楽器の中で、私が一番つきあいが長いものがピアノ。大きく離れてフルート、そしてまた大きく離れてバイオリンということになる。
←こじろう合格のときよりも多いコメント数を記録するところでしたよ
バイオリンは、ようやく和太鼓を追い越したあたりか…
つきあいが長いといっても、よその人と比べて長いわけではないが(30年ほどのブランクを考えると)、自分の中では、いちばん思い入れが深い楽器であるから、弾き方やうまい下手についてもいろんなイメージがあり、いいたいことというのがあったりする。つまり、他の人の演奏を聞いていて、「それは違うんじゃないの」と思うことはたまにある。
「違う」というのはもちろん、うまい下手のことではなくて、気合を入れる方向性というのか、技術やかけた努力やそういった…広い意味で演奏をよくするためのリソースのようなものの生かし方が「そっちじゃないだろ」とツッコミたくなることによって感じるものだと思う。私の感じ方が世間一般からいって「ふつう」あるいは何か音楽の専門家にオーソライズされた方向性と一致しているのかどうか、定かではないけれども。
* * *
私は、フルタイムの仕事と家事と三人の子どもとピアノとバイオリンと三つのブログと、なんでそんなにする時間があるのと聞かれることがあるけれども、答えは簡単で、どれにもたいして時間をかけていないからである。私は、何かに専念してそれを極めるということは非常に苦手だけれども、いろんなことを「混ぜる」ことによって新しい「味」を出すことについては得意なので、今の生活スタイルはかなり快適である。とはいえ、全体に時間が足りないのは確かなので、「だんだんと」優雅な生活を目指している途上にあるのだが。
ピアノが嫌いになったのではないのに、なぜバイオリンという新しい領域を開拓したくなったのかといえば、やはりピアノとまったく仕組みの違う楽器を、自分の生活に「混ぜる」ことによって、何が生まれるのか見てみたいという部分が大きい。そしてもうひとつは、より具体的に言えば「出会い」を求めたかったからだと思う。
つまり、ピアノという楽器は、ひとりで楽しむには最適だけれども、アンサンブルの敷居はわりと高い。フルートは学生時代、アンサンブルをたくさん楽しめた楽器なのだけど、それはフルート同好会という恵まれた場があったからで、今となっては難しい(というのと、耳の具合でフルートはできなくなった)。だから、アンサンブルの可能性を広げたいと思っていた。
時間的に厳しいことは元からわかっていたことで、習い始めの一年くらいこそ、平日でも一日10分はバイオリンを触るという生活ができていたけれども、そのあとははなひめ中学受験のサポートにシフトしてきて、最近ではレッスンのときだけ触る週などもちょくちょくあるようになってしまった。
これは、残念だけれども「計画どおり」。はなひめの中学受験が終わって、比較的時間がとれるようになってから習い始めるのではなくて、前倒しで味わってみることを選んだわけだ。
その中で、私は基礎を固めることを選んだのではなく、最短でアンサンブルを楽しめるようになることを選んだ。ということをそんなにはっきり意識していたわけではないけれど、今回のやりとりを読んではっきり自覚した。基本の練習はほとんど習っていなくて、短いレッスン時間のほとんどを、今弾きたい曲をとりあえず弾くために、可能な指づかい弓使いを考えてもらうこと、実際に先生と合わせてみることなどに費やしているのだからそういうことだ。
(注: 先生がそういう教え方をする人だからではなくて、私の希望に合わせてもらってこうなっている)
そのおかげで、半年かそこらで「津軽海峡冬景色」など自分が弾きたいメロディーを並べたり、大胆にもアンサンブルに参加したりできるようになった。アンサンブルや、それから、バイオリンの先生を呼んでの「素人が伴奏を楽しむ会」(これは主にピアノの活動だけど)など、どう楽しみが広がったかは、ここまで長くブログを読んでいらっしゃる方はよくご存知でしょう。
* * *
その状態を見た(聞いた)人がどう思うかだけど、プロの人でも「あったかいんですよね、なんだか。音楽ってええもんやなぁ、と思います(ゴンさん)」のように書いてくれる場合もあり、バッハさんのように、ひとこと、じゃなくて、20ことくらい(?)言わないと気がすまなくなる場合もあり。その書き方も、バッハさんのように、悪意はないといいつつ貶める表現しかできず、最後は相当お下劣になる方もあり、SUZUSINさんのように静かに長文を書く方もあり。
ところで私が、たとえばいちばん言いたいことが多いピアノについて、他の人の演奏に「それは違うんじゃないの」と思ったときにどうするかといえば、それは何も言いませんね。ピアノの楽しみ方の価値観といううものが、その人と私で違うことはまぁ確かなのだろうけど、その人と私の価値観でどちらが「正しい」かわかりませんから。
ここで「正しい」というのはどんなことかというと、そもそもこれが人によって意見の違うところかもしれないけれども、アマチュアの場合についていえば、その人の生涯にわたる音楽ライフにおける楽しみに関して、「コスパ」がよい、ということです。私の定義ですが。そして、このパフォーマンスというのの評価関数の形がそもそも人によって違うので、私が人様に口出しできるはずもないわけです。仮に、「音楽の専門家に聞いたとして、高く評価される方向にどちらが近いか」ということで決めれば私のほうがより正しいとしても、その正しさにその人にとっての価値がなければやっぱり、「正しくない」のです。
