音楽教室のレッスンで行われていることを「演奏」ととらえて著作権料を徴収する話が裁判中であることは知っていましたが…
←「レッスン」ってお金払えばいいってもんじゃなくて誠実さが必要だと思う
JASRAC、音楽教室に「潜入」2年 主婦を名乗り
銀座のヤマハ教室で二年間、バイオリンレッスンを受けたんですって。これはびっくり。
何にびっくりしたかって、そりゃ「二年間」のところです。
音楽教室で実態としてどんなレッスンが行われているのか知りたければ、JASRACとして調査に行くだけではなくて、生徒として潜入…というか、覆面調査ですかね、そういうことをするのもわからなくはないです。しかし何をどうすると二年間も必要になるんでしょう。
記事によれば、
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陳述書によると、レッスンでは講師の模範演奏と生徒の演奏が交互に行われた。JASRACが著作権を管理する「美女と野獣」を講師が演奏した際は、ヤマハが用意した伴奏音源とともに弾いたため、「とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感しました」と主張している。また「生徒は全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いています」と記している。
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とあるけれど、先生と生徒が交互に弾く形式でレッスンが行われることや、その先生が弾くときは「演奏」クオリティーであること、生徒がそれを熱心に聞いていることなどはあまりにも当然で(というかレッスンの必然で)そんなことは争いにもならないし秘匿されてもいない。
裁判の争点はあくまでも、先生が「公衆」であるところの生徒に聞かせるために演奏をすることで対価を得ているのかどうかという…行為というより解釈に争いがあるわけで。そもそもこの解釈は日常的な感覚や日本語からは乖離しているので、二年間、生徒として通ったら何か新しいことがわかるような気もしませんが、狙いは何なのでしょうか。
調査のため、「主婦」を自称して体験レッスンもしくはその後のレッスンに数回来た(そしてJASRAC曲を使ってレッスンしてもらえる実態を確認した)というならまだわかるけど、二年間!! なぜ二年間も調査したのでしょうか。
音楽のレッスンってほんと個人と個人の結びつきによって成り立つ営みでしょう? もちろん金銭的な対価を支払うことがベースにあるんだけど、先生が「お金がもらえればいいや」とか、生徒も「お金払ったんだからいいでしょう」では成り立たないのが音楽レッスン。
先生は、生徒の現状や意向を感じ取り、演奏技術や教養や人間関係能力など、持てるものを総動員して何事かを伝えようとしているわけじゃないですか。受け取る側だって、それをできるだけ受け取ろうとして、なんというか、真剣に人対人のチューニング(波長が合うように)をします。二年間もやっていれば相当に個人的な関係になりますよね。
なのに、「主婦」と偽って生徒役を演じたJASRACの人はどんな気持ちでその「仕事」をしていたのか、その生徒に真摯に向き合っていた先生は何を感じていたのか。
もう、ほんとに気分悪いです。
そこまで考えてみると、ひとつ、二年間調査しなければいけない必然というものを思いつきました。
たとえば、先生が一曲全体を演奏したという事実を作ってそれを裁判材料にしたいとします。でもふつう、先生はレッスン中、あまりまとまった演奏をしないでしょう。特にヤマハみたいな短い時間の中で丸ごと演奏をすると、生徒の演奏を聴いたりアドバイスをしたりする時間がなくなってしまいますから。でも、先生と生徒の関係がしっかりしたものに育ってきたら、生徒が「全体を演奏してほしい」とリクエストすることもできるでしょうし、あるいは先生側から、このタイミングであえてレッスン内の時間を取ってでも全体を聞かせることに意味があると考える場面があるかもしれません。
そのように、ある程度確立した個人対個人の関係を前提に行われる何かを裁判材料に使いたくて覆面レッスンを引っ張っていたのだとしたら。
そんなもん「公衆」っていわないよ!!(-_-# あー、胸糞悪い。
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音楽教室で実態としてどんなレッスンが行われているのか知りたければ、JASRACとして調査に行くだけではなくて、生徒として潜入…というか、覆面調査ですかね、そういうことをするのもわからなくはないです。しかし何をどうすると二年間も必要になるんでしょう。
記事によれば、
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陳述書によると、レッスンでは講師の模範演奏と生徒の演奏が交互に行われた。JASRACが著作権を管理する「美女と野獣」を講師が演奏した際は、ヤマハが用意した伴奏音源とともに弾いたため、「とても豪華に聞こえ、まるで演奏会の会場にいるような雰囲気を体感しました」と主張している。また「生徒は全身を耳にして講師の説明や模範演奏を聞いています」と記している。
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とあるけれど、先生と生徒が交互に弾く形式でレッスンが行われることや、その先生が弾くときは「演奏」クオリティーであること、生徒がそれを熱心に聞いていることなどはあまりにも当然で(というかレッスンの必然で)そんなことは争いにもならないし秘匿されてもいない。
裁判の争点はあくまでも、先生が「公衆」であるところの生徒に聞かせるために演奏をすることで対価を得ているのかどうかという…行為というより解釈に争いがあるわけで。そもそもこの解釈は日常的な感覚や日本語からは乖離しているので、二年間、生徒として通ったら何か新しいことがわかるような気もしませんが、狙いは何なのでしょうか。
調査のため、「主婦」を自称して体験レッスンもしくはその後のレッスンに数回来た(そしてJASRAC曲を使ってレッスンしてもらえる実態を確認した)というならまだわかるけど、二年間!! なぜ二年間も調査したのでしょうか。
音楽のレッスンってほんと個人と個人の結びつきによって成り立つ営みでしょう? もちろん金銭的な対価を支払うことがベースにあるんだけど、先生が「お金がもらえればいいや」とか、生徒も「お金払ったんだからいいでしょう」では成り立たないのが音楽レッスン。
先生は、生徒の現状や意向を感じ取り、演奏技術や教養や人間関係能力など、持てるものを総動員して何事かを伝えようとしているわけじゃないですか。受け取る側だって、それをできるだけ受け取ろうとして、なんというか、真剣に人対人のチューニング(波長が合うように)をします。二年間もやっていれば相当に個人的な関係になりますよね。
なのに、「主婦」と偽って生徒役を演じたJASRACの人はどんな気持ちでその「仕事」をしていたのか、その生徒に真摯に向き合っていた先生は何を感じていたのか。
もう、ほんとに気分悪いです。
そこまで考えてみると、ひとつ、二年間調査しなければいけない必然というものを思いつきました。
たとえば、先生が一曲全体を演奏したという事実を作ってそれを裁判材料にしたいとします。でもふつう、先生はレッスン中、あまりまとまった演奏をしないでしょう。特にヤマハみたいな短い時間の中で丸ごと演奏をすると、生徒の演奏を聴いたりアドバイスをしたりする時間がなくなってしまいますから。でも、先生と生徒の関係がしっかりしたものに育ってきたら、生徒が「全体を演奏してほしい」とリクエストすることもできるでしょうし、あるいは先生側から、このタイミングであえてレッスン内の時間を取ってでも全体を聞かせることに意味があると考える場面があるかもしれません。
そのように、ある程度確立した個人対個人の関係を前提に行われる何かを裁判材料に使いたくて覆面レッスンを引っ張っていたのだとしたら。
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