この世で何かを手に入れるのは概ね金が必要だが、金をつぎ込んでも手に入らないものはいくらでもあると骨董狂いの従兄が言ったので、手に入らないものってのは愛とかそんな類かと茶化すと心底呆れたような表情で、人間が手に入れられる最大の宝は自分だけの物語を作り出す力だと言われた。
この世で何かを手に入れるのは概ね金が必要だが、金をつぎ込んでも手に入らないものはいくらでもあると骨董狂いの従兄が言ったので、手に入らないものってのは愛とかそんな類かと茶化すと心底呆れたような表情で、人間が手に入れられる最大の宝は自分だけの物語を作り出す力だと言われた。
エジプトのヒエログリフの殆どが表音文字だと判明するまでは、文字の形から解読を試みた結果として様々な誤訳が発生したらしいが、古の錬金術師も漏洩を恐れて研究結果を暗号として残した。故にその暗号の法則性を知るものにとって錬金術の秘術は「オシリスが言う」並の明確な文章なのだろう。
たかあきは雪国のド辺境に辿り着きました。名所は城址公園、名物は貝料理だそうです。
秋の終わりに結婚式を挙げた姉夫婦は、一生に一度の機会だと新婚旅行先に北海道を選び飛行機で旅立って行った。やがて土産持参で遊びに来た姉がキタキツネのトレーナーを着ているのを見た私は土産の貝柱を摘まみながら何も考えずソレ私も欲しいなと呟いたら、トイレから帰ってきた姉の旦那が全く同じトレーナーを着ていた。
秋の終わりに結婚式を挙げた姉夫婦は、一生に一度の機会だと新婚旅行先に北海道を選び飛行機で旅立って行った。やがて土産持参で遊びに来た姉がキタキツネのトレーナーを着ているのを見た私は土産の貝柱を摘まみながら何も考えずソレ私も欲しいなと呟いたら、トイレから帰ってきた姉の旦那が全く同じトレーナーを着ていた。
傍目には無節操に見える従兄の骨董趣味も従兄なりの拘りがあるらしく、たまに買取寸前で商品をキャンセルすることもある。例えば印章蒐集に熱心だった時に現物を見るなり駄目だと呟いたので理由を尋ねると、今ここで俺が購入しなければお前には関係のない話だとはぐらかされた。
たかあきは北国の僻地に辿り着きました。名所は花畑、名物は貝料理だそうです。
子供の頃の遠足で海に行った。正直海で何があったかは覚えていないのだが海浜公園の桜並木の薄紅と、帰りのバスで見た空き地一杯に咲いているタンポポの黄色は未だに鮮明に覚えている。ちなみに数年後、今度は家族と一緒に同じ海を訪れるに至った目的は巨大なホタテ貝が売りの日の丸海鮮丼だった。
子供の頃の遠足で海に行った。正直海で何があったかは覚えていないのだが海浜公園の桜並木の薄紅と、帰りのバスで見た空き地一杯に咲いているタンポポの黄色は未だに鮮明に覚えている。ちなみに数年後、今度は家族と一緒に同じ海を訪れるに至った目的は巨大なホタテ貝が売りの日の丸海鮮丼だった。
購入者の希望によって装丁が一冊ずつ異なる本の中でも、その一冊は更に特殊だった。一枚だけ他の本には存在しない肉筆の図版が混じっているのだ。だが購入者である彼女が、「あの日の光景」と題された宵の明星の浮かぶ黄昏の空に彼が込めた真の意味に気付くことは永遠に無かった。
たかあきは春の廃墟に辿り着きました。名所は古城、名物は野菜料理だそうです。
その城址公園には騎乗武者の銅像が杜の都と呼ばれる北の地を睥睨するかのように建てられている。昔この地を訪れた時は銅像竣工中で公園に入れなかったが、春の花が咲き乱れる中で握り飯と漬物を齧りながら、幼い頃の病から痘痕面になりながらも後には伊達者と歴史に名を残した隻眼武者の像を見上げる。
その城址公園には騎乗武者の銅像が杜の都と呼ばれる北の地を睥睨するかのように建てられている。昔この地を訪れた時は銅像竣工中で公園に入れなかったが、春の花が咲き乱れる中で握り飯と漬物を齧りながら、幼い頃の病から痘痕面になりながらも後には伊達者と歴史に名を残した隻眼武者の像を見上げる。
たかあきは真夏のかつての故郷に辿り着きました。名所は駅、名物は海鮮鍋だそうです。
数年前、波に根こそぎ攫われた街に私の知る面影は残っていなかった。それでも眼前に広がる海は記憶のままで、そこでは既に海の恵みを受けながら新しい街の新しい生活が繰り広げられている。半世紀に一度の割合で流される街は、これからも姿を変えながら人々と共にその営みを続けてていくのだろうか。
数年前、波に根こそぎ攫われた街に私の知る面影は残っていなかった。それでも眼前に広がる海は記憶のままで、そこでは既に海の恵みを受けながら新しい街の新しい生活が繰り広げられている。半世紀に一度の割合で流される街は、これからも姿を変えながら人々と共にその営みを続けてていくのだろうか。
就業規則からマニキュアを許されない彼女は引き替えに爪を丁寧に磨く。仕事で酷使される爪は気付くと先端が砕けて薄くなっているが、そうなることで彼女は一層爪の手入れに気を使う。一度だけ何故そこまで気を使うのかと尋ねると、爪を振るわずに済むようにと答えが返ってきた。
自然を写し取るという行為は造物主に対して決して勝てない勝負を挑むことだが、それ故己自身の眼に映る要素を加味することで造物主の手を離れた唯一の存在となる。だから己の視点という要素無しに凍結させた完璧な自然を造り出そうとする事自体が大いなる罪悪なのだと私を見る彼の笑顔は、何故か酷く歪んでいた。