今思えば、大学の卒業研究だって、なんというか「おままごと的」。別に何かの役に立つ発見とかそういうこともなく、演習に毛の生えたもの??
←私立に行かせてよかった、と思う瞬間
研究というもののカタチを作ってみるというような。そしてさらに、中学校の卒業研究というと、どんなものになるべきなのだろうか。
私立の中学だと、中三のときに「卒業研究」なるものが課されていることがけっこうあり、こじろうの受験校を探すときに文化祭に行ったら何度かその展示にお目にかかることができた。
つらつらと見ていくと、むやみに力の入った充実したもの、センスがきらりと光るもの、無理やり出したと思われる気のないもの(^^;; など、様々な作品がおもしろい。どこに興味を持って、そしてどこからの視点で切り出したか、そこがポイントかな。
当時のこじろうは「○○が△△だから。」程度の記述ともいえない一文をなかなか書けずに困っていたくらいであるし、自分の興味関心をさくっとフォーカスするようなタイプではまったくないから、こういうのを書かなきゃいけなくなったらめちゃくちゃ苦労するに決まってる、と思った。それで、「ほかの学校の卒業研究なら参考にしても(着想をいただいても)バレにくいかも!!」と思い、優秀作品がまとまった冊子などあればありがたくもらって帰り、こじろうの進学先が決まったあとも、よそ様の学校の作品集をきっちり保存してあったという、われながらなんと先を見通すフォロー(笑)
作品集を見てみると、いろいろおもしろいものがたくさん載っている(優秀作品しか載らないから当たり前だが)。都電の歴史を研究した力作なんかはものすごくおもしろかったが、センス一発というようなものではないからとにかく手がかかることは避けられない。個人的には、バナナの皮の黒変と紫外線の関係を調べたものとか、おでん種の膨らみ方を調べたものとか、「食べ物実験系」にいたく心ひかれた。
しかし、こじろうの学校では、卒業研究に「取材に行くこと」という縛りがあるのが特徴だった。だから、材料を買ってくればぜんぶおうちで完結してしまう実験系はそんなにちょうどよくなかった。もちろん、実験と取材をからめることはできるし、製作と取材をからめるということもできると思うけれども。
小学校でいう「夏休みの自由研究」というとやたら親掛かりで面倒みなきゃいけないし、中学に入ってからも、またろうの税金の作文など苦い思い出満載(-_-;; だから、いちおうまとまったものを仕上げるとしたら、ものすごく親の介入を必要とするものなのか?? と、かなり身構えていたが、案外、要所要所で学校のフォローが入って、それぞれの時期にチェックポイントが設けられているようだった。テーマ決めから内容の骨子から、取材先へのアポとりから…
そう、アポとり。最初は、なんで「取材」にこだわるんだろう?? 実験系でも十分、おもしろいものができるじゃない?? と思ったが、実はこれがミソなのだ。なにしろ中学生は、仲間内でメールだの携帯電話などとしょっちゅうコミュニケーションを取り合ってるくせに、大人相手にあらたまった電話なんて滅多にかけたことないわけだから。
それで、学校のほうで、電話のマナーから、アポ取りに必要なやりとりのサンプルから、難色を示されたら粘ってはいけないなどの指導まで、いろいろ面倒見てくれて、そのうえで緊張して電話をかける。これはなかなか必要な体験かもしれない。さらに、約束の時間にきちんと行くこと、失礼のないように大人の人から話を聞いて、後日お礼状を出すこととか。葉書一枚書くにも、彼らはやたらと経験不足なので、表書きの定型フォーマットも、自分の住所をバランスよく書くことさえも、えっちらおっちらで、すべてこれ勉強。
それを、全員の研究に組み込んでしまおうというのが、狙いの一つなんだね。
そして、取材その他で調べたことをまとめるにも、いちおう章立てとかは先生に提出して確認してもらったりしたけど、結局書くのは夏休み…そこで結局、慣れないことするのを夏休みの最後の最後に引き伸ばしたりするもんだから(これはこじろうに限らず、同じ部活の親同士会ったときに聞いたけど、だいたいそんなもん)、結局押せ押せになって修羅場を迎え、なんだかんだで親の手助けもいるんだけど(論文お作法とPCスキル)、まぁふつう程度の修羅場というか、正しい8月31日というか、なんとか想定の範囲内。
私はたとえば、「はじめに」と結論が合ってることが大事とかそんなあたりをアドバイスしたし、あと誤字脱字チェックとか。よしぞうはもっと踏み込んでいろいろ言ってたみたいだけど。それは主にまとめ方の「カタチ」の約束事を伝えたにすぎなくて、できあがった論文を読み通してみると、ちゃんとこじろうの興味関心と視点を中心に、こじろうの文体でまとまっていて、なかなかおもしろかった。
卒研でわたわたしていて、休み明けテストの勉強はあんまりできなかったりとか、しわ寄せした部分があっても、英語の勉強よりも、今しかできないすごくいい勉強したなと思える卒研はとてもよかったと思う。というか、卒研が仕上がったときに、ほんとにこの学校に通わせてよかったなと思えるのって、幸せなことだ。
