今年のメインテーマでありますフォーレのノクターン六番ですが、じわじわと練習、というか好きに弾いているうちに、徐々に音も並んできて、そうすると弾いてるときの幸せ感がじわじわと成長してきて…
←GW待ち遠しい
今や、弾いててとても楽しいです。
とはいえ、私が弾いてるときって何を考えてるかっていうと、あんまり何も考えてなくって、
きれいだなとか
上がっていくとか下がっていくとか、
どこにいくんだろう? とか
ここは萌え(^^;; とか
ま、そんな程度なんですが。
そういえば、ヨガ前レッスンの先生はこの曲についてあまり何も言ってなかったので、
あれこれ考えて(分析して)あれこれ言うタイプの先生のレッスンといえば(笑)
artomr先生の一回だけなんで…それもぜんぜん弾けてないときの一回
そろそろもっと突っ込んだ話を聞いておきましょうか。
ということで、GWの入り口(4/27)の日、artomr先生にレクチャーコンサートを依頼しました。
以下、先生に書いてもらった案内文:
〜溶け合う輪郭線〜ガブリエル・フォーレ:《ノクターン第6番》op. 63〜
ウジェーヌ・カリエール「母の接吻」
(1890年代末)
オーギュスト・ロダン(1840-1917)の彫像は写実的に造形されたものではなく、台座と溶け合っていたり、手脚の筋肉が誇張されたりしています。これによって、私たちは現実には動かない石の塊から躍動感、更には愛や苦悩といった感情を感じ取ることができます。
このロダンの友人であったウジェーヌ・カリエール(1849-1906)も、「精密な写実を目的としない絵画」を描きました。カリエールは「母と子」というテーマを好んだ画家ですが、画面全体は霧のように霞んでおり、描かれている母子の輪郭線は曖昧で、優しく溶け合うかのようです。そしてこの「曖昧な輪郭線」は、私たちの心とカリエールの絵画の境界線も曖昧にしてゆきます。
西欧芸術における19世紀とは、その100年を通じて、人間の内面が様々な形で探究された時代です。私は上に挙げたような19世紀末のフランスの美術家たちに、極めて近い感性を持っていた音楽家は、ガブリエル・フォーレ(1845−1924)だと思います。フォーレ自身「私は繊細さの領域を一層広げた」と述べていますが、それはまさにカリエールの絵画のような質感を持つ、フォーレの《ノクターン第6番》(1894)を聴けば納得できる言葉です。
このような繊細な作品を分析するのは、ドビュッシーの分身・クローシュ氏に言わせれば「自動人形の腹を裂くような無粋さ」かもしれません。しかし私は、このフォーレのノクターンの細部にはショパンとシューマンの先鋭的な技法が独創的に用いられており、音楽における「溶け合う輪郭線」が生じている、という視点を持たざるを得ません。人形の腹を裂くような分析ではなく、その「魂」を掴み取るような分析がしたいものです。
フォーレの《ノクターン第6番》に見えてくる、様々な「溶け合う輪郭線」を描き出し、曖昧さや繊細さを「そのまま捉える」分析と演奏を目指したいと思います。
【演奏曲目】(予定)
フォーレ《ノクターン第6番》op. 63
ショパン《マズルカ》op. 59-1
シューマン《クライスレリアーナ》op. 16より第8曲
-----
* コンサートといってもうちでやってもらうので、対象はアンダンテ自宅に来たことがある方に限ります。残席2
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今や、弾いててとても楽しいです。
とはいえ、私が弾いてるときって何を考えてるかっていうと、あんまり何も考えてなくって、
きれいだなとか
上がっていくとか下がっていくとか、
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ここは萌え(^^;; とか
ま、そんな程度なんですが。
そういえば、ヨガ前レッスンの先生はこの曲についてあまり何も言ってなかったので、
あれこれ考えて(分析して)あれこれ言うタイプの先生のレッスンといえば(笑)
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そろそろもっと突っ込んだ話を聞いておきましょうか。
ということで、GWの入り口(4/27)の日、artomr先生にレクチャーコンサートを依頼しました。
以下、先生に書いてもらった案内文:
〜溶け合う輪郭線〜ガブリエル・フォーレ:《ノクターン第6番》op. 63〜
ウジェーヌ・カリエール「母の接吻」
(1890年代末)
オーギュスト・ロダン(1840-1917)の彫像は写実的に造形されたものではなく、台座と溶け合っていたり、手脚の筋肉が誇張されたりしています。これによって、私たちは現実には動かない石の塊から躍動感、更には愛や苦悩といった感情を感じ取ることができます。
このロダンの友人であったウジェーヌ・カリエール(1849-1906)も、「精密な写実を目的としない絵画」を描きました。カリエールは「母と子」というテーマを好んだ画家ですが、画面全体は霧のように霞んでおり、描かれている母子の輪郭線は曖昧で、優しく溶け合うかのようです。そしてこの「曖昧な輪郭線」は、私たちの心とカリエールの絵画の境界線も曖昧にしてゆきます。
西欧芸術における19世紀とは、その100年を通じて、人間の内面が様々な形で探究された時代です。私は上に挙げたような19世紀末のフランスの美術家たちに、極めて近い感性を持っていた音楽家は、ガブリエル・フォーレ(1845−1924)だと思います。フォーレ自身「私は繊細さの領域を一層広げた」と述べていますが、それはまさにカリエールの絵画のような質感を持つ、フォーレの《ノクターン第6番》(1894)を聴けば納得できる言葉です。
このような繊細な作品を分析するのは、ドビュッシーの分身・クローシュ氏に言わせれば「自動人形の腹を裂くような無粋さ」かもしれません。しかし私は、このフォーレのノクターンの細部にはショパンとシューマンの先鋭的な技法が独創的に用いられており、音楽における「溶け合う輪郭線」が生じている、という視点を持たざるを得ません。人形の腹を裂くような分析ではなく、その「魂」を掴み取るような分析がしたいものです。
フォーレの《ノクターン第6番》に見えてくる、様々な「溶け合う輪郭線」を描き出し、曖昧さや繊細さを「そのまま捉える」分析と演奏を目指したいと思います。
【演奏曲目】(予定)
フォーレ《ノクターン第6番》op. 63
ショパン《マズルカ》op. 59-1
シューマン《クライスレリアーナ》op. 16より第8曲
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