あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

カンボジア紀行(56) ガジャシンハ

2014-07-16 | カンボジア紀行



ガルーダとシンハが一体化したインド神話の聖獣の

ガジャシンハ」がテラスを支えている。

  その表情は それぞれ違う。

  「ガルーダ」とは インド神話の聖獣で 鷲の頭とくちばし・翼と爪・脚を持つ鳥人。

  また 「シンハ」とは 獅子・ライオンを意味する。

  良く見ると ガルーダの天敵であるナーガを握っている。 

  この「ガジャシンハ」は カンボジア王国の国章にも使われている。

カンボジア王室の紋章を挟んで 二頭の動物がおり

 
向かって左にいるのが象の鼻を持つ獅子であるガジャシンハで

 
右にいるのがシンハ。


この二頭は 王家のための五層の日傘を捧げ持っている。

 


カンボジア紀行(55) 象のテラス

2014-07-15 | カンボジア紀行

 


バプーオンの入口 北側 に「象のテラス」が 約300mも続いてあるが

果たして 何頭の象が彫られているのか。

 

象のテラスは バイヨンと同じく ジャヤバルマン7世によって

 

12世紀末に建てられた


王族の閲兵用の場所として使われていたが

 テラスの土台・壁に ”象” が描かれていることからこの名が付けらた。

また 北側には 3つの頭を持つ象がハスの花をからめ取っている。

この「象のテラス」の奥は 王宮の塔門へ続き 

手前の道は 一直線に東に1km先「勝利の門」へ向かっている。 

このテラスの北側には 三島由紀夫の戯曲にもなった「ライ王のテラス」が

あったが 見学には至らなかった。

 

 


カンボジア紀行(54) バプーオン寺院

2014-07-14 | カンボジア紀行

空中回廊の先に ピラミット型の寺院が見える。

 

バイヨン寺院の北門を出て 北へ向かう。
 
左手奥に「バプーオン寺院」が木立の間から見えてきた。
 

バプーオン寺院は 11世紀中頃 ヒンドゥー教の神シヴァに捧げられ

 ウダヤーディチャヴァルマン2世 の国家的寺院として築かれ

「隠し子」と言う意味をもつ 3層のピラミッド型寺院である。


バプーオン様式の原型となる。

東塔門から 高さ2mの円柱列に支えられた

200mの長い空中回廊は 中央へと導く参道として

アンコール・ワットと同じように地上と天界とをつなぐ

虹の架け橋の意味もある。
 

見どころは 14世紀に作られたと言われる

西側壁面全体を使って 幅約70m 高さ約3,5mもある巨大な寝釈迦像。

また 階段を登った第2回廊 西側の壁面にある「隠し子」伝説の壁画があるそうだ。

 

 バプーオン寺院脇の聖池


カンボジア紀行(53) カンボジアの気候

2014-07-13 | カンボジア紀行

天候は晴れ 気温は35度を示している。 (10/29 15:00 バイヨン寺院内にて)

 

カンボジアは 熱帯性モンスーン気候に属し 

気温は 年間を通して20度から35度。


ただし 乾季の最も暑い時期は40度以上になる。


季節は、雨季と乾季に二分され 5月から10月までは雨季になる。


雨季は インド洋とタイ湾からの湿った南西季節風が

インドシナ半島に流れ込むため大量の雨が降り
 
特に9・10月は激しいスコールに見舞われる。


乾季は 11月から翌年4月までで 

乾燥した北東季節風によって雨はあまり降らないので
晴れた天気が続く。

なお3・4月は渇水期になるため 最高気温が40度になることもある。

 

今回のカンボジア旅行は 心配していた天候にも恵まれた。 感謝!

 

 


カンボジア紀行(52) バイヨンの微笑

2014-07-12 | カンボジア紀行

 

バイヨン寺院には 四面仏顔塔が49基も林立している。

かつて 観音菩薩(四面仏顔)は 196体(49×4)あったが

今は173体になっている。

観音菩薩は、人々の音(声)を観て(聞いて) 

その苦悩から慈悲を持って救済する菩薩であるので
 
人々の悩みに応じて千変万化の相となるといわれる。


それ故 どれ一つとして同じ表情のものがないものの

 いずれも穏やかな微笑を見せている。

しかし 最近の調査では これは特定の宗教のもではなく
 
つまり 観音菩薩ではなく 
尊顔」としているようだ。
 
その中で最も有名なこの尊顔は


アーモンドアイと厚い唇の表情から造られた

 神秘的な微笑は「バイヨンの微笑」といわれ

その造形美術は クメール独特の美意識によるものとされている。

 

