昭和の小学生だった私からすれば、太陽系の惑星といえば
水・金・地・火・木・土・天・海・冥
であって、今後増えることがあったとしても減ることはないってのが常識だった。
←常識ってずいぶん変化が激しいものだ
このうち、肉眼でも観察できる「惑い星」は「土」までであって、後ろ三個はそれぞれドラマティックないきさつによって新たに「発見」されるということが繰り返されてきた。
小学生・中学生のころの私が、そういう「ドラマ」に心ひかれて惑星ファンであったことは以前、「好奇心のツボ(えせ理系の場合)」という記事に書いたが、それを見てshigさんが貸してくれた本:
「冥王星を殺したのは私です」(マイク・ブラウン、飛鳥新社)
は、惑星発見ドラマの続編、21世紀バージョン。これがまたたいへんおもしろいのだけど、ともかく発見して発見したらその結果、惑星が減ってしまったというわけだ。
この著者であるマイク・ブラウンというのは、冥王星より遠い太陽系メンバーを探す研究をコツコツと続けてた人で、その甲斐あっていくつかの新しい天体を見つけるわけなんだけど。あれ? けっこう明るくみえたのになー小さかった。あれ? これも…思ったより小さかった。ってな具合。
ちなみに、未知の惑星を見つけるための手順は、基本的にはハックスレーさんのころと変わりはない。望遠鏡で空の一区画を写し、しばらく経ってから同じ区画を写し、その二枚を比べる。動かないほとんどの星は恒星、動いている星が惑星、といいきれるかどうかはともかく、候補ということになる。
ただし、望遠鏡は格段に進歩しているわけなので、より暗い星まで観察できるとか、コンピューターに二枚比較のアルゴリズムを教えておけば、あらかた「ふつうの恒星」を取り除かせて二枚の写真で異なる光点に限って示してくれる、なんてこともできる。ただし「異なる」といっても、シミやゴミなどの無意味な光点はやっぱり二枚の写真で異なってしまうわけで、そういうのと本物の星の区別は、機械にはつきにくい。コンピューターがふるいにかけたものを、人間がチェックすることになるんだけどね…
それでも、昔より効率よくなったには違いない。
結局のところ、惑星と呼んでもよさそうなサイズ(冥王星よりは大きいし!!)の天体は見つけるんだけれど、そしてそれを惑星として認めてほしいという気持ちはありありなんだけれど(第10惑星の発見者として歴史に名を残す)、でもこれを惑星に入れてしまうと「惑星ってなんだろう」という底なしの疑問に落ち込んでしまう。
太陽系の真の姿が徐々に明らかになってくるにしたがって、この著者が発見した天体を「惑星」といってねじ込むと、筋の通った話にならないということはわかってきて、それでこの人は自分が発見した天体と冥王星の両方を「惑星」から外すという主張の側に回らざるを得なくなったのだった。科学者としての良心に従って。
案1: 新天体は第10惑星!!
冥王星が惑星なんだったら、それよりちょっと大きいし、いいよね!? というわけ
案2: 惑星は8つ。冥王星と新天体は、惑星までいかないやつ。
太陽系ができる途中で、「太陽に近い、小さい惑星四つ(水・金・地・火)」と「太陽から遠い、大きい惑星四つ(木・土・天・海)ができた。このグループの境目には小惑星帯が。
案3: 惑星は冥王星まで。新天体は惑星に入れない。
冥王星はOKで新天体NGってところ、どうにも理屈が立たない。
案4: 太陽の周りを回り、丸い形を保てるほどに大きい天体は、惑星とする。
冥王星も、新天体も大丈夫入ります。でも、この線引きだと、冥王星の外側にある細かいのがごちゃっとある中からどんどん登録されていき、惑星の数が200個とかになっちゃうかも。
えーさすがに200個とかっていうと、惑星のイメージが崩れるような気が。でも、じゃあそもそも惑星ってなんなのよといわれると、別に定義ありきだったのではなくて、単に水・金・地・火・木・土あたりをまとめて呼ぶものだっただけなので、どういうくくりにするのが「正しい」ってのは理屈で一意に決まるわけではないのだけど。
でも、上記四つの案くらいありゃ足りるだろって思うところ、さらに「カロン」(冥王星の衛星ですが)までを惑星に含める案とかも出てきて、誰だそんなわけわからん案を、と思うわけだけど、それはたぶん、人気者の冥王星の地位を下げないための理屈をいろいろ考えてそうなってしまったんだろうなと。
それで、混迷の度合いが深まったところで、この人は「ありのままの宇宙の魅力をありのままに」伝えることのほうを、自分が「惑星」を発見したとする魅力より優先させるよう腹をくくるんだけれど。
新天体の発見者とか、ネーミングとか、分類とか、そういう話は科学であって科学でない。人と人との綱引きが大きな分かれ道になるかもしれない。というわけで21世紀バージョンのドラマはえぐみと複雑さを増し、おもしろさ120%に成長していたのだった。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社
←またろうがイラストを描いた本(^^)

