私の場合、いわゆる「使えない英語」は非常に得意で、大学受験のときは英語に大いに助けられた。
←成り行きで英語の話を続けてると、何のブログだかわからなくなる
そして、大学に入ってからの授業の英語はまた、「使えない英語」を助長するようなもので、ぼんと一冊、英語の本があって、学生が順番に当てられて、少しずつ読んで訳していく…という、本当にただそれだけの単調な授業。学生はそれぞれ、自分の当てられそうなところを予測して(^^;; そこだけは辞書を引いていってしのぐ、みたいな。
それでテストは、その本の一部が出て、ただ訳すだけ。まぁ、「文献を読むための英語」の続きといえばそうなんだけど、このあまりの工夫のなさから、ただ「しのぐ」ことに心を砕いた学生にとっては、読む英語の足しにすらなってないと思う。
私はそういうのが嫌いじゃなかったので、シケ対として訳本づくりを引き受けて、範囲全部の訳を作ってコピーして配布して…とやっていたのでそれなりに勉強にはなった。別にシケ対やらなくても、毎回の授業で、自分の訳を作って臨んでいた人は勉強になったかもしれないけど、あんまりそういう人は見かけなかった。
ひとコマだけ、変り種の先生がいて、毎回のように小テストをやって、ニュースの一部をディクテーションさせたり、授業の中身も聞いたりするのが多くて、テストも穴埋めや選択問題がびっしりあって、訳させるより、文法・語彙などの細かいところを聞いてきた。そのテストが難しいのなんのって、私は相当得意なほうだったと思うけど、それでも「素」でAは取れないくらい。あとは小テストとか加味しておまけしてくれるので、Aはけっこう出てたけど、授業もさぼってテストも「イケてなかった」人は死亡フラグが立ったらしい。
そのとき思ったのは、ディクテーションというのはいい練習だなということ…聞けるだけでなく、語彙もしっかりわかっていて、頭でさっと組み立てられなければ到底、書き留めるのは追いつかない。でも、週にひとコマそんなことやったくらいで、何がどうなるものでもないけど。
そんな感じで大学英語は終わり、さらに専門になれば英語の授業もなく、さらにさび付いた状態で社会人。入社してすぐ強制的に受けさせられたTOEICは710点。これは、しょぼいけれども社内的に特に問題になる(すぐ上げないと減給だ!! とか)数字ではなく、前にも書いたとおり「使える英語」になんの興味もなかったので自分では何の手も打たず。
月日は流れ、なぜか英語を使う職場に異動になり、でも読むのしかやらないままさらにしばらく経ち、そこで、三人目(はなひめ)の出産のために産休を取った。この休み中、暇な時間はたくさんあったのだが、「手」は空いておらず(はなひめを抱っこしているから)、片手だけではキーボードを打つのもままならない。ということで、よく海外ドラマDVDを見ていた。そのとき、手持ちのDVDで「ER(緊急救命室)」があったので、それを繰り返しなんとなくかけていて(英語音声日本語字幕)、あんまり飽きると今度は英語音声英語字幕でかけてみたりしていた。
それだけ。英語の勉強をしようとしていたわけではなくて、ただ暇つぶしに英語を聞いていて、でも、手持ちのDVDが豊富じゃなかったため、しかたなく同じのを何度も見ているうちに、聞くだけでわかるようになった。というところがミソらしい。
(今思うと、「のだめ」のフランス語マスター方法に似ている-笑)
復職直後、また受けさせられたTOEICで、今度は895点と大幅アップ(*)。実のところReadingはたいしてよくなく、ボキャブラリー不足(弊社マニュアルに出てくるような単語しか知らない)からあまり伸びないようだ。一方、Listeningはほとんど聞き取れない部分がなかった。
ということで、「使えない英語」のベースがあれば、そのあとちょっと集中して「慣れる」だけで、聞くところは相当いけると思います。
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(*)この点数を持っていても、実際まったくしゃべれないことに変わりはない(^^;;
