また一人 松代排出の人物を知る。
関西大学の創立者「井上 操」
代官町にその生家があった。
1847(弘化4)年 松代に生れ
1905(明38)年 没した。享年57歳。
1873(明6)年 司法省法学校に入学し
在学中に山形有朋の知遇を得る。
1876(明9)年 同校卒業とともに司法省出仕を命ぜられる。
1884(明17)年 民法典編纂委員に補され
1886(明19)年 東京大学法科大学教授に任ぜられたが
同年 判事に任じ 東京始審裁判所詰となる。
ついで 大阪控訴院評定官に転じ
大阪事件(民権運動家らによる反政府武装闘争計画)の公判のため
同院に開設された臨時重罪裁判所の裁判長に任ぜられ
名判決で知られる。
また 関西法律学校(現 関西大学)創立の中心的役割を果たす。
1890(明23)年 大阪控訴院部長に進むが
1894(明27)年 病気のために辞任し
松代に帰養した。