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あるBOX(改)

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訃報:埼玉セントラルジム 田中富士夫会長

2013年05月15日 | ボクシング
また昭和のボクシング人が亡くなってしまいました。

埼玉セントラルボクシングジムの・・・というか
我々には「埼玉中央ジム会長」で馴染み深かった田中富士夫氏が逝去されておりました。

これまた些か旧聞に属する話ですが
3月5日午前のこと、腎不全のため亡くなったそうです。享年76歳。



芦沢清一さんがBoxing.jpに残した記事によると
リキジムのトレーナーから独立して、田中会長が蕨市役所の近くにジムを建てたのは、昭和43年(1968)年だそうで。

ジムが脚光を浴びたのは、1970年代。
女性ボクサーの高槻正子さんが、プロ興行のスパーで男子顔負けの技量を披露したため。
もちろん女子のプロボクサーは国内では認められておらず、肩書きは埼玉中央ジムのトレーナー。

後楽園ホールで男子相手にエキシビションで喝采を浴びたが、女子の対戦相手は居ない。
よってアメリカにも渡り、日本人プロ第1号としてリングに上がっていたそうな。

国内興行の合間で行った男子ボクサー相手のスパーリングも、高槻さんの技量が受けて、プロモーターから好評。
出場機会に恵まれ、スポーツ紙やテレビでも騒がれて、時の人に。
当然ギャラも発生するから、マネージャーの田中会長も一時期は羽振りが良かったそうな。

男子選手では
92年、横田浩一を擁して吉野弘幸の日本ウェルター級王座に挑戦したが、10R判定に退いた。
拳を痛めていた吉野に横田は大善戦。
個人的にはアウトボックスした横田が勝ったと思ったが、決め手不足の感もあった。



同年11月には、やはり吉野に挑戦して倒された佐藤仁徳(仙台)と対戦して
3RKOを喫したから、横田というか埼玉中央ジムとしては
吉野戦が、最もチャンスだっただろう。

タイコー小林ジム・小林弘会長の秘蔵っ子と言われた坂口俊雄から
見事な左フックでダウンを奪って判定勝ちし、上位を見据えた横田だったが、
佐藤仁徳と堀内稔に倒されて それも叶わず。

埼玉中央ジムに日本王者誕生とはならなかった。

それでも、森田一義的というか、荒木経惟的な風貌で 選手に熱血指示を送る田中会長は味出しまくりで
日本には決して大手のジムだけじゃなく、地方に密着して青少年たちと交流し、
日本チャンピオンを育てようと努力しているジムが沢山あるんだよな・・・と

改めて教えてくれたのが田中富士夫会長だった気がします。

心より御冥福をお祈りいたします。