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そして、大学に入ってからの授業の英語はまた、「使えない英語」を助長するようなもので、ぼんと一冊、英語の本があって、学生が順番に当てられて、少しずつ読んで訳していく…という、本当にただそれだけの単調な授業。学生はそれぞれ、自分の当てられそうなところを予測して(^^;; そこだけは辞書を引いていってしのぐ、みたいな。
それでテストは、その本の一部が出て、ただ訳すだけ。まぁ、「文献を読むための英語」の続きといえばそうなんだけど、このあまりの工夫のなさから、ただ「しのぐ」ことに心を砕いた学生にとっては、読む英語の足しにすらなってないと思う。
私はそういうのが嫌いじゃなかったので、シケ対として訳本づくりを引き受けて、範囲全部の訳を作ってコピーして配布して…とやっていたのでそれなりに勉強にはなった。別にシケ対やらなくても、毎回の授業で、自分の訳を作って臨んでいた人は勉強になったかもしれないけど、あんまりそういう人は見かけなかった。
ひとコマだけ、変り種の先生がいて、毎回のように小テストをやって、ニュースの一部をディクテーションさせたり、授業の中身も聞いたりするのが多くて、テストも穴埋めや選択問題がびっしりあって、訳させるより、文法・語彙などの細かいところを聞いてきた。そのテストが難しいのなんのって、私は相当得意なほうだったと思うけど、それでも「素」でAは取れないくらい。あとは小テストとか加味しておまけしてくれるので、Aはけっこう出てたけど、授業もさぼってテストも「イケてなかった」人は死亡フラグが立ったらしい。
そのとき思ったのは、ディクテーションというのはいい練習だなということ…聞けるだけでなく、語彙もしっかりわかっていて、頭でさっと組み立てられなければ到底、書き留めるのは追いつかない。でも、週にひとコマそんなことやったくらいで、何がどうなるものでもないけど。
そんな感じで大学英語は終わり、さらに専門になれば英語の授業もなく、さらにさび付いた状態で社会人。入社してすぐ強制的に受けさせられたTOEICは710点。これは、しょぼいけれども社内的に特に問題になる(すぐ上げないと減給だ!! とか)数字ではなく、前にも書いたとおり「使える英語」になんの興味もなかったので自分では何の手も打たず。
月日は流れ、なぜか英語を使う職場に異動になり、でも読むのしかやらないままさらにしばらく経ち、そこで、三人目(はなひめ)の出産のために産休を取った。この休み中、暇な時間はたくさんあったのだが、「手」は空いておらず(はなひめを抱っこしているから)、片手だけではキーボードを打つのもままならない。ということで、よく海外ドラマDVDを見ていた。そのとき、手持ちのDVDで「ER(緊急救命室)」があったので、それを繰り返しなんとなくかけていて(英語音声日本語字幕)、あんまり飽きると今度は英語音声英語字幕でかけてみたりしていた。
それだけ。英語の勉強をしようとしていたわけではなくて、ただ暇つぶしに英語を聞いていて、でも、手持ちのDVDが豊富じゃなかったため、しかたなく同じのを何度も見ているうちに、聞くだけでわかるようになった。というところがミソらしい。
(今思うと、「のだめ」のフランス語マスター方法に似ている-笑)
復職直後、また受けさせられたTOEICで、今度は895点と大幅アップ(*)。実のところReadingはたいしてよくなく、ボキャブラリー不足(弊社マニュアルに出てくるような単語しか知らない)からあまり伸びないようだ。一方、Listeningはほとんど聞き取れない部分がなかった。
ということで、「使えない英語」のベースがあれば、そのあとちょっと集中して「慣れる」だけで、聞くところは相当いけると思います。
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(*)この点数を持っていても、実際まったくしゃべれないことに変わりはない(^^;;