でも輝きを失わないでといった歌詞があったのは、中村先生の、今を生きるわたしたちへのメッセージと受け取りました。さくらちゃん率いる娘役さん群舞では、さくらちゃんと海乃美月ちゃんがうなづきあっていました。かっこいいと思う場面も満載。あっという間に終わりました。生で観劇後にプログラムで確認したいです。無事に観劇せねばね。これを見逃すのはあまりにももったいない。

月組『All for One!』より_「明日を信じて」
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/6dfe21239403ae7b9636f08e3ce2e315

2013年月組『月雲の皇子』-オンデマンド配信で視聴(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/f7e9226a188bad22dcd803eeec0b6692

月組『I AM FROM AUSTRIA』_美園さくらちゃんのこと
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/55abcf3687342e998e96fd2de65fc1a9

(画像はツィッターから拾いました)





 夏至が終わりました。冬至を目指してまた陽が短くなっていきます。また明るくなる前に眠れるようになるでしょうか・・・。

宙組『ホテル スヴィッツラ ハウス』-ライブ配信(5)

2021年06月20日 23時42分08秒 | 宝塚
宙組『ホテル スヴィッツラ ハウス』-ライブ配信(4)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/7df913aaefc6353db68706a66bf0b3b9

 ロベルト@真風涼帆さん、かっこよすぎましたね。ナウオンステージのキキちゃん(芹香斗亜さん)、「ロベルトが完璧すぎる、バレエのことなんかも語ったりしてくれて、そんなこともって自分が娘役だったら間違いなくときめく」と。すっしーさん(寿つかささん)、「かっこいいって言われるアイテム全部使っちゃってる」と。帽子、スーツ、ロングコートに煙草。頭のてっぺんから足の先まで、徹底した美しさ、線がきれいですね。今さら言うまでもありませんが、背が高いので映えます。宝塚の男役ならでは。宝塚をみているという満足感。植田景子先生、理想的な男役像を造詣してくれました。スパイキャッチャーという、仕事のためなら冷徹になる男性かと思いきや、お母さんはかつてバレエ・リュスのダンサーでニジンスキーと一緒に舞台に立ったこともあるというロベルト。だから、ナチスから芸術家たちを守るためにナチスの高官と通じていたヘルマン@キキちゃんをロンドンに逃がし、再会を約束するという伏線になっていました。スパイキャッチャーである前に一人の人間としてどうするのかを自分に問いかけるロベルトの姿、嚙みしめたいと思いました。

 新トップコンビのお披露目でもあった『ホテルスヴィッツラハウス』、相手役が星風まどかから潤花ちゃんにバトンタッチ、大人っぽい雰囲気のコンビお披露目となりました。ライブ配信でみた『炎のボレロ』の時、じゅんはなちゃんにここまで大人っぽイメージはなかったので、化学反応、互いにあらたな魅力がひきだされた相乗効果かな。じゅんはなちゃん、真風さんについていこうと一生懸命なんだろうなと思います。真風さんも初めて組んだ相手という緊張感と遠慮があり、いい距離感でした。二人でダンスを踊った後、ロベルトのスーツの襟が立ったままになってしまった場面、どうなるのかと心配していたら、じゅんはなちゃんがさりげなく直してはけていきました。こうして信頼関係は築かれていくものなんですね。

 星組の組長から専科へと異動して最初の出演となったマーサ・ウェリントン子爵夫人@万里柚美さん、紫ともちゃんと同期、圧倒的な美貌とオーラでした。星組出身のまかキキ、下級生時代一緒だったということですね。ナウオンステージで「お綺麗、マダムだよね、なつかしい」と。じゅんはなちゃんは初舞台の時お世話になったと。ニーナ@じゅんはなちゃん、モノがなくなったのはニーナが盗んだからだと絡んでくる夫人に抗議し、対等にわたりあっていました。気難しくホテルでトラブルばかり起こす夫人は、一人息子の乗っていた船がドイツのUボートに撃沈されて以来、心身を病んだという過去を持っていました。ホテルで行われたニーナたちのバレエのチャリティ公演に今一度生きてみたいと思えた、最後はニーナと抱き合い、互いをいたわりあったという、悪い人が誰もいなかった作品はこころに小さなあったかい灯りをともしてくれました。

