あかない日記

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薬学者 大井玄洞

2021-08-15 | 人物忌


   大井玄洞の胸像 

8月15日は 
薬学者 政治家 陸軍軍人
大井玄洞 が亡くなった日

大井玄洞(げんどう)の胸像が
文京区関口の
江戸川公園内に置かれている。

説明文には
「 大井玄洞翁の胸像 
 生誕 安政元年(1855)
  加賀藩金沢に生まれる

 明治33年(1900)より
  小石川区(現文京区)在住

 逝去 昭和5年(1930)8月15日
  伊豆にて没す(享年75才)


江戸川(現神田川)の治水事業は
沿岸の人々にとって、永年の願いであった。

明治43年(1910)の大洪水の後、
玄洞翁は、人々の願いの実現に努力し、

大正2年(1913)護岸改修に着工させ、
大正8年(1919)に完成させた。
人々は、翁の功績をたたえ、
永くその徳を伝えるために、

昭和3年(1928)、江戸川公園内の
当所に胸像を建てた。

 昭和58年(1983)12月
       文京区役所」

大井の概歴
1855(安政元)年
 加賀藩の儒医の子として生まれる。

 藩の明倫堂で学び
 更に藩の道成館で英語を習得した。

1873(M6)年
 大学南校(現東京大学の前身)
 の卒業とともに
文部省上等出仕となって
 大学区医学校
 (現東京大学医学部の前身)に
 ドイツ語通訳として勤務。
 教科書を作るにあたり
 ドイツ語の翻訳で
 「生薬学」の訳語をあてた。

1880(M13)年
 金沢医学校製薬学科
(現金沢大学薬学類の前身)に赴任し、
 同校の教諭と石川県立金沢病院
 現金沢大学医学類附属病院の前身)の薬局長

1885(M18)年 
 これらの職を辞して翌年ドイツに遊学
1886(M19)年 
 陸軍病院薬剤課長心得

1894(M23)年
 第一師団軍医部に配属

1897(M26) 年
 日清戦争に出征

1900(M33) 年
 義和団の乱に伴い召集される。

 事変が終わるとともに
 召集解除となった。

 薬剤官としての生活を終えてから
 東京市小石川に居をかまえ
 ガーゼや脱脂綿などの衛生材料を
 商う傍ら区会議員となり、

1907 (M40) 年
 府会議員となり
 以来5期20年
(1928・S 3)年まで)に  わたって
 地域の発展に貢献した。

1930(S5)年8月15日 死去 享年75






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