それに、「言いたいけれども言えない」ということではなくて、私は別に言いたいとも思わないのです。自分は自分の価値観に沿って、非常に満足した音楽ライフを楽しんでいるので、他の人がそれぞれ自分流に音楽を楽しんでいて、その方向性に私がまったく同意できないとしても、それが気になることはありません。第一、言ったからといって、その人にとって「正しくない」とすれば、何の役にも立ちませんから。
それが気になる人はどういう人なのか…一概にはいえませんが、もし自分の音楽ライフに不満足で、かつ、他罰的な傾向の人ならそうなるかもしれませんね(バッハさんがどういう人なのかは、キャラがつかめてないのでなんともいえません)。あるいは、SUZUSINさんのように、過去に自分が失敗したと思っている部分があって、ほかの人が同種の失敗を避けられるように、布教活動に努めている人。
私はスズ○メソッドの先生についたことがないので具体的にはわかりませんが、功罪のいずれも大きな、存在感のあるメソッドと聞いています。SUZUSINさんのニーズには合っていなかったわけで、先生選びはその時点では失敗。メソッドの「罪」の部分が大きく出てしまった結果になったのですね。
でも、今は軌道修正してうまくいってるそうですし、人生いつからでもやり直しは利くといいますが、中でもとりわけ、大人の趣味の世界で遅すぎるということは決してありませんから、もうとっくにその過去の失敗の部分からは離れて(つまり布教活動からは離れて)、自由な音楽ライフを謳歌してもかまわないでしょう。そうしたいかどうかは、好みの問題だとは思いますが…(*)
私は、ここから先、だんだんと時間の自由が利くようになって、バイオリンとの付き合い方もフェーズシフトしていくと思いますが、そこで今の習い方や練習のしかたを後悔することはないと信じているんです。将来のことですから絶対はありませんが、人生折り返し地点、かなり自分のことはよくわかってきたつもりです。正解は…10年後のブログでね!!(^^)
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(*)「好みの問題」
私もいろんな意味で布教活動をしています。布教活動における私のポリシーは、ネガティブな動機から来る場合はそれを生で出さず、なるべく昇華した形で表現することと、それから自分のフィールド…私の場合は自分のブログ…内で行うことです。
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バイオリンは、ようやく和太鼓を追い越したあたりか…
つきあいが長いといっても、よその人と比べて長いわけではないが(30年ほどのブランクを考えると)、自分の中では、いちばん思い入れが深い楽器であるから、弾き方やうまい下手についてもいろんなイメージがあり、いいたいことというのがあったりする。つまり、他の人の演奏を聞いていて、「それは違うんじゃないの」と思うことはたまにある。
「違う」というのはもちろん、うまい下手のことではなくて、気合を入れる方向性というのか、技術やかけた努力やそういった…広い意味で演奏をよくするためのリソースのようなものの生かし方が「そっちじゃないだろ」とツッコミたくなることによって感じるものだと思う。私の感じ方が世間一般からいって「ふつう」あるいは何か音楽の専門家にオーソライズされた方向性と一致しているのかどうか、定かではないけれども。
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私は、フルタイムの仕事と家事と三人の子どもとピアノとバイオリンと三つのブログと、なんでそんなにする時間があるのと聞かれることがあるけれども、答えは簡単で、どれにもたいして時間をかけていないからである。私は、何かに専念してそれを極めるということは非常に苦手だけれども、いろんなことを「混ぜる」ことによって新しい「味」を出すことについては得意なので、今の生活スタイルはかなり快適である。とはいえ、全体に時間が足りないのは確かなので、「だんだんと」優雅な生活を目指している途上にあるのだが。
ピアノが嫌いになったのではないのに、なぜバイオリンという新しい領域を開拓したくなったのかといえば、やはりピアノとまったく仕組みの違う楽器を、自分の生活に「混ぜる」ことによって、何が生まれるのか見てみたいという部分が大きい。そしてもうひとつは、より具体的に言えば「出会い」を求めたかったからだと思う。
つまり、ピアノという楽器は、ひとりで楽しむには最適だけれども、アンサンブルの敷居はわりと高い。フルートは学生時代、アンサンブルをたくさん楽しめた楽器なのだけど、それはフルート同好会という恵まれた場があったからで、今となっては難しい(というのと、耳の具合でフルートはできなくなった)。だから、アンサンブルの可能性を広げたいと思っていた。
時間的に厳しいことは元からわかっていたことで、習い始めの一年くらいこそ、平日でも一日10分はバイオリンを触るという生活ができていたけれども、そのあとははなひめ中学受験のサポートにシフトしてきて、最近ではレッスンのときだけ触る週などもちょくちょくあるようになってしまった。