 スイスのホテルを舞台にした多国籍の人々の物語。名前でどこの出身かなんとなくイメージがもてるように登場人物の名前がそれぞれ設定されていて、細かいところまで丁寧につくられています。想像の翼に大いなる余白を残す上田久美子先生とは対照的。それぞれの良さがありますね。



 明日は上田久美子先生演出の月組、わかりやすいとオンデマンド配信された光月るうさんとの対談でたまきち、大劇場卒業の日、緊急事態宣言の解除に伴い、フェリエとフルールで月組公演特別メニューが用意されるというお知らせ。ずっと営業できませんでした。いつ再開できるかわからないのにいつ再開してもいいようにいつも通りメニューを考案して準備していたとは、6月21日、千穐楽たった一日だけのために材料を調達して提供するとは。だから戻ってきたらもう死ぬまでついていきますという気持ちです。フルールの公演デザート、いつも通り二種類、宝塚のデザートは甘すぎず美味しいです。

https://kageki.hankyu.co.jp/news/20210620_001.html







次の宙組公演のショーの振付講座も公開されて、こんなきつい時に次々と幸せ時間をくれるなんて本当にありがたいです。きっとものすごくハードな生活をしているであろうに、夢と希望を届けようとしてくれていることに感謝しかない。このららちゃん、ずんちゃん、そらくん、すごくかわいい。迷惑行為の映像、舞台からはこんなふうにみえるのかなと。マカロンペンライト、買わないかもしれませんが東京で待っています。一緒に楽しめる日を待っています。

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懐かしい恩師の言葉に触れる(9)

2021年06月20日 19時46分47秒 | 祈り
「あけましておめでとうございます

 たんぽぽさん、とてもきれいなやさしい年賀状をありがとうね。
 とうとう小学校も終わりの学期ですね、いそがしい毎日でしょう。
 私も正月を迎えて61歳になりました。
 ありがたい毎日でよろこんでいます。
 毎日孫のこもりで、一日がすぐすんでしまいます。
 △△や★★やと行ったりきたりで、ドカ雪の中でのりものがないので、5Kmも歩いてきました。
 楽しいことです。」

 1975年1月15日の消印、どんな年だったのかとネットで調べてみると暗い出来事がたくさんありました。それでも高度経済成長期、山陽新幹線が博多駅まで開通し、あげあげムード、がんばれば、がんばりさえすればいい生活が手に入るという、希望に満ち溢れた時代だったでしょうか。それから半世紀、この頃のツケが回ってきている時代となりました。コロナ暗黒社会になってしまいました。希望のみえない時代になってしまいました。がんばったらかとて、がんばったからとて、その先になにがあるのか、全く見えない時代になってしまいました。ニュースをみているとわけわからんことばかりで、どうにもこうにも理屈では理解できず、頭がおかしくなりそうです。毎日のように若い命が自らの人生にピリオドをうっています。報道されるのは氷山の一角だと思います。毎日毎日、どこかで誰かが苦しんでいます。それでもオリンピックだそうです。わたしが払った血税が湯水のように無駄に使われています。わたしたちの生活って、こんなにも足元が不安定な上にあるんですね。生きながらえていくことに不安しかありません。

