2016年2月4日(木)くもり 6.1℃~ー1.5℃
「情報社会の最先端を学ぶ」
會津熱中塾の続きをアップします。
◆4校時目 16:40~17:50
古川 亨(ススム)氏「パソコン黎明期の志士達+最新技術動向」
2014年に脳梗塞を患い、一時半身不随、言語障害に陥るものの、ひたむきなリハビリテーションによって劇的に回復しつつある現状を話しながら下記のような話をされた。
1991年32歳でマイクロソフト株式会社の社長に就任し、2005年6月に同社を退社するまで、IT関連の先端技術開発に携わってきた古川さん。
当時のご苦労話や、マイクロソフト社のビル・ゲイツとのエピソード、アップル社のスティーブ・ジョブスの7つの法則などを話した。
メディアビジネス、マーケティングの専門分野の例として、「デジタルパワーを使って、経済的に困難になっている専門書(多種、少部数)の発行」、HAL(運動機能補助具)、JIBO(家庭用ロボット)、TVC CV-LS2(タブレットでスマートに遠隔操作、ライブストーリミングカメラ)、MEMORO(記憶銀行)など最新技術の動向をいくつかのホームページで紹介した。未知のことがいくつもあって学ぶことが楽しかった。
高齢者ではあるが、いつまでも学ぶ姿勢は持ちたいので、第3回、第4回・・・のオープンキャンパスに参加していき、本格的な塾が発足した時は塾生になりたい。
※TED×Sapporoのホームページより
1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979年株式会社アスキー入社。出版、ソフトウェアの開発事業に携わる。1982年同社取締役就任。1986年同社を退社し、米マイクロソフトの日本法人マイクロソフト株式会社を設立。初代代表取締役社長就任。1991年同社代表取締役会長兼米マイクロソフト極東開発部長、バイスプレジデント歴任後、2004年マイクロソフト株式会社最高技術責任者を兼務し、パソコン黎明期から日本のIT業界を牽引してきた。
実業界引退後は、若手の育成に力を注いでおり、2007年から情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業」のプロジェクトマネジャーに就任。2008年より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授に就任(現任)。ITの枠を超えて、デザイン・テクノロジ・マネジメント・ポリシー分野で世界的なイノベータとなるべき若者の発掘、育成、支援に精力的な活動を行っている。世界110ヶ国以上で利用されている色弱者支援技術「色のめがね」や、日本初のクラウドファンディング「READYFOR?」などを指導教授としてサポートした。
2010年ルネサス エレクトロニクス株式会社非常勤取締役、株式会社イー・ウーマン取締役に就任(現任)。幼少より鉄道ファンであり、鉄道模型を趣味としている。ヘリコプターをチャーターして撮影した鉄道写真集は評価が高く、海外では鉄道写真家としても有名。2014年に脳梗塞を患い、一時半身不随、言語障害に陥るものの、ひたむきなリハビリテーションによって劇的に回復しつつある。
「情報社会の最先端を学ぶ」
會津熱中塾の続きをアップします。
◆4校時目 16:40~17:50
古川 亨(ススム)氏「パソコン黎明期の志士達+最新技術動向」
2014年に脳梗塞を患い、一時半身不随、言語障害に陥るものの、ひたむきなリハビリテーションによって劇的に回復しつつある現状を話しながら下記のような話をされた。
1991年32歳でマイクロソフト株式会社の社長に就任し、2005年6月に同社を退社するまで、IT関連の先端技術開発に携わってきた古川さん。
当時のご苦労話や、マイクロソフト社のビル・ゲイツとのエピソード、アップル社のスティーブ・ジョブスの7つの法則などを話した。
メディアビジネス、マーケティングの専門分野の例として、「デジタルパワーを使って、経済的に困難になっている専門書(多種、少部数)の発行」、HAL(運動機能補助具)、JIBO(家庭用ロボット)、TVC CV-LS2(タブレットでスマートに遠隔操作、ライブストーリミングカメラ)、MEMORO(記憶銀行)など最新技術の動向をいくつかのホームページで紹介した。未知のことがいくつもあって学ぶことが楽しかった。
高齢者ではあるが、いつまでも学ぶ姿勢は持ちたいので、第3回、第4回・・・のオープンキャンパスに参加していき、本格的な塾が発足した時は塾生になりたい。
※TED×Sapporoのホームページより
1954年東京生まれ。麻布高校卒業後、和光大学人間関係学科中退。1979年株式会社アスキー入社。出版、ソフトウェアの開発事業に携わる。1982年同社取締役就任。1986年同社を退社し、米マイクロソフトの日本法人マイクロソフト株式会社を設立。初代代表取締役社長就任。1991年同社代表取締役会長兼米マイクロソフト極東開発部長、バイスプレジデント歴任後、2004年マイクロソフト株式会社最高技術責任者を兼務し、パソコン黎明期から日本のIT業界を牽引してきた。
実業界引退後は、若手の育成に力を注いでおり、2007年から情報処理推進機構(IPA)の「未踏ソフトウェア創造事業」のプロジェクトマネジャーに就任。2008年より慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科教授に就任(現任)。ITの枠を超えて、デザイン・テクノロジ・マネジメント・ポリシー分野で世界的なイノベータとなるべき若者の発掘、育成、支援に精力的な活動を行っている。世界110ヶ国以上で利用されている色弱者支援技術「色のめがね」や、日本初のクラウドファンディング「READYFOR?」などを指導教授としてサポートした。
2010年ルネサス エレクトロニクス株式会社非常勤取締役、株式会社イー・ウーマン取締役に就任(現任)。幼少より鉄道ファンであり、鉄道模型を趣味としている。ヘリコプターをチャーターして撮影した鉄道写真集は評価が高く、海外では鉄道写真家としても有名。2014年に脳梗塞を患い、一時半身不随、言語障害に陥るものの、ひたむきなリハビリテーションによって劇的に回復しつつある。
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