話が (1) バッハ父子 (2) 古典派の音楽(ホモフォニー、ソナタ形式…) (3) 市民たちの音楽へ、楽譜出版 といったあたりに来ましたので、これはかなり馴染みがあるというか
←ここから巻き進行で行きます
「あ、聞いたことある」という部分も多く、なので駆け足でだーっと行けそうです。さっさと最後まで聞いちゃって、中抜けの部分に戻らないと(^^;;
なにしろ学期末テストもあるそうですからね。
今回の最初らへんではバッハ(←ヨハン・セバスティアン)批判というのが出てきて、まぁなんかチラと聞いたことがあるけどあんまりピンと来ないよね。バッハは「音楽の父」とも言われて、今じゃ絶対視されているというか、避けて通れないくらいの存在。
批判の内容は一言でいって「難しすぎる」…「演奏が技術的に困難」「高度なポリフォニー」「装飾を(演奏者に委ねるべき部分まで)細かに楽譜に書き記した」というようなことがシャイベさんにより批判されたそうです。
いや、確かに難しいんだけれども…自分で弾くんじゃなくて誰か弾いてくれたのを観賞する分には私は文句ないけどね…それにしても3つ目の点、装飾を書き込んだというのが批評の対象になるのね、おもしろいです。自然に背く、ごてごてしている、ということのようですが、私たち(の時代の人)にしてみれば、書いといてくれてありがとうくらいの感じでしょうか。
バッハの末息子、ヨハン・クリスティアンは、お父さんゆずりのセンスで複雑なポリフォニーも十分書けたそうですけど、その時代ではギャラント(雅)様式の曲で高い評価を受けたそうです。旋律+伴奏(ホモフォニー)が優勢となった時代、そのほうが洗練されていてかっこいいという位置づけです。
ポリフォニーとホモフォニーのどっちがかっこいいとか洗練されてるとか、別に甲乙つけてくれなくてもぜんぜん構わないんだけど、小さいころは(といっても中高生とか)なんでややこしいほうが時代的に先で、わかりやすい(単純?)のほうが後なのかなんとなく不思議な気はしたものです。
(というか、今でもそんなによくわかってはいないんだけども…)
ともかく、この授業のたてつけでいえば、そのような音楽の変化が起こったのは、社会における啓蒙主義の広まり(絶対主義的な社会への批判)が背後にあるからだそうで、
まぁ確かに、市民が自ら音楽を楽しむ、楽譜を買ったりレッスンを受けたり自分で弾いたりと、そういうことを考えれば「旋律+伴奏(ホモフォニー)」が断然似合う気はします。
ハイドン(宮廷雇われ)→モーツァルト(雇われ+自由)→ベートーヴェン(自由、かつらをかぶらない)
という変化もよく言われますけど、そういう大きな時代の変化があったときなのですよね。
ところで「ホモフォニー」のほうが「単純」な音楽なのかというとそういうわけでもなく、むしろ「いじりやすい?」
ソナタ形式みたいに構造をはっきりさせるにも好都合なわけで、大規模な音楽を構成していくのも「ホモフォニー」ならではなのかもしれません。
やがて「交響曲」が音楽ジャンルの最重要部分として発展してくるのですが。
これは元々オペラの前座、導入部分で演奏される「ちんまり」したイタリア風序曲だったんですってね。
そういえば、先日のおゆき先生コンサートで聞いた「フランス風序曲」っていうのがありましたが、あれもオペラの前に演奏するやつで、ポジション的には同じですね。でもフランス風序曲は「荘重な付点リズムによる開始部分と、それに続く速いフーガ風の部分という対照的な2部分による構成(ウィキペより)」でイタリア風序曲は急-緩-急の小さな三楽章形式をとることが多いとのことで、確かにこちらのほうが交響曲(の卵)っぽい。
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「あ、聞いたことある」という部分も多く、なので駆け足でだーっと行けそうです。さっさと最後まで聞いちゃって、中抜けの部分に戻らないと(^^;;
なにしろ学期末テストもあるそうですからね。
今回の最初らへんではバッハ(←ヨハン・セバスティアン)批判というのが出てきて、まぁなんかチラと聞いたことがあるけどあんまりピンと来ないよね。バッハは「音楽の父」とも言われて、今じゃ絶対視されているというか、避けて通れないくらいの存在。
批判の内容は一言でいって「難しすぎる」…「演奏が技術的に困難」「高度なポリフォニー」「装飾を(演奏者に委ねるべき部分まで)細かに楽譜に書き記した」というようなことがシャイベさんにより批判されたそうです。
いや、確かに難しいんだけれども…自分で弾くんじゃなくて誰か弾いてくれたのを観賞する分には私は文句ないけどね…それにしても3つ目の点、装飾を書き込んだというのが批評の対象になるのね、おもしろいです。自然に背く、ごてごてしている、ということのようですが、私たち(の時代の人)にしてみれば、書いといてくれてありがとうくらいの感じでしょうか。
バッハの末息子、ヨハン・クリスティアンは、お父さんゆずりのセンスで複雑なポリフォニーも十分書けたそうですけど、その時代ではギャラント(雅)様式の曲で高い評価を受けたそうです。旋律+伴奏(ホモフォニー)が優勢となった時代、そのほうが洗練されていてかっこいいという位置づけです。
ポリフォニーとホモフォニーのどっちがかっこいいとか洗練されてるとか、別に甲乙つけてくれなくてもぜんぜん構わないんだけど、小さいころは(といっても中高生とか)なんでややこしいほうが時代的に先で、わかりやすい(単純?)のほうが後なのかなんとなく不思議な気はしたものです。
(というか、今でもそんなによくわかってはいないんだけども…)
ともかく、この授業のたてつけでいえば、そのような音楽の変化が起こったのは、社会における啓蒙主義の広まり(絶対主義的な社会への批判)が背後にあるからだそうで、
まぁ確かに、市民が自ら音楽を楽しむ、楽譜を買ったりレッスンを受けたり自分で弾いたりと、そういうことを考えれば「旋律+伴奏(ホモフォニー)」が断然似合う気はします。
ハイドン(宮廷雇われ)→モーツァルト(雇われ+自由)→ベートーヴェン(自由、かつらをかぶらない)
という変化もよく言われますけど、そういう大きな時代の変化があったときなのですよね。
ところで「ホモフォニー」のほうが「単純」な音楽なのかというとそういうわけでもなく、むしろ「いじりやすい?」
ソナタ形式みたいに構造をはっきりさせるにも好都合なわけで、大規模な音楽を構成していくのも「ホモフォニー」ならではなのかもしれません。
やがて「交響曲」が音楽ジャンルの最重要部分として発展してくるのですが。
これは元々オペラの前座、導入部分で演奏される「ちんまり」したイタリア風序曲だったんですってね。
そういえば、先日のおゆき先生コンサートで聞いた「フランス風序曲」っていうのがありましたが、あれもオペラの前に演奏するやつで、ポジション的には同じですね。でもフランス風序曲は「荘重な付点リズムによる開始部分と、それに続く速いフーガ風の部分という対照的な2部分による構成(ウィキペより)」でイタリア風序曲は急-緩-急の小さな三楽章形式をとることが多いとのことで、確かにこちらのほうが交響曲(の卵)っぽい。
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