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研究というもののカタチを作ってみるというような。そしてさらに、中学校の卒業研究というと、どんなものになるべきなのだろうか。
私立の中学だと、中三のときに「卒業研究」なるものが課されていることがけっこうあり、こじろうの受験校を探すときに文化祭に行ったら何度かその展示にお目にかかることができた。
つらつらと見ていくと、むやみに力の入った充実したもの、センスがきらりと光るもの、無理やり出したと思われる気のないもの(^^;; など、様々な作品がおもしろい。どこに興味を持って、そしてどこからの視点で切り出したか、そこがポイントかな。
当時のこじろうは「○○が△△だから。」程度の記述ともいえない一文をなかなか書けずに困っていたくらいであるし、自分の興味関心をさくっとフォーカスするようなタイプではまったくないから、こういうのを書かなきゃいけなくなったらめちゃくちゃ苦労するに決まってる、と思った。それで、「ほかの学校の卒業研究なら参考にしても(着想をいただいても)バレにくいかも!!」と思い、優秀作品がまとまった冊子などあればありがたくもらって帰り、こじろうの進学先が決まったあとも、よそ様の学校の作品集をきっちり保存してあったという、われながらなんと先を見通すフォロー(笑)
作品集を見てみると、いろいろおもしろいものがたくさん載っている(優秀作品しか載らないから当たり前だが)。都電の歴史を研究した力作なんかはものすごくおもしろかったが、センス一発というようなものではないからとにかく手がかかることは避けられない。個人的には、バナナの皮の黒変と紫外線の関係を調べたものとか、おでん種の膨らみ方を調べたものとか、「食べ物実験系」にいたく心ひかれた。
しかし、こじろうの学校では、卒業研究に「取材に行くこと」という縛りがあるのが特徴だった。だから、材料を買ってくればぜんぶおうちで完結してしまう実験系はそんなにちょうどよくなかった。もちろん、実験と取材をからめることはできるし、製作と取材をからめるということもできると思うけれども。
小学校でいう「夏休みの自由研究」というとやたら親掛かりで面倒みなきゃいけないし、中学に入ってからも、またろうの税金の作文など苦い思い出満載(-_-;; だから、いちおうまとまったものを仕上げるとしたら、ものすごく親の介入を必要とするものなのか?? と、かなり身構えていたが、案外、要所要所で学校のフォローが入って、それぞれの時期にチェックポイントが設けられているようだった。テーマ決めから内容の骨子から、取材先へのアポとりから…
そう、アポとり。最初は、なんで「取材」にこだわるんだろう?? 実験系でも十分、おもしろいものができるじゃない?? と思ったが、実はこれがミソなのだ。なにしろ中学生は、仲間内でメールだの携帯電話などとしょっちゅうコミュニケーションを取り合ってるくせに、大人相手にあらたまった電話なんて滅多にかけたことないわけだから。
それで、学校のほうで、電話のマナーから、アポ取りに必要なやりとりのサンプルから、難色を示されたら粘ってはいけないなどの指導まで、いろいろ面倒見てくれて、そのうえで緊張して電話をかける。これはなかなか必要な体験かもしれない。さらに、約束の時間にきちんと行くこと、失礼のないように大人の人から話を聞いて、後日お礼状を出すこととか。葉書一枚書くにも、彼らはやたらと経験不足なので、表書きの定型フォーマットも、自分の住所をバランスよく書くことさえも、えっちらおっちらで、すべてこれ勉強。
それを、全員の研究に組み込んでしまおうというのが、狙いの一つなんだね。
そして、取材その他で調べたことをまとめるにも、いちおう章立てとかは先生に提出して確認してもらったりしたけど、結局書くのは夏休み…そこで結局、慣れないことするのを夏休みの最後の最後に引き伸ばしたりするもんだから(これはこじろうに限らず、同じ部活の親同士会ったときに聞いたけど、だいたいそんなもん)、結局押せ押せになって修羅場を迎え、なんだかんだで親の手助けもいるんだけど(論文お作法とPCスキル)、まぁふつう程度の修羅場というか、正しい8月31日というか、なんとか想定の範囲内。
私はたとえば、「はじめに」と結論が合ってることが大事とかそんなあたりをアドバイスしたし、あと誤字脱字チェックとか。よしぞうはもっと踏み込んでいろいろ言ってたみたいだけど。それは主にまとめ方の「カタチ」の約束事を伝えたにすぎなくて、できあがった論文を読み通してみると、ちゃんとこじろうの興味関心と視点を中心に、こじろうの文体でまとまっていて、なかなかおもしろかった。
卒研でわたわたしていて、休み明けテストの勉強はあんまりできなかったりとか、しわ寄せした部分があっても、英語の勉強よりも、今しかできないすごくいい勉強したなと思える卒研はとてもよかったと思う。というか、卒研が仕上がったときに、ほんとにこの学校に通わせてよかったなと思えるのって、幸せなことだ。
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