「松永記念館は「電力王」と称され、実業界で活躍する一方で、茶道にも造詣の深かった松永安左衛門(耳庵)が、昭和21年に小田原に居住してから収集した古美術品を、一般に公開して広く愛好者に親しんでもらおうと、昭和34年に財団法人松永記念館を設立して、自宅の敷地内に建てられたものです。
安左衛門の没後、敷地と建物が小田原市に寄付されました。その後、この敷地内の改修工事を行い昭和55年に小田原市強度文化館文館として開館しました。」以上、パンフレットからの抜粋。
………。結構ここのお庭と老欅荘を楽しみにしてたんですけどね。
なんなのっ~~!!
「本日は大茶会を行っております」ってな事で、和服姿のご夫人があちこちにいらっしゃいますっ!!清閑亭再び…。
もうね。茶席の順番も時間も決まってるのね。と~て~も~っ。室内を楽しむ事なんか出来ないっ!
せめてもと記念館の裏手にある老欅荘の外観を見に行きました。
老欅荘の中でも大規模なお茶会の最中でした。私はお庭をお歩いてるだけなのに、視線が刺さるっ。「なにあの人っ!あの服装っ!!」ってな具合だっ。
しょ~~がないじゃないかっ!私はお点前をいただきに来たんじゃないんだもの。今日は箱根板橋明治の邸宅巡りなんだもの~~~っ!!
老欅荘の外観と庭の画像をささっと写しただけで、そそくさと撤収~ですっ!
あ。
でも一応老欅荘の解説は紹介しておこうか。
「老欅荘は松永安左衛門(耳庵)が、昭和21年に埼玉県柳瀬(現所沢市)から小田原に移り住むために建てられたもので、その名称は、登り口にそびえる欅の大木に由来しています。
耳庵は夫人とともに万年をここで過ごすかたわら、多くの茶会を催し、当時の有名な茶人、政治家、学者、建築家、画家などを招きました。最後の数寄茶人とも呼ばれ、益田孝(鈍翁)とともに、近代茶人の一人として有名です。
老欅荘は国の登録有形文化財に登録されています」
老欅荘の名前の由来となった欅の大木は、今もそのまま残っていて、記念館から老欅荘へ向かう坂道の途中にあります。
記念館前の池まで戻ってくると、庭のほとりにある休憩所はまだ和装のご婦人方でにぎわっていました。
お茶会の最中なのでお庭にある「葉雨庵」を撮影。
茶室「葉雨庵」は、中外商業新報(後の日本経済新聞)社長、三越百貨店社長、鐘紡重役などを歴任した野崎廣太(幻庵)によって、大正13年、諸白小路(現、市内南町)の別荘「自怡荘」内に建てられた茶室です。
ここでは当時の中央政財界人が招かれ多くの茶会が催されました。
こちらは付属の烏薬亭。こちらでもお茶会中。その名称は建物正面にある小田原地方ではここでしか見られない樹木「天台烏薬」にちなんで名付けられました。
松永記念館にある茶室の内部は全て見られず…。がっくりと肩をかかとまで落として記念館を後にしました。
時刻を確認すれば丁度午後2時を回ったところでした。
あれ?
思ったより時間が経ってなかったんですね。でも~、もう体力が…。ヤバいです。
松永記念館の正門を出たところでタクシー発見!
の、乗せてくれ~。とちらっと思ったんですが、これはお茶会の出席を終えたおばさま達の御用達。着物姿のご婦人が乗り合わせて坂を降りていきます。
ちっ!しょうがないなあ~。
もう一踏ん張りだっ!惰性でだらだらと緩い坂を降りていくと、水音が聞こえてきた。
あ。これ、「小田原用水」だわ。
小田原用水は、箱根芦ノ湖」を源とする早川の水をこの地で取り入れ、旧東海道に沿って城下内へ流した上水道で、後北条時代に造られたものです。
なかなかの歴史ポイントじゃないの~。
疲れた時に萌えが発動し、小田原用水の流れに沿って板橋見附まで。
新幹線の高架をくぐり、東海道本線の高架も過ぎ…。
さて、こっからJR小田原駅へ行く最短の道は~。
おや~?信号の向こうになんだか変わった建物が…。何だろう?
実はコレ、消防署なんですよ。小田原は観光客に心配りが心憎い。お城に隣接する小学校も漆喰の白壁と瓦屋根を乗っけたテイストで作られているんですよね~。う~んっ。萌え萌えっ!!
松永記念館から消防署まで約20分ちょっと。地図を取り出して確認すると、東海道本線に隣接して走る道がトンネルになっていて、清閑亭のきつい坂のあった箱根から延びる尾根を上らずに済みそうです。
マ、マジか~。
尾根の一番高いところまで上ることは回避出来たんだけどねっ。その先にやっぱりあったぜ。上り坂。もう~~~っ!!疲れて足が上がンなくなってるのに~~~~っ。
ボヤく元気も残ってないよっ。
這々の体でお城通りまで戻って来た!
ムっ!!こ、これはっ!!
クリスタルカイザー~~~っ!!しかも500ミリリットル1本70円っ!!のっ!!自動販売機~~~~っ!!
