あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ラトビア・リガ 35 トラム

2018-02-13 | バルト三国紀行

 



リガ市内の観光に便利なトラムが走る。

現在9路線が運行している。

また ソ連時代の旧式から最新式のハイテク技術を
導入したトラムまで色々なタイプが走っている、

リガでのバスやトラムの乗車料金は一律料金制。

e-タロンス(電子カード)のタッチ式になって
事前にキオスクや券売機で事前購入し、
1回の乗車1.15ユーロ。

ただし 車内で購入する場合は
現金のみの2ユーロになる。

 

ここで リガ市内で 見かけた乗り物

 

人気の二階建てツアーバス

こちらは 地域限定のオープンカー

この街にも レンタサイクル

変わった自転車! 果たして何を入れて運ぶのか?

 

 


ラトビア・リガ 33 WiFi

2018-02-12 | バルト三国紀行

 

 

街角でバスを待つ人々が スマホを扱っている。

さすが 首都リガは、ヨーロッパでも

1km2あたり最多数のフリーWiFiスポットがあるそうだ

そのため リガは 2014年の夏に

「the European capital of free WiFi」

にも選ばれている。

この国で IT産業が発展している背景には、

高速インターネットのインフラが整備されていること、

法人税が15%と低いことなど

政府が積極的に支援していることによる。

 

 


ラトビア・リガ 33 リガ・ユーゲントシュティール建物群

2018-02-11 | バルト三国紀行

 

 

新市街 アルベルタ通りや エリザベテス通り 周辺にある
ユーゲントシュティール(アールヌーボー)建築が並ぶ通りへ。

リガは1 8世紀になり、
帝政ロシアの支配下にはいると、
サンクトペテルブルグ、モスクワに次ぐ
第三の都市として栄えた。
 
1900年頃から10数年間という
短期間で
新市街には 
曲線や植物紋様をモチーフにして
また、デフォルメされた人体像など
華麗な装飾を施している
新しい様式の建物が 次々に現れた。

その数 市内中心部の建築の
約4割
になるという。

中世の街並みと 近代のアール・ヌーボーが
調和する街から “バルトのパリ” とも呼ばれた。

2010年には
「リガ・ユーゲントシュティール博物館」が
オープンしている。

この建物 ラトヴィアの建築家
コンスタンティンズ・ペックセンズ(1859-1928)が
自らの居宅として 1903年に建設したもの。

なお、これら建物群は 
ツアーバスからの見学であっため
 十分に見られなかったのが 残念だった。

 


ラトビア・リガ 32 リガ港

2018-02-10 | バルト三国紀行

 

 大型客船まで着岸している。



旧市内の見学を終え 新市街へ 

旧市街地から北 約1kmに「リガ港」がある。

バルト海に注ぐダウガバ川に位置し、
河口から15km上流までさかのぼる河川港になる。

リガ港には“自由港”という制度があり、
民間投資を呼び込むための工夫がなされて
いる。

自由港区域内には、物流、倉庫などの用地が確保され
その使用にあたって、最高45年間まで
リース契約が可能となっている。

更に立地条件にも恵まれ

ロシアやベラルーシからは,
今でも多くの石炭,石油製品,肥料などが
鉄道でラトビアの港湾に輸送されたうえで輸出され、

また 陸揚げされた貨物は,列車によりロシア,
ベラルーシ,さらには中央アジア諸国まで運ばれて
重要な港であり物流の拠点になっている。

 

 


ラトビア・リガ 31 ライフル部隊像

2018-02-09 | バルト三国紀行

 

 



市庁舎広場 西にあるラトビア占領博物館を
挟んだ西側の広場に

ソ連が赤レンガで建てた
高さ10mもあろうか
軍服外套をまとった
ラトビアライフル部隊の3人像が建っている。

ラトビアが旧ソ連に支配されていた当時に
レーニンの護衛についていた

ライフル部隊がモチーフになっている。

独立後も撤去されなかった。

今になっては 
ラトビアが共産主義であった当時の記憶として、

また 第一次世界大戦で戦った
勇敢なラトビア人へ栄光を讃えるなどと、

様々な意味合いを持った
歴史的モニュメントになっているようだ。

 


ラトビア・リガ 30 聖ローランド像

2018-02-08 | バルト三国紀行

 

 

市庁舎広場「市庁舎」の正面に向って
リガの守護神である「聖ローランド像」が建つ。

 1897年にこの像が建てられたが大戦中
1941年空襲で壊されたが、
リガの創設800周年を記念して

2000年に複製再生された。

オリジナルは「聖ペテロ教会」に保管されている。

ローランドは11世紀の「ローランの歌」に登場する人物で、
フランク王国シャルルマーニュ
(=カール大帝 在位762-814年)の甥で
軍人とされている。


市民の自由、都市の独立などの象徴として
ヨーロッパの自治体の建物の前などによく設置されている。

 

また彼の手にする剣の矛先(の真下)が、
ラトビアの地理的中心であり,
ラトビアの距離計算の始点となっているそうだ。
盾にはリガの紋章が刻まれている。

 

 台座にも豚の顔?ユニークなものがあったが、
手を近づけると水が出た!。

この広場 中世には市場がたち、祭りや市の条例の布告、
魔女の火あぶりなどの刑罰も行われる街の中心地だった。


今は毎年冬至のときは 市民がこの広場に集まり
火を焚き踊る様子がNHKテレビでみた。

 


ラトビア・リガ 29 ブラックヘッドの会館2

2018-02-07 | バルト三国紀行

 

 

