都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

高輪3丁目の洋館

2024-06-24 | 港区   
高輪3丁目の洋館
所在地:港区 高輪3-4-10
構造・階数:木・2
建設年:?
解体年:2010(平成22)
Photo 2006.3.5

 桜田通りから東に入った場所にあった洋館付き住宅。住宅地図等を見ても詳細はよく判らなかったが、1990年代以降は貿易関連の会社として使われていたもののようだった。

 急傾斜の屋根と上げ下げ窓が印象的。洋風なのは写真の部分だけで、左側の奥まった部分は少し新しめの普通の2階屋だった。

 1階の窓は少し張り出したベイウィンドウ。

Tokyo Lost Architecture  
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とらや(高輪虎屋)

2024-06-21 | 港区   
とらや(高輪虎屋)
所在地:港区 高輪1-20-8
構造・階数:木?・3
建設年:1925(大正14)頃
解体年:2022(令和4)
備考 :1949(昭和24)創業、1955(昭和30)頃改築
Photo 2006.11.5

 赤坂の「虎屋」と同名だが別の和菓子店。角地に建っていた白壁の3階建てで、城の櫓のような雰囲気もある建物だった。

 1階の庇は銅板の本瓦葺き。2階の庇と3階の屋根は以前は瓦葺き(写真1、3枚目)だったが、2006〜08年に金属板葺きに換えられた。また、北側部分は切妻屋根で銅板葺き


 Photo 2008.9.27

 Googleストリートビューで見ると、2009年時点では営業していたが、2013年以降の画像ではシャッターが閉まっており、その頃から長期に渡って休業していたようだ。


 Photo 2006.11.5

 高輪・二本榎通りにある印象的な建物だったが、残念ながら2022年に解体された。

ノスタルジ野とらや
【とらや】〜港区のレトロな和建築 - 港区
高輪にある虎屋、取り壊し。│高輪ライフ

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旧渡辺甚吉邸

2024-06-18 | 港区   
旧渡辺甚吉邸(旧ラオス大使公邸、旧スリランカ大使公邸ほか)
所在地:港区 白金台4-19-10
構造・階数:木・2+R
設計 :遠藤健三、今和次郎、山本拙郎
建設年:1934(昭和9)
解体年:2018(平成30)
備考 :2022(令和4)に取手市に移築完成。国登録有形文化財
Photo 2017.1.10

 白金台にあった旧渡辺甚吉邸は2018年に解体されたが、その後、取手市内に移築された。もともとの所在地で残せなかったのは残念だが、東京の現状などを考えると移築であっても残らないよりはましで、残ったのは良かったことだ。

 建物は岐阜の名家、渡辺家の当主、甚吉の私邸として建てられたもの。渡辺甚吉は実施設計を行った遠藤健三を伴ってヨーロッパに赴き、その体験からチューダー様式でこの住宅を建てたという。全体計画は洋風住宅を手掛けていた「あめりか屋」の技師長・山本拙郎、また、内部の装飾類は考現学で知られる今和次郎がデザインしたものという。

 戦後は米軍が接収、渡辺家に返還された後はラオス大使公邸やスリランカ大使公邸として利用され、更に2010年からは結婚式場「白金甚夢迎賓館」としても使用されていた。

 塀や1階部分の壁は鉄平石を積んだもので、都内に残る洋館の外壁としては珍しいものだった。2階、屋根小屋部分はハーフティンバーで、チューダー様式の田舎家の雰囲気。

 正門左側の平屋は車庫だったものだそうだ。

 都内に現存していた頃は内部を見学する機会がほぼなかったが、移築後の現在はときどき見学会が行われており、他のサイトには現状や内部の様子も掲載されている。また、移築作業を行った前田建設によるレポートも見ることができる。

旧渡辺甚吉邸主屋 文化遺産オンライン
旧渡辺甚吉邸移築活用プロジェクト|Construction REPORT|実績・事例|前田建設工業株式会社
奇跡の住宅- 旧渡辺甚吉邸と室内装飾- | LIXILギャラリー | LIXIL文化活動 - LIVING CULTURE
旧渡辺甚吉邸(東京) : 洋館探訪ブログ
思いつくまま 第845回・旧渡辺甚吉邸
Anthology -記憶の記録-
 − 取手市のお散歩2023 その3その4その5

