あるBOX(改)

ボクシング、70年代ロック、ヲタ系、日々の出来事などをウダウダと・・・

尾崎紀世彦、死去

2012年06月01日 | 芸能
訃報だよ、またまた訃報だよ(涙)
訃報ばっかのブログだよ!(←ヤケおこすなよ・・・)

5/31、「また逢う日まで」などで知られる歌手の尾崎紀世彦さんが、
癌のため都内の病院で死去された。
69歳だった。



4月に女性週刊誌が「尾崎さん失踪」と報じ、
東京・世田谷区の自宅から姿を消していることから
ワイドショーでも取り上げる騒動に発展していた。

実のお兄さんが「失踪はしていない。体調に問題あり静養している。
回復したら皆様の前に戻ってくる」とコメントし、
一応騒ぎは収束したが、結局病状は思わしくなかったという事か・・・。

当初グループサウンズのメンバーとして登場した尾崎さんは、
70年にソロデビュー。
71年に「また逢う日まで」が大ヒット。同曲で日本レコード大賞を受賞し、
生涯に渡る持ち歌として歌い続けた。

歌い上げるスタイル、豊かな声量は私の憧れでした。
大好きなタイプのヴォーカリストでしたよ。



和製トム・ジョーンズなんて言われてたそうですが、
トム・ジョーンズさんからして私、大好きですから。
長くて濃いモミアゲと太い眉、彫りの深い容姿も、
ポール・ロジャースさんに似てたし。

上条恒彦さんと並んで「偉大な彦々さん」として、私の中では
国内2大スーパーヴォーカリストでしたよ。
布施明さん足して3大ヴォーカリストですよ。

寂しいなぁ。

寂しいがお別れ言わなきゃならないんだなぁ・・・。

尾崎紀世彦さんの御冥福を心よりお祈り申し上げます。
「また逢う日まで」

アンジェロ・ダンディー氏も死去

2012年06月01日 | ボクシング
これまた些か旧聞に属しますが
ボクシング関係者の訃報です。

トレーナーの代名詞だった人です。
2/1、モハメド・アリのトレーナーを長年務めたアンジェロ・ダンディー氏が亡くなった。
享年90歳。大往生といえる年齢だが、やはり寂しい。

マイアミの地元紙によると、ダンディー氏は血栓症で入院後に治療を受けていたリハビリ施設で心臓発作を起こしたそうな。

ペンシルベニア州フィラデルフィア出身のダンディー氏は、アリ、シュガー・レイ・レナード、ジミー・エリスなど、計15人の世界チャンピオンのトレーナーとして活躍した。

この人も毀誉褒貶あったりして
グラブの小さな傷を指で開いて時間を稼ぎ、グロッギーのアリを救った・・・とか
アンフェア(ギリギリ)なエピソードも事欠かない反面

ホームズに打ち据えられたアリを「オレがチーフセカンドだ!オレが止めさせると言ったら終わりだ」とレフェリーに叫んで試合続行を認めなかったシーンは立派だった。

そもそも、同時期に活躍したエディ・ファッチ氏(故人)とも敵陣で何度も渡り合った間柄だ。

ジョー・フレージャーの全盛時といえるニューヨーク州公認世界王者時代、ジミー・エリスは統一戦と称してフレージャーと戦ったが
フレージャーの左フックは猛威を振るい、エリスがバッタバッタとダウン。
あまりの壮絶なダウンシーンに「強烈KOだった」と思っていたが、これはエリスが頑張って立ってラウンド終了ゴングに持ち込んでるのよね。

ここでダンディさんは試合ストップを申し出て、ファンや一部関係者から酷評されたのだが、「妥当な判断だった」という声もあり
傷心のダンディさんは救われたそうな。

そしてマニラのスリラでは「もう限界だ」とギブアップを申し出るアリに「もう1R頑張れ」。
反対のコーナーでは「死ぬまで戦う」というフレージャーを必死で説得するファッチ氏。

極限の選手を見極める両陣営のチーフセコンド。
セコンド同士も極限で戦っていたんだなぁ・・・・と。

そして歴史的なギブアップを申し出たのはフレージャー陣営。
決して不名誉な撤退ではなかった。本当に命を削って戦っていたのだ。

※だから、試合後にマルコス大統領から「君に(金を)賭けてたよ」と言われて
「腐るほど持ってるくせに」と、あの状態から減らず口を叩いたアリは
やっぱりスゲーなぁと思うのです。

スピードスターを育てるのに長けたダンディー氏、すべての選手に合うトレーナーでは無いと思いますが
やはり時代を彩った偉大なトレーナーでありました。

アンジェロ・ダンディ氏の魂が、安らか眠られることをお祈り致します。

内田正一氏も死去

2012年06月01日 | ボクシング
こちらのニュースも、だいぶ旧聞になりますが。
4/14、レフェリーとして活躍された元JBC総務部長 内田正一氏が、荒川区内の病院で逝去されています。
享年73歳。

時間が経って取り上げたのには理由あり
ミュージシャンなどは「素晴らしい曲を有難うございました」でお悔やみ申し上げるんですが
ボクシングのレフェリーやジャッジ、関係者の方々は、そうはいかないと言うか・・・
色々と考えることもあったのです。

