アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

言い訳は、いいわけ? (原子力委)

2012年02月07日 | 生活
うちには、週1で来る子ども新聞だけ取ってて、たまに駅売り新聞を買うんだけど、昨日の朝日新聞の一面は、「原子力委の3人に1800万」。

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事故後の原子力政策の基本方針を決めるための会議に専門委員が23人いて、そのうち原子力専門の大学教授が三人いるんだけど、三人とも、原発関係の企業・団体から寄付をもらっていたという話。

三人それぞれ、もらったのは確かだけどということで下記のように言い訳。
「研究のために受けている。寄付で、策定会議などでの発言が影響されてはいけないという意識がかえって高まる」(田中知)
「寄付は研究のために使用している。会議では個人の立場で、自分なりに厳しいことも発言している」(山口彰)
原子力を前に進めるための寄付なら受ける。癒着ではない。良い原子力のためには業界との協力は必要だ」(山名元)
#太字はアンダンテによる

…なんというか。なーにーが「かえって高まる」なんだか、小学生にもダウトされそうな言い訳ありがとう。山名さんの言い訳は、言い訳になってない分(「原子力を前に進めるための寄付」とまで…)、ストレートでむしろ好感が持てる(?) この三人は「安全性などの専門知識を期待」して委員に選定されたということだけど、どういう立場からの発言になるのやら。

別に私は、個人的にこの人たちが悪人だとかウマシカだとかいいたいのではない。原子力の研究を進めるにあたって、受託研究費なんかより自由の利く資金があったらなにかとありがたいのは確かだし、それでも委員会へのお誘いがあればそりゃ受けるのも当然だし、だからって寄付のことを新聞なんぞにつっこまれたら、苦しかろうがなんだろうが言い訳するしかない。

むしろ、この人たちに人並みの羞恥心が残っているなら、こんなコメントをしなきゃいけない立場に追い込まれたのはほんとに気の毒だと思う。だって将来、自分の子どもとかにこんな新聞記事検索されたら嫌でしょ?

で、この三人は、同じく朝日新聞の社会面記事によれば、事故なんぞなかったように安全を強調する発言をしていたそうだが(朝日新聞のまとめだから多少色眼鏡は入ってるかも)、そういう偏りがあったとしても、それは個人の心の弱さの問題とかそういうことではなくて、委員会に思うような結論を出させたければそのように人選すればいいという、ただそれだけの話。

委員会で出る結論というのは、科学的にみてどのくらいの安全性と利便性の折り合いをつける道があるのか、そして人として、日本人として、そのどのあたりの線を目指すのかなんてことではなくて、もっと政治的に、あるいはお金の力で決まっていくものなんだなぁと。やや無力感。

しかし「政治的」っていったいどういうことなのかというと、いちおう社会科で習ったところによれば、国民に主権があって、成人には等しく選挙権があり、それによって国会議員が決まりそこ由来で内閣が組織され…ということで、「政治的」に目指す方向を決めているのも私たちなはずなんだけど??

あんまり、その「一票分」の重みを持っている実感はなく、なにかもっと別の、たとえばすでに力を持っているポスト(政治家? 役人?)の人や、お金を持っている企業などによって行く末が決まっているような気がしてしまう。

ところで、山名さんが委員に就任してから関西原子力懇談会から受けた寄付は50万円ですってよ?? たとえば、原子力はここから先、可及的速やかに収束させてほしいと強く願っている市民団体が、50万円でも100万円でも募金で集めて、「原子力の安全なクロージングをする方法の研究に役立ててください!!」と委員の誰かに寄付するとかしたら、それは関西原子力懇談会とタメを張る力にならないのかしらん。だめかなやっぱり(継続的にお金を運んでくる「紐」と認識されないものね)。

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コメント (8)
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