あかない日記

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西洋農学者 津田 仙

2021-04-24 | 人物忌


 (千代田区大手町)

 

4月24日は 明治初期の西洋農学者
 津田 仙 が亡くなった日


津田 仙は

日本の農学者 キリスト者 
学農社創立者
青山学院大学の創立に関わる。

 新島 襄(1843-1890) 
 中村正直(1832-1891)とともに
“キリスト教界の三傑”とも

次女に
津田塾大学創立者
津田梅子(1864-1929)がいる。


1837(天保8)
 下総国(千葉県)佐倉藩士
    小島善右衛門良親の四男に生まれる。
   幼名 千弥

1851(嘉永4)年
 元服して桜井家の養子となる。

1857(安政4)年
 江戸に出て蘭学、英学を学ぶ。

1861(文久1)年
 幕臣津田家の初子と結婚して
    婿養子となり
    外国奉行通弁に採用される。

1867(慶応3)年
 勘定吟味役 小野友五郎の随員として
    福沢諭吉(1835-1901)らとともに渡米
    西洋農法に感銘を受けて帰国
1869(M2)年
 築地ホテル館に勤務

1871(M4)年
 北海道開拓使嘱託となり

 開拓次官の黒田清隆(1840-1900)が
    政府が派遣する岩倉使節団に
    女子留学生を随行させることを
   企画すると、
娘の梅子を応募させる。
1873(M6)年
 ウイーン万国博覧会に出席

1874(M7)年
 「農業三事」を著し
  花粉媒助などによる
  米麦の増産法を提唱
1875(M8)年
 ウイーン万博から持ち帰った
    ニセアカシアの種子は

 大手町に植えられて
   東京初の街路樹となった。
1876(M9)年
 農産物の栽培・販売・輸入
   農産についての  書籍・雑誌の
   出版などを事業とする。
 「学農社」を設立
 その一環として 農学校も併設した。

 
  学農社発行の「農業雑誌」で
 アメリカ産トウモロコシの種の
   通信販売を始め
  これが   日本で
   最初の通信販売といわれている。
1880(M13)年
 「北海道開拓雑誌」を発刊
   西洋農法の普及に努めた。

  このころキリスト教に入信
 
  青山学院の前身になる
  学校組織の創設にも関与

1897(M30)年
 以降は事業を次男に譲り引退し
 禁酒・禁煙運動などの
   社会活動を行った。

1908(M41)年  
  東海道本線の車内で脳溢血にて死去

 享年72

 

 


青山学院大学(渋谷区渋谷4)

 

 

 

 



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