これは、残念だけれども「計画どおり」。はなひめの中学受験が終わって、比較的時間がとれるようになってから習い始めるのではなくて、前倒しで味わってみることを選んだわけだ。
その中で、私は基礎を固めることを選んだのではなく、最短でアンサンブルを楽しめるようになることを選んだ。ということをそんなにはっきり意識していたわけではないけれど、今回のやりとりを読んではっきり自覚した。基本の練習はほとんど習っていなくて、短いレッスン時間のほとんどを、今弾きたい曲をとりあえず弾くために、可能な指づかい弓使いを考えてもらうこと、実際に先生と合わせてみることなどに費やしているのだからそういうことだ。
(注: 先生がそういう教え方をする人だからではなくて、私の希望に合わせてもらってこうなっている)
そのおかげで、半年かそこらで「津軽海峡冬景色」など自分が弾きたいメロディーを並べたり、大胆にもアンサンブルに参加したりできるようになった。アンサンブルや、それから、バイオリンの先生を呼んでの「素人が伴奏を楽しむ会」(これは主にピアノの活動だけど)など、どう楽しみが広がったかは、ここまで長くブログを読んでいらっしゃる方はよくご存知でしょう。
* * *
その状態を見た(聞いた)人がどう思うかだけど、プロの人でも「あったかいんですよね、なんだか。音楽ってええもんやなぁ、と思います(ゴンさん)」のように書いてくれる場合もあり、バッハさんのように、ひとこと、じゃなくて、20ことくらい(?)言わないと気がすまなくなる場合もあり。その書き方も、バッハさんのように、悪意はないといいつつ貶める表現しかできず、最後は相当お下劣になる方もあり、SUZUSINさんのように静かに長文を書く方もあり。
ところで私が、たとえばいちばん言いたいことが多いピアノについて、他の人の演奏に「それは違うんじゃないの」と思ったときにどうするかといえば、それは何も言いませんね。ピアノの楽しみ方の価値観といううものが、その人と私で違うことはまぁ確かなのだろうけど、その人と私の価値観でどちらが「正しい」かわかりませんから。
ここで「正しい」というのはどんなことかというと、そもそもこれが人によって意見の違うところかもしれないけれども、アマチュアの場合についていえば、その人の生涯にわたる音楽ライフにおける楽しみに関して、「コスパ」がよい、ということです。私の定義ですが。そして、このパフォーマンスというのの評価関数の形がそもそも人によって違うので、私が人様に口出しできるはずもないわけです。仮に、「音楽の専門家に聞いたとして、高く評価される方向にどちらが近いか」ということで決めれば私のほうがより正しいとしても、その正しさにその人にとっての価値がなければやっぱり、「正しくない」のです。
それに、「言いたいけれども言えない」ということではなくて、私は別に言いたいとも思わないのです。自分は自分の価値観に沿って、非常に満足した音楽ライフを楽しんでいるので、他の人がそれぞれ自分流に音楽を楽しんでいて、その方向性に私がまったく同意できないとしても、それが気になることはありません。第一、言ったからといって、その人にとって「正しくない」とすれば、何の役にも立ちませんから。
それが気になる人はどういう人なのか…一概にはいえませんが、もし自分の音楽ライフに不満足で、かつ、他罰的な傾向の人ならそうなるかもしれませんね(バッハさんがどういう人なのかは、キャラがつかめてないのでなんともいえません)。あるいは、SUZUSINさんのように、過去に自分が失敗したと思っている部分があって、ほかの人が同種の失敗を避けられるように、布教活動に努めている人。
私はスズ○メソッドの先生についたことがないので具体的にはわかりませんが、功罪のいずれも大きな、存在感のあるメソッドと聞いています。SUZUSINさんのニーズには合っていなかったわけで、先生選びはその時点では失敗。メソッドの「罪」の部分が大きく出てしまった結果になったのですね。
でも、今は軌道修正してうまくいってるそうですし、人生いつからでもやり直しは利くといいますが、中でもとりわけ、大人の趣味の世界で遅すぎるということは決してありませんから、もうとっくにその過去の失敗の部分からは離れて(つまり布教活動からは離れて)、自由な音楽ライフを謳歌してもかまわないでしょう。そうしたいかどうかは、好みの問題だとは思いますが…(*)
私は、ここから先、だんだんと時間の自由が利くようになって、バイオリンとの付き合い方もフェーズシフトしていくと思いますが、そこで今の習い方や練習のしかたを後悔することはないと信じているんです。将来のことですから絶対はありませんが、人生折り返し地点、かなり自分のことはよくわかってきたつもりです。正解は…10年後のブログでね!!(^^)
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(*)「好みの問題」
私もいろんな意味で布教活動をしています。布教活動における私のポリシーは、ネガティブな動機から来る場合はそれを生で出さず、なるべく昇華した形で表現することと、それから自分のフィールド…私の場合は自分のブログ…内で行うことです。