 先週はそれでも生き延びていくためにはと、己に鞭打って気持ちを奮い立たせて月曜日に出向き、その結果を待つ苦しい一週間でした。金曜日の午後郵便受けに封筒が入っていることを確認しました。そのままにしています。明後日までにそのままにしておくつもりです。明日電話が入らなければ最終的にダメだったということを呑まなければなりません。ダメじゃなかったらHappyとは思いません。やってみなければわからないというこわさがあります。ダメでしたとなったとき、自分を全面否定されたように感じてしまうことに耐えられません。だからこわくて確認できません。いやですね、ほんとにいや、苦手です。お裁きにかけられて、その結果を言い渡されるみたいな心境です。アピールできるほどのものなどそもそもなにもないんですけど、自己アピールとかできません。長所はどこですか、短所は? 苦手だったタイプの人は? 20代の人が多いですが・・・。どんな答えが模範的なのか、全くわかっていません。仮面をかぶらなければと思えば思うほど正直ベースの自分でしかいられません。正直ベースの自分では行くところがありません。4年前と同じ所に戻れたとしてもすっかり変わっていますね、きっと。すごく厳しくなったと感じました。4年前二度この苦しいことを繰り返し、帰省してからも繰り返し、昨年戻って来てからも繰り返し、なんとかどこかに辿り着いたときにはへとへと、これを最後にしたいと希望を持ったところは、気がつけば自分が悪者にされて最後逃げるように去るしかありませんでした。また人を募集し始めたようなのでわたしの坐っていた椅子に5月から坐った人も更新を断ったか、すでに逃げ出したか、おそらく断ったと思われます。誰も続かない、闇、それでも誰の責任でもなく来た人の責任にすり替えてなにも変わらない。つらいですね、一生懸命やった結果悪者になったって・・・。

 明日は月組の宝塚大劇場千穐楽なので久しぶりにライブ配信をみるつもりです。こうして追い詰められたように繰り返していても、へとへとになるばかりで、年齢を考えても、どこかに辿り着けるというイメージを全く持つことができません。それでも死ぬことはできないので、明日電話が入らなければ、また顔を上げて火曜日には相談窓口に行かねばなりませんね。年金保険料の天引きから放免となるまでは週五日間フルタイム、過ぎた時間を悔やんでも戻ってこないので、どこかに入り込む算段を続けていくしかありません。妹が自死して、母は統合失調症だった自分はすごく苦しいです。血のつながりを断ち切ることはできません。でもわたしは別の人間。選び取ることができなかった人生。そんなことを口に出すことはできないわけだし、自分一人なんとか生き延びていくしかありません。見守っていていただければと思います。

五島美術館-国宝紫式部日記絵巻

2021年06月19日 19時12分54秒 | 美術館めぐり
 2017年10月11日(水)に世田谷の五島美術館を訪れました。目的は10月7日(日)から15日(日)まで特別出展された「国宝紫式部日記絵巻」でした。ギャラリートークが開催されていたので途中から聴講し、そのあとで鑑賞しました。作品を守るために照明はかなりおとされていましたが、お話にあったように、正面からではなく少し角度をかえてみると黒一色にみえる装束に濃淡のあることなどがよくわかりました。細やかに描かれていて驚きました。20数年前、都心で暮らし始めた頃「国宝源氏物語絵巻」が展示された時に一度訪れて以来でした。現在絵巻はデジタル化が進められているというお話もありました。貴重なコレクションを伝えていくために欠かせませんね。

「紫式部日記絵巻の成立
  
・平安時代・11世紀初めの紫式部著『紫式部日記』を役250年後の鎌倉時代・13世紀前半に絵画化し絵巻にしたもの。
・伝承筆者・詞書=後京極良経(1169~1206)、絵=藤原信実(1176?~1265?)」

五島美術館Webサイト
https://www.gotoh-museum.or.jp/より

「五島美術館所蔵五島本第一段

 寛弘5年(1008)10月17日の夜、昇進した御礼を中宮彰子(藤原道長の娘、999-1074)に啓上しようと、藤原斎信(967-1035、42歳)と藤原実成(975-1044、34歳)が、宮の内侍と紫式部を訪ねる場面。左側に大きく庭を描き、建物を斜めに配した大胆な画面構成を示す。左上の銀の月が、詞書にある「月いとおもしろきに」「月いとあかしに」を象徴。」



「五島美術館所蔵五島本第二段

 寛弘5年(1008)11月1日、皇子誕生50日目の祝の日の様子。朽木文様の几帳で仕切られた神殿の内部に、敦成親王(のちに後一条天皇、1008-36)を抱く中宮彰子(988-1074、21歳)と、髪を上げ正装で奉仕する女房たちを描く。松喰鶴文様の敷物の上に高杯を置き、食膳を配す。右下の女房が、詞書に「おくにゐてくはしは見侍らす」とある紫式部か。」