 


カンボジア紀行(51) デバター

2014-07-11 | カンボジア紀行

 

バイヨンにもデバターが彫られている。

バイヨンのデバターは アンコールワットと比べ 顔もユーモラスに表情豊かに

 
また 直立的ではなく 足を大きく曲げて踊る姿に彫られている。

 王様に使える直属の女官としてではなく 

こちらは 正に 踊り子としてのデバターになっている。

  大胆に魅惑的なダンスは躍動感にあふれ 

素材は荒く 密林に囲まれ廃墟に近い中にあって 

ここにだけが なまめかしく

 スポットライトがあてられているようにも思えた。

 

 


カンボジア紀行(50) 後方支援

2014-07-10 | カンボジア紀行

  

  

                     闘鶏の賭け                               亀を尻に噛ませる女!ユーモラスな場面も



ここに描かれているのは 兵士の闘いだけでない。

 他の壁画と違いその戦争に補給役として従軍した一般庶民の姿も描いているは驚きだ。

神話や政治を背景としているアンコールワットの王朝のレリーフよりも

こちらの方は 漁 狩り 炊事 闘鶏 将棋 相撲 出産場面など

 日常的な庶民の生活などが 
生き生きと描かれて親しみがもてる。 

この時代には闘鶏もあったことも分かる。

投網をし魚を捕る  憂さ晴らしの宴会か・・・・

今問題となっているが 戦争には支援部隊が必要なのは明白

 はたして 従軍〇〇〇は?

 

 


カンボジア紀行(49) 第一回廊

2014-07-09 | カンボジア紀行

 

寺院は 第一回廊(外側)は160m×140m 

第二回廊(内側)は 70m×80mの 二層の回廊に囲まれており


第一回廊は、建設当時にあった屋根は 

今は落ちて 開放的なギャラリーになっている。

アンコール王朝にとどめを刺したシャム族が破壊したという。


回廊の高さは 約10mで その壁面は三段に区切られ レリーフが刻まれている。

  

南側には クメール軍の行進が かなり繊細に描かれている

行軍の中には 髪形からクメール兵士と中国などからの傭兵とを見分けることができる。

また 水牛の血の入った酒を飲むと戦いに勝てるとのことで

 水牛が生贄にされる場面もあった。

 

 

 


カンボジア紀行(48) 日本の支援

2014-07-08 | カンボジア紀行

 

バイヨン寺院東門の手前に 日の丸が入った看板があった。

日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)と カンボジア政府組織(APSARA)とで

結成されたチーム「JASA」が バイヨン寺院を修復している旨の看板であった。 

 
資料によれば

1989(平成元)年に設置された ユネスコ文化遺産保存日本信託基金により

1994(平成6)年11月に 日本国政府アンコール遺跡救済チーム(JSA)が結成され

 
アンコール・トム・バイヨン寺院の北経蔵の保存修復事業が開始された。


 現在は 公益財団法人 文化財保護・芸術研究助成財団が

JASAに対する協力を行っており アンコール遺跡群の保存計画事業や

カンボジア人文化財保存修復専門家育成事業などを支援している。

 
なお これにより 2004(平成16)年 ユネスコの「危機遺産」リストから

アンコール遺跡群は除外された。

 

JSAが 修復工事を竣工している主な遺跡(2010年現在)

・バイヨン北経蔵(1999年)

・アンコールワット北経蔵(2005年)

   ・プラサート・スープラN1塔(2005年)

・バイヨン南経蔵(現在進行形中) 

なお このほかに日本からの支援組織とその遺跡は

・上智大学アンコール遺跡国際調査団
                  (アンコールワット西参道 バンテアイ・クディ他)

    ・奈良文化財研究所(タニ村窯跡 西トップ)

・東京文化財研究所(タネイ)
・ERDAC(アンコール地域の環境調査)

 

 


カンボジア紀行(47) バイヨン

2014-07-07 | カンボジア紀行

                                         北門側から全景を望む

南大門から 一直線上の突き当り アンコールトムの中心に 

バイヨン寺院があり ピラミッド型のメール山(須弥山)を

象徴化している寺院である。


資料によれば


メール山は 古代インドの宇宙観によると神々の住む聖域で

 また 神が降臨する場所でもあった。

この宇宙観を正確に具現化することが 王の重要な使命であった。


また 東西南北に延びる道路は メール山から世界に向かう道を象徴し

 城壁はヒマラヤの霊峰 城壁を取り巻く 周囲の濠は大海を表したものである。


(資料から)

