あられの日記

カテゴリーは場所優先。鶴岡八幡宮は寺院・仏閣ではなく「鎌倉」に。一部検索し易さ優先で、花カテゴリーに入れてる場合も。

鎌倉のイチョウがっ

2010年03月11日 11時31分41秒 | 巨木・古木・ご神木・盆栽
暖冬には積雪が多いといわれてますが、今年は既に何度雪が降ったのか…。
未だ丹沢山系が雪をかぶってます。もう3月も半ばなのに…。せっかく咲いた梅の花も、雪で大分痛んでて悲しい~。と、小市民は考えてたら、ナンと!!
昨日、鎌倉の大イチョウが倒れたとのニュースがっ!!
何っ!?
鎌倉の大イチョウってまさかまさか~~~
ええ、アレでした。
鶴岡八幡宮の大イチョウです。
まさに、源氏の終焉の歴史を目撃したと思われるイチョウです。
最もこの大イチョウは樹齢1000年は眉唾と言われてまして、鎌倉三代将軍源実朝が暗殺された時にあったのはこのイチョウの先代で、それでも600年は硬いと言われてるイチョウの樹。それがまさか、倒れるだなんて!
しかも、修復不能だなんて…。
か~な~し~い~…
思わず、アルバム開いてありし日の大イチョウの姿を確認してしまいました。
トップの画像は2008年12月7日の夕方のものです。
もちろん去年も鶴岡八幡の大イチョウに会いにゆきましたが、去年のイチョウの勇姿は写してません。
実はですね。
去年の秋、立て続けに台風がやってきました。確か一つは平塚辺りに上陸したんじゃなかったっけ?
でね。
鎌倉はもとより、関東の海岸近くのコスモスは大ダメージを受けました。
で、鎌倉も海に面して開けてまして、去年の秋はカエデもイチョウのそれなりにダメージがあったんですよ。
もちろん、鶴岡八幡宮のイチョウにもダメージがありました。
私が訪問した時は、大イチョウの先端は海風の影響を受けたようで、葉っぱがなくなってて、哀れ~な姿をさらしてました。
で、昨年の秋に訪れた時は写真をパスして今年の秋にまた…と、祈念してたのに…。
まさか、あの哀れなイチョウの姿が最後だっただなんて…。
か~な~し~いいぃぃぃ~~。

せめてもの供養に、ありし日の大イチョウの姿を紹介します。



この大銀杏をバックに記念撮影は、鶴岡八幡宮を訪問した時の定番でした。
あの存在感を失った八幡さまの姿を想像出来ない~。
近いうち、一度自分の目で見てこなくちゃ!
………。
そう言えば、ここって、源頼朝が作った八幡さまじゃなかったっけ?
鎌倉に現存する数少ない源氏の造った建物。
あれ?
違った??


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源義経所縁の神社

2010年03月11日 09時33分45秒 | 記念スタンプ
藤沢七福神めぐりの3つめは白旗神社です。
実はここ歴史好きの私は楽しみだったんだよねえ~。
お出かけ前に地図で確認したら近くに「源義経首洗井戸」があったんですよ。

でね。
白旗神社は「義経の首を祀ったと伝えられる」と書かれてました!
源義経
源平合戦に於いて義経は一番のヒーローです
そして悲劇的な最後を遂げた人でもありまして、わびさびを愛する日本人の情感に訴える人でもあります。
でも、鎌倉って義経所縁の場所ってあんまりないんだよね。
だから地図上で所縁の場所を見つけて私はわくわくなんでした。
ええ、例え義経「首洗い」井戸だとしても!

ですがその肝心の井戸の場所がわからない。
私の持ってる本は「ウォーキングマップル神奈川」という本なのですが、標準4万分の1。拡大しても2万分の1の地図でして、倍率が悪くて細かな場所がわからない。頼みのYAHOO!の地図に首洗い井戸は載ってない。
まあ、行けばなんとかなるだろう~。何しろ義経はビッグネームだし!と白旗神社に行く道々探しながら歩いたんですが、見つかりませ~ん
そ、そんなあ…。
ヤサグレ気分のまま白旗神社に到着してしまいました…。
なんてこった~

まずは神社の履歴なんかを読む。ここのご祭神はズバリ義経公。すげ~~

日本人には馴染みある表です。
と言っても自分が厄年かどうか確認する位ですが。
それでいつもの狛犬チェック!

微妙に気分が浮上しないまま階段を登る。
と?

ふおおおおお~~~。
源義経って書いてあるう~~!!
上の画像の左下にある石碑が読めますか?
「源義経公鎮霊碑」って書かれてるんですよ。
う~~ん。テンション上がって来た~~!!
現金にも足取り軽く階段を登ると、綺麗な本殿がありました。

幕に描かれてあるのはもしかして、源氏のササリンドウ?
皆さんもご存知の通り、源平合戦は源氏の勝利で幕を閉じたのですが、源氏の天下は短かったんですね。頼朝は急死してるし、後を継いだ息子達も治世は短くて、3代目の実朝君も暗殺されてます。なので、源頼朝が開いた鎌倉幕府といいつつも実質北条氏の幕府です。しかも頼朝も元々鎌倉に拠点があった訳じゃなく、頼朝の奥さんだった北条政子のパパ北条氏の地盤だから鎌倉に行っても現存する源氏所縁の場所とか少ないし、源氏が作った現存する建物とか咄嗟に思い出せない。
まして、義経に限定すると、思い浮かぶのは腰越状くらい?
そりゃ舞い上がってもいいじゃんねえ。
にしてもこの建物なかなかいいなあ。

ちょっと分かりにくいけど、軒下がいい感じなんだよ~。
こういうの鉄筋コンクリート製じゃ出ない味わいだよな。
関東は空襲と関東大震災のダブルコンボで出来たオリジナルの建物が残ってる神社仏閣って少ないんですよ。
京都や四国に比べちゃいかんと思いつつ、敷地にあるのは本殿のみ!しかも全てコンクリート製。地面までもコンクリート!って場所もあったりして私ゃべっくりしたよ…。
に比べてこの本殿はなかなか。私的には評価が高いです。もちろんこの本殿もオリジナルのものではなく、痛みが激しいからって明治期に立て直されたものです。でも私的に、鉄筋コンクリート製じゃないだけでも嬉しいの

本殿の脇に「弁慶の力石」を発見!
義経所縁のものが少ないなら、弁慶所縁の品があるのが不思議じゃ!
真贋はともかく見つけてうれしい~。

階段を降りて来てこんなん見つけました。
さて、落ち着くと、次の目的は「義経の首洗い井戸」だ!
どこだろう??





コメント (1)
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