会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その7

2018-05-25 15:08:38 | Weblog
2018年5月24日(木)晴 28.9℃~9.2℃
「奥羽越列藩同盟・会津藩シンポ」


金谷 俊一郎 歴史コメンテーター。
 歴史作家。歴訳家
 日本史講師(東進ハイスクール・東進衛星予備校)
「世界一受けたい授業」(日本テレビ系)や?「試験に出るコント」(NHK)で、?歴史をわかりやすく伝える活動が人気となり、?「おもいッきりPON!」(日本テレビ系)では?レギュラーコメンテーターもつとめた。

 パネルディスカッションの様子は、福島民報 5月20日の記事を参照。

 「会津藩は皇室尊崇、義と理の理解、徳川家への忠誠の精神に基づいて頑張り抜いた」と金谷講師は基調講演し、戊辰百五十年の今年は会津藩の姿勢を訴える好機だとした。
 郷土史家らが戊辰戦争時の東北、北越諸藩の精神を解説し、「勝者の視点」で語り継がれる歴史観を再考する必要性を指摘した。
 

「正しいことをやっている者に筋を通すべきとの判断だったのだろう。愚直な選択をした」。新潟県長岡市の河井継之助記念館長の稲川明雄さんは、会津藩の立場に理解を示し戦火に見舞われた長岡藩の洗濯を解説しながら、会津藩とともの「義」を貫いた姿勢を紹介した。

会津藩の名誉は、薩摩藩や長州藩出身者が占めた明治政権で長く否定された。会津若松市の若松城天守閣郷土博物館副館長中岡進さんは「同盟諸藩の力関係、変化を無視し敵になった藩を奥羽越列藩同盟とひとくくりにすれば片付けやすかったのではないか」と分析した。

奥羽越列藩同盟は、会津藩と、会津藩と同盟を結んだ庄内藩を救うため仙台藩や米沢藩など三十一藩で結んだが、譜代、外様など足並みが身だれ瓦解した。山形県米沢市の九里学園高教諭遠藤英さんは「(米沢藩主の)上杉氏が一番やりたかったのは会津を守ること」、仙台市の作家甲斐原康さんは「この同盟の経過から何を学ぶかが大事」とした。

庄内藩主酒井家十八代当主で山形県の致道博物館代表理事・館長を務める酒井忠さんは「真実を知るには(虚飾を排した記録を)見なくてはならない」と話した。