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
水・金・地・火・木・土・天・海・冥
であって、今後増えることがあったとしても減ることはないってのが常識だった。

このうち、肉眼でも観察できる「惑い星」は「土」までであって、後ろ三個はそれぞれドラマティックないきさつによって新たに「発見」されるということが繰り返されてきた。
小学生・中学生のころの私が、そういう「ドラマ」に心ひかれて惑星ファンであったことは以前、「好奇心のツボ(えせ理系の場合)」という記事に書いたが、それを見てshigさんが貸してくれた本:
「冥王星を殺したのは私です」(マイク・ブラウン、飛鳥新社)
は、惑星発見ドラマの続編、21世紀バージョン。これがまたたいへんおもしろいのだけど、ともかく発見して発見したらその結果、惑星が減ってしまったというわけだ。
この著者であるマイク・ブラウンというのは、冥王星より遠い太陽系メンバーを探す研究をコツコツと続けてた人で、その甲斐あっていくつかの新しい天体を見つけるわけなんだけど。あれ? けっこう明るくみえたのになー小さかった。あれ? これも…思ったより小さかった。ってな具合。
ちなみに、未知の惑星を見つけるための手順は、基本的にはハックスレーさんのころと変わりはない。望遠鏡で空の一区画を写し、しばらく経ってから同じ区画を写し、その二枚を比べる。動かないほとんどの星は恒星、動いている星が惑星、といいきれるかどうかはともかく、候補ということになる。
ただし、望遠鏡は格段に進歩しているわけなので、より暗い星まで観察できるとか、コンピューターに二枚比較のアルゴリズムを教えておけば、あらかた「ふつうの恒星」を取り除かせて二枚の写真で異なる光点に限って示してくれる、なんてこともできる。ただし「異なる」といっても、シミやゴミなどの無意味な光点はやっぱり二枚の写真で異なってしまうわけで、そういうのと本物の星の区別は、機械にはつきにくい。コンピューターがふるいにかけたものを、人間がチェックすることになるんだけどね…
それでも、昔より効率よくなったには違いない。
結局のところ、惑星と呼んでもよさそうなサイズ(冥王星よりは大きいし!!)の天体は見つけるんだけれど、そしてそれを惑星として認めてほしいという気持ちはありありなんだけれど(第10惑星の発見者として歴史に名を残す)、でもこれを惑星に入れてしまうと「惑星ってなんだろう」という底なしの疑問に落ち込んでしまう。
太陽系の真の姿が徐々に明らかになってくるにしたがって、この著者が発見した天体を「惑星」といってねじ込むと、筋の通った話にならないということはわかってきて、それでこの人は自分が発見した天体と冥王星の両方を「惑星」から外すという主張の側に回らざるを得なくなったのだった。科学者としての良心に従って。
案1: 新天体は第10惑星!!
冥王星が惑星なんだったら、それよりちょっと大きいし、いいよね!? というわけ
案2: 惑星は8つ。冥王星と新天体は、惑星までいかないやつ。
太陽系ができる途中で、「太陽に近い、小さい惑星四つ(水・金・地・火)」と「太陽から遠い、大きい惑星四つ(木・土・天・海)ができた。このグループの境目には小惑星帯が。
案3: 惑星は冥王星まで。新天体は惑星に入れない。
冥王星はOKで新天体NGってところ、どうにも理屈が立たない。
案4: 太陽の周りを回り、丸い形を保てるほどに大きい天体は、惑星とする。
冥王星も、新天体も大丈夫入ります。でも、この線引きだと、冥王星の外側にある細かいのがごちゃっとある中からどんどん登録されていき、惑星の数が200個とかになっちゃうかも。
えーさすがに200個とかっていうと、惑星のイメージが崩れるような気が。でも、じゃあそもそも惑星ってなんなのよといわれると、別に定義ありきだったのではなくて、単に水・金・地・火・木・土あたりをまとめて呼ぶものだっただけなので、どういうくくりにするのが「正しい」ってのは理屈で一意に決まるわけではないのだけど。
でも、上記四つの案くらいありゃ足りるだろって思うところ、さらに「カロン」(冥王星の衛星ですが)までを惑星に含める案とかも出てきて、誰だそんなわけわからん案を、と思うわけだけど、それはたぶん、人気者の冥王星の地位を下げないための理屈をいろいろ考えてそうなってしまったんだろうなと。
それで、混迷の度合いが深まったところで、この人は「ありのままの宇宙の魅力をありのままに」伝えることのほうを、自分が「惑星」を発見したとする魅力より優先させるよう腹をくくるんだけれど。
新天体の発見者とか、ネーミングとか、分類とか、そういう話は科学であって科学でない。人と人との綱引きが大きな分かれ道になるかもしれない。というわけで21世紀バージョンのドラマはえぐみと複雑さを増し、おもしろさ120%に成長していたのだった。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社

「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)