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JPBA、具志堅用高氏の“世界殿堂”入り推薦へ

2013年05月21日 | ボクシング
私が子連れで「大泉学園だ」「アニメの聖地だ」「プリキュアショーだ」と喜んでいた頃
後楽園ホールでは「ボクシングの日(2013年5月19日)」のイベントが行われていたのでした。

ああ、またしても。
リアルタイムの拳闘ファン失格。

先日の記事で地方ジム選手を思い出そうとしても
福岡帝拳の選手は、まず寺本勇だったもんな。

パンサー柳田と北島桃太郎は「最近の選手」として逆に浮かばなかったもんな。
(現地で生観戦してないって事もあるが)


・・・で
ボクシングの日のファン感謝イベントは「オークション」など、歴代世界王者とファンの交流の催しが行われたそうな。

ガッツ石松氏、具志堅用高氏、輪島功一氏、浜田剛史氏ら元世界王者、内山高志、山中慎介ら現役世界王者ら計37人が一堂に会したリング上のスポーツ紙の写真は壮観

その中で、日本プロボクシング協会の大橋秀行会長は、日本人最多の13連続防衛の記録を持つ元WBA世界ライトフライ級王者の具志堅用高氏(57才)について「世界殿堂入りを推薦したい」と話したという。



「国際ボクシング名誉の殿堂博物館」殿堂入り。

同殿堂入りした日本人は、世界2階級制覇のファイティング原田氏、マッチメーカーのジョー小泉氏、本田明彦・帝拳ジム会長の3人。
個人的には関係者が3分の2を占める状況は寂しい。
やはり本来の主役は選手なのだから。

大橋会長は推薦の理由として、
「親交のある韓国の(世界王座15連続防衛)張正九さんと(同17連続防衛)柳明佑さんが殿堂入りしたのだが、2人から『具志堅さんが入ってないのはおかしい』と指摘されたので、行動を起こすことにした」と説明したとのこと。

張が具志堅の記録を超えた時の喜びは大変なものだったらしく、
それは同級の連続防衛記録を持っていた具志堅さんの偉大さの表れとも言え、

同じアジアのカオサイ・ギャラクシーも殿堂入りしているのだから、やはり「具志堅も」と思うのは当然だと思いますよ。
もう「ジュニア・クラスだから」とか言う人も減ったでしょうし。

大橋秀行氏個人も、具志堅全盛期には少年だった世代。
具志堅がリオス、マルカノを倒す姿に熱狂したのは間違いない。
※今から思うと初防衛と、2度目の防衛戦で
 両者とそれぞれ15R戦って「判定勝ち」したのが、逆に凄いと思いますが



私などは、サルディバルやビラフロアを破り、2階級制覇を果たした柴田国明氏も殿堂入りに値する人だと思うが、
大橋会長からするとヨネクラジムの先輩だけに言いづらいトコロがあるかも知れない。

さらに、大橋×具志堅といえば
以前、JPBA協会長選を争った事もあり、そこで勝った大橋会長が現在やり手として活躍しているから
まぁ、雪解け(?)という意味でも心温まる話ではあります。

つ~か、日本ボクシングの権威向上を狙っての事だろうが、

今回「具志堅、殿堂入り」を要望する書簡を送るという話だから、これを実現させて
ぜひ柴田国明の推薦をお願いしたいトコロであります。

あと、引退後の事件とかに寛容な(?)外国の団体ですからね、「世界殿堂」は。

おそらく日本では永遠に表舞台に出られないJバンタム級最高のボクサー「あのお方」を殿堂入りさせるという、
「ウルトラC」も可能かも知れません。

※殿堂入りは「選手としての偉大さ」と「第二の人生での出来事」を
  完全に切り離してますからねぇ。
  そういう身も蓋もないトコロは、さすが米国って気もしますねぇ。

暗躍が好きそうな大橋会長だから、それくらい有り得るかも知れません。

つ~か、色々と「やりたがり」な大橋会長なのですから
いっそ、それくらい突拍子の無い事にトライしてみて下さい。

追悼:イエスの初代ギタリスト=ピーター・バンクス

2013年05月21日 | 英国ロック
イエスのオリジナル・ギタリストのピーター・バンクスが逝去された。
享年65歳。

これまた旧聞に属する話です。
ピーターは3月7日に自宅で心臓発作のため亡くなったとのこと。
参加する筈だったレコーディング・セッションに現れなかったため、様子を見に行ったところ、自宅で息を引き取っている姿が発見されたという。

ブログにUPしなきゃなぁ・・・と思いつつ、やはり訃報は気が重く、他のネタを書いてる間に日にちが経ってしまった。

イエスのギタリストと言えば、皆スティーヴ・ハウを連想するが
ピーターさんも、なかなか格好良かったですよ。

ベースのクリス・スクワイアとともにイエスの前身となったバンドに在籍したバンクス、
ジョン・アンダーソンやビル・ブラッフォードの参加を得て、ついに1968年「イエス」を結成。



69年の『イエス・ファースト・アルバム』を発表。
後のプログレ路線の発芽を感じさせる曲やフォーク調の曲、カバー曲など様々な可能性を感じさえる1枚に、
将来の大物バンドとの期待が掛けられた。



そして、70年のセカンド「時間と言葉」制作にも参加。
「No Opportunity Necessary,No Experience Needed (おれ達にはチャンスも経験もいらない」での見事なワウ・ギターは
クリス・スクワイヤのベースとタメを張る疾走感あり・・・だ!



※動画は独ロック・ライヴ番組「ビート・クラブ」の
 「No Opportunity Necessary,No Experience Needed」
  バンクスさんのアクションには結構P・タウンゼントの影響が見えます



「時間と言葉」はオーケストラの導入などあって、意欲作とも言われたが
グループの方向性を巡る意見の食い違いから、
バンクスはセカンド・アルバムのリリース前に脱退。



その後、バンクスは自らリーダーとなるバンド=フラッシュを結成。
1972年から『フラッシュ』『イン・ザ・キャン』『アウト・オブ・アワ・ハンズ』を立て続けにリリース。
初期イエスに通じる疾走感溢れる楽曲にニヤリとさせられたファンも多かった。
※逆にイエスとの相似性から抜けられなかった悲劇もあったが・・・



ジャケット・デザインはヒプノシスですよ。
※ヒラっと捲れたスカート裾から見れるパンチィ様と おヒップ様のラインが印象深い。
  外人さんのだから、そんなにエロく見えないのも
  我々からしたらグッドですよねぇ。

その後はソロ・アルバムもリリースしているバンクスだが、近年は自伝やフラッシュのライヴ・アルバム制作に着手していた模様。

イエスからもバンクス訃報に対して声明が発表されたが。
やはりバンドの原型を作った功績は讃えられて然るべきだろう。

ピーター・バンクス氏のご冥福をお祈りいたします。