ロックバンド「ドアーズ」のオルガン奏者レイ・マンザレク氏までが亡くなってしまった・・・。
まぁ、年齢で言えば74才だから、普通に病死されても不思議じゃない年だが
それでも寂しい・・・。
亡くなったのは5月20日。
胆管がんのため独ローゼンハイムの病院で亡くなったとの事。
※上の画像はドアーズのグループフォト。
右前の金髪サングラスがマンザレクさん。知的ムード醸し出してるねぇ・・・。
米ロックバンド「ドアーズ」の創設メンバー、レイ・マンザレクは米シカゴ生まれで
カリフォルニア大ロサンゼルス校の映画専攻の学生時代にジム・モリソンらと出会い、芸術的趣向で意気投合。
1965年にドアーズを結成し、キーボード奏者として「ジ・エンド」「ハートに火をつけて」「タッチ・ミー」「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」などヒット曲を送り出した。
※ただし、「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」はキンクスの曲と酷似しているとして物議を醸した
71年にモリソンが急逝、ロビー・クリーガー(g)とジョン・デンズモア(d)とトリオでドアーズを続けたが、モリソンの抜けた穴は大きく、72年にアルバムを発売したのち解散した。
解散後はソロ活動や自叙伝・小説の執筆、映画製作を重ねたが
2002年に、ザ・カルトのイアン・アシュトベリーをヴォーカリストに迎え「21世紀のドアーズ」として活動を開始。
「21tsセンチュリー・ドアーズ」は、2003年のサマーソニックで来日してるから、
今にして思えば、行けば良かったなぁ・・・。
マンザレクさんのオルガン聴けるだけでも儲けものだったんだよなぁ・・・。
ベースレスで、それをキーボードの低音で補うスタイルは独特で、
しかも「ジ・エンド」なんてギターがシタール的な音色を出して延々とモリソンの独白を盛り上げるから、その世界の独自性は凄まじかった。
あとは「ライト・マイ・ファイア」ですよ。
あのオルガン・リフですよ。最初も最後もアレで決まりですよ。
ジム・モリソンのカリスマ性(ステージでアレを露出して逮捕されるなんちゅうスキャンダラス性)も凄かったが。
やっぱり「曲」が良くなければ売れません。
それを担ったのは「インテリ然」としたマンザレクさんです。
60年代後半から70年代初旬のロック界を担ったドアーズ。
その中心人物の一人、マンザレクさんの功績は永遠に讃えられるでしょう。
レイ・マンザレク氏のご冥福をお祈りいたします。
まぁ、年齢で言えば74才だから、普通に病死されても不思議じゃない年だが
それでも寂しい・・・。
亡くなったのは5月20日。
胆管がんのため独ローゼンハイムの病院で亡くなったとの事。
※上の画像はドアーズのグループフォト。
右前の金髪サングラスがマンザレクさん。知的ムード醸し出してるねぇ・・・。
米ロックバンド「ドアーズ」の創設メンバー、レイ・マンザレクは米シカゴ生まれで
カリフォルニア大ロサンゼルス校の映画専攻の学生時代にジム・モリソンらと出会い、芸術的趣向で意気投合。
1965年にドアーズを結成し、キーボード奏者として「ジ・エンド」「ハートに火をつけて」「タッチ・ミー」「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」などヒット曲を送り出した。
※ただし、「ハロー・アイ・ラヴ・ユー」はキンクスの曲と酷似しているとして物議を醸した
71年にモリソンが急逝、ロビー・クリーガー(g)とジョン・デンズモア(d)とトリオでドアーズを続けたが、モリソンの抜けた穴は大きく、72年にアルバムを発売したのち解散した。
解散後はソロ活動や自叙伝・小説の執筆、映画製作を重ねたが
2002年に、ザ・カルトのイアン・アシュトベリーをヴォーカリストに迎え「21世紀のドアーズ」として活動を開始。
「21tsセンチュリー・ドアーズ」は、2003年のサマーソニックで来日してるから、
今にして思えば、行けば良かったなぁ・・・。
マンザレクさんのオルガン聴けるだけでも儲けものだったんだよなぁ・・・。
ベースレスで、それをキーボードの低音で補うスタイルは独特で、
しかも「ジ・エンド」なんてギターがシタール的な音色を出して延々とモリソンの独白を盛り上げるから、その世界の独自性は凄まじかった。
あとは「ライト・マイ・ファイア」ですよ。
あのオルガン・リフですよ。最初も最後もアレで決まりですよ。
ジム・モリソンのカリスマ性(ステージでアレを露出して逮捕されるなんちゅうスキャンダラス性)も凄かったが。
やっぱり「曲」が良くなければ売れません。
それを担ったのは「インテリ然」としたマンザレクさんです。
60年代後半から70年代初旬のロック界を担ったドアーズ。
その中心人物の一人、マンザレクさんの功績は永遠に讃えられるでしょう。
レイ・マンザレク氏のご冥福をお祈りいたします。