内田さんが最晩年に見せたレフェリグは「ストップが遅くて怖いな」と何度も思われたし、
そもそも敗者が亡くなる事になった松倉戦vs大雅アキラ戦も、
再開直後に大雅選手は両手がダラリと無防備状態に陥っていたし
(敗者に近しい人から抗議があったというが、JBCも専門誌も取り合わなかったのには呆れた・・・)

そして
佐竹vs坂本戦では動きの速い佐竹に追いつけず、何度も佐竹に接触しかけておいでだった。
そのうえ、完璧なダウンをスリップと裁定・・・。

「内田さんも限界だな」と思ったものだが、やはり見た目より御年配だったんですよね。
審判部長としてリングサイドから新人を指導する仕事に移られてからは、御立派にお勤めだと思いました。

ある意味、どんぐり眼でリングを見つめるインスペクター的な仕事は天職とも思われましたが
死去により、そちらの仕事を長く続けられる事が無くなったのは残念です。

内田正一氏のご冥福をお祈り致します。

エディ・パーキンスも死去

2012年06月01日 | ボクシング
2012年5月10日、元プロボクシング世界Jウェルター級王者のエディ・パーキンス氏がシカゴの自宅でなくなっていたそうな。

75歳。「リングの親善大使」と言われたパーキンスだが
残念ながら私は「動く映像」を拝んだ事がない。

1937年にミシシッピ州に生まれ、56年にプロデビュー。
62年世界ジュニアウェルター級王座獲得、1964年1月4日に東京の蔵前国技館で高橋美徳(三迫)の挑戦を受け13回KOで撃退。
65年判定負けで王座陥落するも、その後も現役を続け、75年引退。

ヨーロッパ、中南米、北米、オーストラリア、アジア、アフリカと文字通り世界五大陸に渡って戦った技巧派。

身長165センチとこの階級でも小柄で、強打者でもなかったが、絶妙なディフェンス感覚とフリッカー・ジャブで相手をコントロールする選手だったそうな。

10代でデビューし38歳で引退するまでリングキャリアは19年。
総試合数は98試合、うち20戦以上は海外試合。まさに100戦練磨。
(昔はジュニア階級の王者を米国は軽視していたからねぇ・・・)
米国内で試合しても大半は地元以外でのファイトだったとか。
生涯戦績は、74勝20KO20敗3引分1NC。

キャリア晩年は日本のリングにも「元世界チャンピオン」として登場。
ライオン古山、辻本英守、龍反町と日本のトップ選手に連勝。
最後は辻本章次に判定負けしたが、この時は38歳。
「世界名ボクサー100人」には「これくらいオジイちゃんになって、やっと日本選手は一矢報いたのだ」と書かれていたよなぁ・・・。
※同シリーズも改訂されるごとに王者も厳選され、いつのまにかパーキンスの名前も消えたが
名誉の殿堂に残る選手やリング誌で評価される選手が主になった後出の「名ボクサー100人」より
来日して日本の記者に強烈な印象を残した選手をメインに置いた初版あたりの方が私は好きだったなぁ

なお、辻本章次戦からもう1試合したのち、パーキンスは引退。

何度も来日して技巧を披露した選手として、オールド・ファンから慕われていたパーキンス氏。
TVが白黒の時代に全盛を過ごした選手だが、今ならYoutubeで見れるんでしょうな。

エディ・パーキンス氏の御冥福をお祈りいたします。

ジョニー・タピア死去

2012年06月01日 | ボクシング
5/27、ニューメキシコ州アルバカーキの自宅で死亡しているのが発見されたそうな。

3階級制覇のジョニー・タピア、少し前もセコンドとしてリングに姿を見せていたから
「元気にしてそうだなぁ」と思ったものだが
まさか、急死してしまうとは・・・。

死因は不明だが、地元警察は事件性は否定している模様。

タピア氏は67年にアルバカーキで誕生、誕生前に父親は射殺されており、
母親も幼少時に殺害されるというハードな生い立ちを経験している。

80年代前半にアマチュア・ボクシングでデビュー。米国内のタイトルを獲得した後、
88年にプロ・デビューを果たした。

95年にスーパーフライ級王座を獲得したのを皮切りに、バンタム・フェザー級も奪取して3階級制覇を実現。

全身に刺青をほどこし、エキセントリックな表情を見せる個性派だったが
ボクシングは真っ当で、「ここと言うときに見せる高速連打」に狂気の片鱗が見えるくらいだった。
ラウンド終了後に相手とやりあうシーンもあったが、あれも演技に見えた。

一発で倒す強打者ではないゆえに、客に魅せる自己演出は常に考えていたような。

ホープ時代に薬物使用でサスペンドされたり、2007年にはコカインの過剰摂取で意識不明になってアルバカーキの病院に入院するなどクスリとの縁は続いた。

それが今回の逝去に繋がったかはハッキリしていないが
やはり享年46歳とは早すぎる。


同時期に活躍したアルツロ・ガッティも2009年7月に旅行先のブラジルで亡くなってるし
寂しいねぇ。

レスト・イン・ピース
安らかにお休み下さい・・・。