4月2日は 詩人・歌人・彫刻家
高村光太郎(1883-1956)が亡くなった
連翹忌(レンギョウキ)。享年73
自宅庭に咲くレンギョウの花を愛していた
また 彼の棺の上にその一枝が
置かれていたことから連翹忌と呼ばれる。
彫刻家 高村光雲 の長男として生まれる。
東京美術学校彫刻科を卒業し
欧米に留学し ロダンに引かれる。
日本を代表する彫刻家であり
画家でもある。
また「道程」「智恵子抄」等の
詩集が著名で 日本文学史上
近現代を代表する詩人として
位置づけられる。
著作には評論や随筆 短歌もある。
能書家としても知られる。
西日暮里駅の西側に
荒川区立第一日暮里小学校があり
その校門脇にフクロウの像と
正直親切と記載された
記念碑が置かれている。
碑文には
「創立百周年記念 高村光太郎書
「正直親切」の記念碑
「正直親切」の文字は、
本校卒業生である高村光太郎の直筆で、
昭和26年岩手県山口小学校の
児童のためにかかれたものを
高村規氏、財団法人高村記念会の
ご好意により、創立百周年記念碑に
使わせていただきました。
高村光太郎は、明治23年に、
下谷区練塀小学校から日暮里小学校
(当時は、現在の福祉館の
場所に校舎がありました)
に転校、ここで勉強し
小学校を卒業しました。
その後、彫刻家として、
すぐれた作品をつくり、
また詩や絵もかき、
立派な書を数多く残しています。
ここで大切なのは、
それらの作品を通して、
光太郎が、人を愛し、
自然を愛する人間としての
生き方を教えていることです。
先輩光太郎が心をこめてかいた
「正直親切」の文字が、母校に学ぶ
児童一人ひとりの心のなかに、
いつまでも生き、
その成長を支えることを望みます。
「フクロウ」の像は、
石彫家飯田雅光氏の作で、
本校校歌にもある
〝諏訪の森かげ、みどりの風に〟
ふさわしい《森の知者》として、
一日小の子どもたちのシンボルとなり、
永く親しまれることを願っています。
昭和60年11月9日
東京都荒川区立第一日暮里小学校
創立百周年記念事業協賛会 」
彫刻の代表作「湖畔のおとめ」
(十和田湖畔・御前ケ浜)
智恵子記念館
「智恵子抄」は 結婚する以前の
1911年から死後の1941年まで
光太郎が30年間に書き続けた詩集。
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