この「博物館・網走監獄」は
実際に使われていた網走刑務所の建物を 市内 天都山の
場所に移築復元し保存している。
だから 現在の網走刑務所は 別なところにある。
網走監獄が誕生したのは 西南戦争や自由民権運動などで
国事犯としての囚人が多くなり 囚人の過剰拘禁状態の解消と
ロシアの侵略から北海道を守るため開拓の人夫が必要とのことで
1890(明治23)年 中央道路(旭川~網走)開削作業に
囚人が網走に送り込まれたことによるとのこと。
「監獄」と「刑務所」の違いは
2006(平成18)年に「刑事収容施設及び被収容者等の処遇に
関する法律」の施行に伴い「監獄法」1903(明治41)年は廃止
された。
「監獄」というのは、受刑者・刑事被告人・被疑者などを収容する
施設 の”総称”として使われていたが 以降は「監獄」は
「刑務所」と呼ぶようになった。
刑務所のことを よく ”むしょ” といいますが
“刑”をとって “むしょ” になったとお思いでしょううが。
監獄法の規則に 囚人が食べるご飯の混合率 「麦6、米4」とあり
明治時代から”むしょ帰り”ということばあったそうです。
ベルギーのルーヴァン監獄を模して建てられて 五翼放射状に
広がる平屋舎房 その要の位置に監視所設けらている。
雑居房と独居房を合わせ226房があり 少人数で監視できるように
なっている。