ああ。旅行お守りのご利益、今日もちゃんとあったのねっ。
早速購入して、小田急線の車内でむさぼり飲んでしまいました。
本日の小田原明治の邸園巡りはコースの順番をミスってしまいましたが、当初の裏目的だった運動不足解消は100%実施出来ました!ま。帰宅後、シャワーを浴びようと服を脱いだら、またまた赤剥け日焼けになっていたのはいらんおまけでしたが。長々と小田原散歩におつきあいいただきましてありがとうございます。
ちなみに、箱根板橋のお庭は、今頃程よく紅葉してるハズ。お散歩におすすめです。
安左衛門の没後、敷地と建物が小田原市に寄付されました。その後、この敷地内の改修工事を行い昭和55年に小田原市強度文化館文館として開館しました。」以上、パンフレットからの抜粋。
………。結構ここのお庭と老欅荘を楽しみにしてたんですけどね。
なんなのっ~~!!
「本日は大茶会を行っております」ってな事で、和服姿のご夫人があちこちにいらっしゃいますっ!!清閑亭再び…。
もうね。茶席の順番も時間も決まってるのね。と~て~も~っ。室内を楽しむ事なんか出来ないっ!
せめてもと記念館の裏手にある老欅荘の外観を見に行きました。
老欅荘の中でも大規模なお茶会の最中でした。私はお庭をお歩いてるだけなのに、視線が刺さるっ。「なにあの人っ!あの服装っ!!」ってな具合だっ。
しょ~~がないじゃないかっ!私はお点前をいただきに来たんじゃないんだもの。今日は箱根板橋明治の邸宅巡りなんだもの~~~っ!!
老欅荘の外観と庭の画像をささっと写しただけで、そそくさと撤収~ですっ!
あ。
でも一応老欅荘の解説は紹介しておこうか。
「老欅荘は松永安左衛門(耳庵)が、昭和21年に埼玉県柳瀬(現所沢市)から小田原に移り住むために建てられたもので、その名称は、登り口にそびえる欅の大木に由来しています。
耳庵は夫人とともに万年をここで過ごすかたわら、多くの茶会を催し、当時の有名な茶人、政治家、学者、建築家、画家などを招きました。最後の数寄茶人とも呼ばれ、益田孝(鈍翁)とともに、近代茶人の一人として有名です。
老欅荘は国の登録有形文化財に登録されています」
老欅荘の名前の由来となった欅の大木は、今もそのまま残っていて、記念館から老欅荘へ向かう坂道の途中にあります。
記念館前の池まで戻ってくると、庭のほとりにある休憩所はまだ和装のご婦人方でにぎわっていました。
お茶会の最中なのでお庭にある「葉雨庵」を撮影。
茶室「葉雨庵」は、中外商業新報(後の日本経済新聞)社長、三越百貨店社長、鐘紡重役などを歴任した野崎廣太(幻庵)によって、大正13年、諸白小路(現、市内南町)の別荘「自怡荘」内に建てられた茶室です。
ここでは当時の中央政財界人が招かれ多くの茶会が催されました。
こちらは付属の烏薬亭。こちらでもお茶会中。その名称は建物正面にある小田原地方ではここでしか見られない樹木「天台烏薬」にちなんで名付けられました。
松永記念館にある茶室の内部は全て見られず…。がっくりと肩をかかとまで落として記念館を後にしました。
時刻を確認すれば丁度午後2時を回ったところでした。
あれ?
思ったより時間が経ってなかったんですね。でも~、もう体力が…。ヤバいです。
松永記念館の正門を出たところでタクシー発見!
の、乗せてくれ~。とちらっと思ったんですが、これはお茶会の出席を終えたおばさま達の御用達。着物姿のご婦人が乗り合わせて坂を降りていきます。
ちっ!しょうがないなあ~。
もう一踏ん張りだっ!惰性でだらだらと緩い坂を降りていくと、水音が聞こえてきた。
あ。これ、「小田原用水」だわ。
小田原用水は、箱根芦ノ湖」を源とする早川の水をこの地で取り入れ、旧東海道に沿って城下内へ流した上水道で、後北条時代に造られたものです。
なかなかの歴史ポイントじゃないの~。
疲れた時に萌えが発動し、小田原用水の流れに沿って板橋見附まで。
新幹線の高架をくぐり、東海道本線の高架も過ぎ…。
さて、こっからJR小田原駅へ行く最短の道は~。
おや~?信号の向こうになんだか変わった建物が…。何だろう?
実はコレ、消防署なんですよ。小田原は観光客に心配りが心憎い。お城に隣接する小学校も漆喰の白壁と瓦屋根を乗っけたテイストで作られているんですよね~。う~んっ。萌え萌えっ!!
松永記念館から消防署まで約20分ちょっと。地図を取り出して確認すると、東海道本線に隣接して走る道がトンネルになっていて、清閑亭のきつい坂のあった箱根から延びる尾根を上らずに済みそうです。
マ、マジか~。
尾根の一番高いところまで上ることは回避出来たんだけどねっ。その先にやっぱりあったぜ。上り坂。もう~~~っ!!疲れて足が上がンなくなってるのに~~~~っ。
ボヤく元気も残ってないよっ。
這々の体でお城通りまで戻って来た!
ムっ!!こ、これはっ!!
クリスタルカイザー~~~っ!!しかも500ミリリットル1本70円っ!!のっ!!自動販売機~~~~っ!!
ああ。旅行お守りのご利益、今日もちゃんとあったのねっ。
早速購入して、小田急線の車内でむさぼり飲んでしまいました。
本日の小田原明治の邸園巡りはコースの順番をミスってしまいましたが、当初の裏目的だった運動不足解消は100%実施出来ました!ま。帰宅後、シャワーを浴びようと服を脱いだら、またまた赤剥け日焼けになっていたのはいらんおまけでしたが。長々と小田原散歩におつきあいいただきましてありがとうございます。
ちなみに、箱根板橋のお庭は、今頃程よく紅葉してるハズ。お散歩におすすめです。