あられの日記

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源義経首洗い井戸発見

2010年03月12日 06時06分39秒 | 歴史散歩
白旗神社の社務所に、件の井戸の地図がありました!
覚えて早速目指す(…今、気づいたんですが、携帯のカメラで地図を写しておけば、覚える必要なかったんじゃあ…)
井戸は白旗神社からは直線距離ではすぐだけど、現代の道は迂回しないといけません。
トップ画像の井戸の脇にある立て看板が読めますか?
『「吾妻鏡」によりますと、兄頼朝に追われた義経は、奥州(東北)でなくなり1189年に義経の首が鎌倉に送られてきました。
義経の首は首実検ののち腰越の浜へ捨てられました。それが汐に乗って境川をさかのぼり、この辺に漂着したのを里人が救い上げ洗い清めた井戸と伝えられます。』
だって。
首実検って分かるよね?
昔は本人かどうか確認する為に首を落として目でいちいち確認したんだね。たぶん遠方へ運ぶ時は腐敗を避ける為に首を箱に入れて塩漬けにして運んだハズ。や、違ったか?またあやふやな知識で語っちゃってます~。
にしても、首実検を終えた義経の首を埋葬もせずに浜へ捨てるなんてことがあるのか??
なんか、疑問が残るなあ~??
日本って怨霊とか祟りを恐れるから神として祀って恨みを鎮めるって考え方が普通じゃないの~?
その辺の下っ端じゃなくて、義経は仮にも御大将頼朝の弟だよ?
確か先日紹介した永福寺跡って、頼朝が奥州藤原氏と義経の為に建てた壮麗な寺じゃなかったっけ??
なのに、弟の首を浜に捨てるってなんだかなあ??

画像で見えるかどうか謎ですが、これには弁慶の名前も確かかかれてました。
確か確か、後に弁慶の首も届いたとかなんとか…。
すみません。
既に1月以上前の話なんで、記憶が曖昧です。
この画像はだいぶ興奮して撮影したのは確かなんですが…。
この碑に武蔵坊弁慶とか久郎判官源義経公って書いてあったハズ。

コメント
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