 

 

 


カンボジア紀行(46) 南大門

2014-07-06 | カンボジア紀行

 

アンコールトムは 周囲12kmの堀と 高さ8mの城壁で囲まれて

南大門 北大門 西大門 死者の門 勝利の門の5つの城門がある。

各城門は 塔になっていて 東西南北の四面に 観世音菩薩の彫刻が施されている。

特に 「勝利の門」は 凱旋した軍隊が 「死者の門」は 敗戦した軍隊が入って来たと言われ

また 戦死したクメールの戦士の魂は 参道を通ってバイヨンに戻るとも。


城門の中でも この南大門が修復状態もよく 最大のようで 

塔の高さ23m また顔の長さは3mあるが しっかり見ないと良く見えない。

また シェムリアップとアンクルトムを結ぶ線 にこの南大門があるので

その往来は激しく その上 出入り口の幅は 狭いので車一台がやっと

 気をつけて入場しなければならない。

 因みに カンボジア紙幣 1000リエルの図柄にもなっている。

 

 

 

 


カンボジア紀行(45) 神々と阿修羅

2014-07-05 | カンボジア紀行

 神々の像

  

南大門の手前 濠を渡る両側に 各54体の阿修羅が並んでおり

一番手前に 蛇神ナーガが その胴体を曳く ヒンズー教の神々(左側)と 阿修羅がいる。

これもまた アンコールワットで見た 「乳海撹拌」 の神話を表してもいる。

  加えて 左右合計108体 108つと聞けば “除夜の鐘”か“煩悩”の数になるが

  カンボジアでは 「9」は ラッキーナンバーになっていて 5+4→9になり
 
最強を表す数字になるとか。

 

右側欄干の 阿修羅像

 


カンボジア紀行(44) アンコール・トム

2014-07-04 | カンボジア紀行

バイヨン寺院の四面仏像塔

 

 

昼食終え 午後一番の見学 アンコールワットの北1.5kmある「アンコールトム」へ

アンコールトムとは クメール語で「大きな町」を意味し


 
世界遺産アンコール遺跡群の一つで

km四方 高さ8mの城壁と濠で囲まれた9km2の敷地に

バイヨン寺院をはじめバプーオン神殿 王宮跡 象のテラスなど数々の遺跡がある。


外部とは南大門 北大門 西大門 死者の門 勝利の門の

5つの城門でつながっている。

アンコールワットより後代の12世紀後半に 

ジャヤヴァルマン7世により建設された。

 

 

 

 


カンボジア紀行(43) カンボジアのビール

2014-07-03 | カンボジア紀行

 

昼食時 カンボジアのビールで喉を潤す。

  この「アンコール」は カンボジアで最も知名度の高いビールで

ロゴマークにはアンコールワットが描かれている。


カンボジア最大手のビールメーカー 

カンブリュー・ブルワリーが製造している。


当方にはビールの味にこだわらないが と言うよりも分からない。

しかし 癖がなく飲みやすかった。
 

  後ほど訪れた市内のスーパーの棚には

  「アンコール」「カンボジア」「バイヨ」「キングダム」等々と

カンボジアの缶ビールがぎっしりと並べられていた。


       資料によれば

      〇「カンボジア」は クメールブルワリー製造。
        新興ブランドながら メディアやSNSを積極的に活用し シェアを伸ばしている。

      〇「バイヨ」は アンコールと同じカンブリュー・ブルワリーの製造。
        ロゴは 青地のラベルに アンコール遺跡のバイヨンをモチーフにしている。


      〇「キングダム」は プノンペンのキングダム・ブルワリー製造。
        ラベルは「7つのナーガ」。

 


カンボジア紀行(42) 3日目昼食

2014-07-02 | カンボジア紀行

 

午前中のバンテアイ・スレイの見学を終え 再びシェムリアップに戻る。

国道6号線から北に横道を入ったところにある

レストラン「アマゾン・アンコール」へ。

ここで「クメール料理」をいただく。

館内は広く 約700席 奥にはステージも見える。

ここでは 毎晩7時半から8時半まで 

クメール伝統ダンスショーを見せているとのこと。

このレストランの踊りの様子は

NHKBS「ぐるっとインドシナ半島3000キロ」でも放映されていた。

我々は 今夜 別の場所で予定されている。