「五島美術館所蔵五島本第三段

 第二段と同じ寛弘5年(1008)11月1日、儀式後の宴会の様子。女房の扇を取り上げ、冗談を言う藤原顕光(944-1021、65歳)、素焼きの杯を持ち催馬楽「美濃山」を謡う藤原斉信(967-1035、42歳)、女房装束の棲や袖口の襲の色を観察する藤原実資(957-1046、52歳)、「あなかしこゝのわたりわかむらさきや候」(詞書)と、紫式部をさがす藤原公任(966-1041、43歳)など、各人の様々な姿や表情を生き生きと描き出す。」
















 高校時代、古典の授業がひそかに好きでした。おばあちゃん先生が怖くてみんな嫌っていたので口に出すことができませんでしたが一人期末テストの成績も悪くなかった。参考書を片手に「紫式部日記」を読みました。断捨離してしまいましたがノートに原文と現代語訳を書き留めました。デジタルでは残したはず。いつかこの世にいる間に「万葉集」と並んで「源氏物語」をゆっくり読み返したいです。そんな穏やかな時間がわたしの人生に訪れるでしょうか。訪れてほしいです、許してほしいです。

 9月15日(金)に五島美術館の庭園を散策しました。庭園の散策のみは300円。







ムラサキシキブ





光源氏







 またこの頃と同じことの繰り返し、どこかにたどり着けると信じて一生懸命やれることをやってきたはずなのに、気がつけば何度目かの無職、もうこんなに苦しいことは終わりにしたいのに終わりません、永遠にこの時が続いていくような気がします。こんな一番社会が不安なときに何故自分は無職なのか、しかもコロナが理由じゃないので、コロナじゃないんですかってなる。人生の選択を間違えてばかりですが引き返すことはできません。4月末で逃げ出したところは、また人を募集しています。誰も続かない、7か月も持ちこたえたわたしはえらいですが、全部わたしが悪者、こわくて何を信じればいいのか、希望はありませんがまだこの世にいる間にこんなことをやりたいをいくつか積み残しているので生き延びていくしかありません。

 ずっと書きたいと思っていたことを4年越しでようやく書けました。

 若かりし頃に読んだ本たち、いろいろと整理して、もう一度ゆっくりと読み返したいです。









2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(12)

2021年06月19日 08時39分00秒 | ミュージカル・舞台・映画
2018年ミュージカル『ジキル&ハイド』(11)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/577dee8f85a35945fa2e371d4386b162

 公演プログラムよりここまで書いてきたので、最後に東宝、宝塚の舞台に欠かせない塩田明弘先生と甲斐正人先生のフランク・ワイルドホーン氏について語っている対談を。この頃、東京宝塚劇場では、雪組が『ひかりふる路』を上演したばかり。東京国際フォーラムでは『マタ・ハリ』が上演されたあとだったし、ワイルドホーン氏の楽曲を提供した作品の上演が続いていました。宝塚での楽曲提供から縁がつながり、ホーンさんがたかこさん(和央ようかさん)の旦那さんって、そんなことがあるんだなあと今もなんだか不思議な感じです。

「音楽監督;甲斐正人 × 指揮;塩田明弘

塩田‐僕は1997年の『ジキル&ハイド』ブロードウェイ初演時に稽古を見る機会がありまして。幸せなことに千秋楽の稽古にも立ち会うことができたんです。フランクとのお付き合いはそれ以来で・・・そこで薫陶を受け、フランク音楽の原点ともいえる『ジキル&ハイド』の世界を肌で感じ、その後、数多くの作品に携わってきました。『デスノート THE MUSICAL』のような新作では、彼がすごい速さで作曲するのを目の当たりにし、それを譜面に書きとったりもしました。

甲斐-それはラッキーでしたね。私もワイルドホーンをよく知る塩ちゃんに全幅の信頼を置いて、この作品に入ってもらっています。姿月あさとさんがクリエのコンサートで「罪な遊戯」を歌った時に、塩ちゃんがすごくこだわって、長時間歌の指導をしたと聞きましたよ。