ファサードにある 天文時計は 
月、日、時間と月齢を刻む大時計。


1626年に設置されたが、
この時計を作った職人は
二度と同じものが造れないように
目をくりぬかれしまったとう伝説もある。

その大時計の下には
ハンザ同盟の主要メンバーであった
4都市の紋章と、象徴としての
ギリシャ神話の神々が掲げられている。


左から リガ(ポセイドン)、ハンブルク(テュケ)、
リューベック(アテナ)、ブレーメン(ヘルメス)と

並んでいる。

 

 

 
正面入口の柱には 
左に聖母子、右にギルドの守護聖人である聖マリティウス
(3世紀、
エジプト出身で古代ローマのテーベ軍団長
 ブラックヘッドの命名の由来)の像が飾られている。

 

 




ラトビア・リガ 28 ブラックヘッドの会館

2018-02-06 | バルト三国紀行

 

 

市庁舎広場の北に 
「ブラックヘッドの会館」が建っている。

“ブラック・ヘッド”とは、
中世のバルト海沿岸諸都市にあった
独身男性の集まりの名称。


この建物は、1334年に初めて文献に登場する
中世ギルドメンバーの
パーティー・ホールとして使われていた。


1941年にドイツ軍の空襲で破壊され、
1948年にソ連により全て解体されてしまった。


2001年のリガ市建都800周年祝賀記念事業として
1999年に再建された。


現在もパーティー会場やコンサートホールとして
使用されている。

2007年5月 天皇陛下御夫妻がリガを訪問された折には
この会館で午餐会が設けられている。

また、この会館2016年まで
大統領官邸として使われていたため
訪れた時も補修中で
2017年末には公開されるとのことだった。

 


ラトビア・リガ 27 市庁舎

2018-02-05 | バルト三国紀行

 

 

「聖ペトロ教会」から西
 「市庁舎広場」に出る。

名の通り広場北には「市庁舎」が建つ。

1334年からこの場所にあるそうで、
いまだ現役の市庁舎。


前の建物は帝政ロシア時代の
1750年に建てられ、

第二次世界大戦中にドイツ軍の
爆撃で破壊されてしまった。


現在の建物は1960年代に建てられているが、
新しく見えるのは 
2003年に大改修をしている。




ラトビア・リガ 26 聖ペトロ教会

2018-02-04 | バルト三国紀行

 

 

「聖ヨハネ教会」の西北に
 「聖ペトロ教会」がある。

 1209年に創建されたルター派の教会。
1523年まではカトリック教会として機能していた。

リガのシンボルにもなっている高さ約123mの塔は、
17世紀にはヨーロッパ一の高さを誇る木造の塔であったが、
1721年に落雷により消失し
1764年に再建されたものの、

第二次世界大戦の中1941年 
爆撃を受けて再び破壊されてしまった。

また この教会には慣習があって 
建て直し際、建築責任者が 
塔から飲み干したワイグラスを投げ落とし
その破片の数で塔の存続年数を占ったという。

現在はバロック様式の彫刻で装飾された建物になり
塔は鉄筋に建て替えられており、
高さ72mの展望台までエレベーターで昇ることができ
市街を一望できるそうだ。


ラトビア・リガ 25 聖ヨハネ教会

2018-02-03 | バルト三国紀行

 

 

「ブレーメンの音楽隊」の斜め前に
「聖ヨハネ教会」がある。


ドミニコ修道院の礼拝堂として使われていた、
1297年に初めて文献に登場する教会です。


この教会には中世的なエピソードがある。

当時 生きた人間を壁に塗り込めば災いから
建物を守ることができるという信仰があり、
この教会でも二人の修道士が志願して幽閉され、
窓から通りかかる人から食料や水の施しを
受けられるようにしてあったが、
彼らの生命は長くは続かなかった。


しかし、当時の法王はこの行為を利己的と非難し、
彼らを聖人とは認めなかったため、
穴はふさがれ彼らの行いは
人々の記憶から消えてしまった。


19世紀半ばの教会修理の際、
この話を覚えていた人により空間が見つかり、

彼らの屍が実際に発見されたという。

今も外側に見られる十字架型の穴は、
後に彼らを記念して造られたもので
また 壁上部には、口を開いた
修道士の顔が二つある。(写真〇内)

 

 

 


ラトビア・リガ 24 ブレーメンの音楽隊

2018-02-02 | バルト三国紀行

 

 

国立オペラ座から西 
再び旧市街の中心部にある
「聖ヨハネ教会」へ向かう・

その「聖ヨハネ教会」前の広場に
有名な彫像「ブレーメンの音楽隊」がある。

なぜ“ブレーメン”なのか? 

この彫刻1990年に姉妹都市の
ドイツ・ブレーメンから贈られたもの。


グリム童話 人間に捨てられ、
あるいは食料にされようとした動物たちが

一致協力して自分たちの新生活を
切り開いていく話からの引用で、

上からニワトリ、ネコ、イヌ、ロバの順になっている。

これはドイツの彫刻家
クリスタ・バウムガーテル(1947年- )の作品で、

原作は同じくドイツの彫刻家
ゲルハルト・マルクス(1889-1981年)
1951年の作品で

ブルーメンの市庁舎に設置されている。

「ロバの前足を撫でながら
願い事をすると叶う!」ということだが


ロバの前足だけでなく鼻先も、
手の届くイヌ、ネコの鼻まで
ピカピカに光っていた。

 

 

 


ラトビア・リガ 23 国立オペラ座

2018-02-01 | バルト三国紀行

 

 

自由記念碑の手前 ピルセータス運河の脇 
アスバズィヤス大通りに面して
「国立オペラ座」がある。


19世紀後半に建設された
白亜の芸術的価値の高い建物。


内装が非常に豪華で有名な 933席の
大ホールと 300席の新ホールがある。


現在の劇場につながるオペラ団が創立されたのは
1912年(バレエは1919年)のこと。

現在は 年に200回にもなる公演があり、
毎年6月にはオ ペラフェスティバルが開かれる。