塩田-『ジキル&ハイド』になると、スィッチが入っちゃうんですよ。先生もそうでしょう?二人ともハイド化していくの。先生は『ジキル&ハイド』の日本初演から関わられて作品を熟知なさっているし、それでも再演のたびに発見があるとおっしゃる。僕もそう。終点がない。

甲斐-関わって17年、今回7回目になるけど、まだまだやろう!という気持ちになれる珍しい作品。先月、宝塚で『WEST SIDE STORY』の音楽監督を務めて、改めて優れたミュージカルの原点だと思いました。60年経っても発見があり、教えられる。『ジキル&ハイド』はそれに匹敵する作品です。1990年代の大傑作。ずっと携われるのは幸せです。

塩田-現場で指揮をしていると飽きないし、感動してばかりです。(略)

甲斐-なぜそんなに感動するのか、毎回考えるのですが。

塩田-ひとつひとつの楽器の音が飛び出した時に、生命を感じるんですよね。ひとつひとつの音が炭酸水のように飛び出すのが見える。また人間の声をフルに使い、オーケストラも生演奏。人の力、人間力を感じる作品なんですよ。

甲斐-確かにワイルドホーンのメロディの力強さは類い稀。それから専門的になるけど調性感覚、ハ長調やト長調などキーに対する考え方。宇宙の音の力とありようを、よく感じ取っている作曲家だと思います。演奏した時に、心地よいというか、こうでなければならないという音楽のありかたにみんなが納得できる。音はドからシまで7つ、半音を入れて12しかないけど、その方程式を見事にわかって作っている。そこにワイルドホーンの音楽の力強さがあると思います。

塩田-流麗でロマンチック、いろいろな感情の変化をメロディで描き、転調で感情の変化や潜在的な欲望を表現している。見事です。オケと歌についても、共調しているところもあれば、歌ではハイドの現実を物語つつ、オケはジキルの切なさを表すなど、反比例することもあり、音楽が芝居をしていると言っても過言ではありません。

甲斐-全体的にこの音楽は強い迫力でくるように作られ、そこに細かい感情線、リズムやハーモニー、メロディに対するサブの旋律が織りなしていく。それらを立体的な音楽になるように鮮やかにくっきりと描きたい。歌の面でも、稽古の最初から、みんなが一体化して弾けている。新しい色彩の2018年度版が出来上がりつつあって、楽しみです。

塩田-音楽は聴く分には楽しいけれども、奏でる、歌うのはすごく難しい。

甲斐-なぜ日本人の我々が西洋的なに二元論をテーマにした『ジキル&ハイド』に惹かれるのか。その理由を考えると、この物語は最後まで二元論で終わるわけではないんですね。実はエマが大きな役割を果たしていて、彼女だけが揺るがずにジキルを支え、自分を捨てているんです。殺されそうになってもジキルを思い、ジキルは人間に戻ることができる。つまり善悪の両面を持つ人間の奥に何かがあるという示唆。その存在がエマだと。

塩田-一見、ルーシーのほうが強い女に見えますが、実はエマのほうが芯があるんですね。だからエマは澄んだ、毅然とした揺れ動かない声を出さなければならない。エマの声と表現力はすごく奥深い。エマの存在が根幹を支えているんです。

甲斐-その通りですね。この劇の重要人物は、実はエマ。エマによってジキルは救われて、人間を取り戻して終わっていく。つまり人間には、善悪を乗り越えていく力があるというメッセージを感じます。ああ、人間ってすごいな!と感じ取り、帰っていける。だから、また観たくなる。僕らもやっていて、気持ちがいい。

塩田-石丸さんの演じるジキルの最期の場面が、僕には生きてきてよかったと感じているように見えるんです。それはエマの存在によるものだと・・・最期に幸せだと思えるのは人間の一番の理想だし、ミュージカルでもなかなかないですね。『ジキル&ハイド』は悲劇だけど、確かな未来を予感させます。

甲斐-ルーシーも最後に歌う「新たな生活」で、こんな自分でも新しいステージに行けると確信します。そこで殺されてしまうけど、一瞬でも幸せを掴めると信じられた。その前向きさを感じながら、我々はこの作品に関わっているわけですね。」