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#失われた建物 港区 #移築保存 #洋館・洋風住宅 #国登録有形文化財 
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キクヤレストラン

2024-06-15 | 港区   
キクヤレストラン
所在地:港区 芝浦1-4
構造・階数:木・2
建設年:1946(昭和21)?
解体年:2007(平成19)
Photo 2003.5.8

 第一京浜の芝4丁目の交差点からJRをくぐって海側に行ったところにあった建物。木造モルタル2階建てのいわゆる看板建築だったが、2007年に解体されて4階建てのビルに建て替えられた。レストランは現在もその新しいビルで営業を続けている。

 キクヤレストラン周辺。写真右側がキクヤレストラン。中央は喫茶さんぼるがある5階建てビルで、この建物は現存している。左は1990年代半ばまで歯科医院(岡本歯科)だったもの。この後、歯科医院は廃業したようで、しばらくすると建物もなくなり、現在は駐車場になっている。

キクヤレストラン解体前日 : やっとかめ どっとこむ

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#失われた建物 港区 #看板建築 #モルタル看板建築 
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麻布郵便局(旧逓信省貯金局、旧郵政省)

2024-06-12 | 港区   
麻布郵便局(旧逓信省貯金局・旧郵政省)
所在地:港区 麻布台1-6-19
構造・階数:RC・4+B1
建設年:1930(昭和5)
解体年:2019(平成31)
Photo 1995.5.27

 外苑東通りに面して建っていた大型の近代建築。六本木交差点から飯倉交差点へ向かうと、右側にロシア大使館、左側にこの建物があった。

 逓信省貯金局の建物として建てられたもので、シンメトリーで両翼が張り出した堂々とした庁舎建築だった。80年代に改修されたそうなので、本ページの写真は全てその改修後のもの。昭和初期の建物でアールデコ風のデザインが所々に見られた。

 建物は戦時中から様々に名を変えながら使われてきた。1943(昭和18)年には運輸通信省通信院の本庁舎、戦後の1946(昭和21)年には逓信省、1949(昭和24)年からは郵政省の本庁舎になった。本庁舎が1969(昭和44)年に霞が関に移ると、以降は郵政省の飯倉分館となった。更に2007(平成19)年に郵政省が民営化されると「日本郵政グループ飯倉ビル」と名を変えた。


 外苑東通り・ロシア大使館前付近から  Photo 2017.10.2


 正面中央  Photo 2018.12.13

 90年代までは中央の時計が動いていたが、2000年代頃になると針が取り外されて機能していなかった。


 我善坊谷を挟んで局舎北西側から  Photo 2018.12.13

 虎ノ門・麻布台地区の再開発が行われることになり、日本郵政もこれに参加したため、この立派な庁舎建築も残念ながら解体された。その後、ほぼ同じ位置に約330mの高さの超高層ビル、麻布台ヒルズ 森JPタワーが2023年に完成している。

貯金局 全景 文化遺産オンライン
逓信省 - Wikipedia
麻布郵便局/麻布台1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
思いつくまま 第835回・旧逓信省貯金局庁舎

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旧 六本木プリンスホテル

2022-05-14 | 港区   
六本木プリンスホテル/ホテルヴィラフォンテーヌ六本木アネックス
所在地:港区 六本木3-2-7
構造・階数:SRC・9
設計 :黒川紀章
建設年:1984(昭和59)
解体年:2012(平成24)
Photo 2007.2.11

 バブル期の直前ないしは、バブル期の初めに造られたシティホテル。
 ロの字型の平面で、中庭にプールがあったことで知られた。プールの水面が高く設定され、側面の一部がアクリルガラス製で、泳ぐ人が横から見えると評判だった。

 このホテルが人気だった当時、私自身は学生だったので、ここには全く縁がなく、結局、建物内にも入らずじまいに終わってしまった。 プリンスホテルとしての営業時にいちど訪れておけばよかったと時々思う。

 六本木プリンスホテルとしては2006年12月末に営業終了し、住友不動産に売却された。その後、ホテルヴィラフォンテーヌ六本木ANNEXとして期間限定で営業したが、これも2011年11月に閉館した。

 写真は、ホテルヴィラフォンテーヌ アネックスだった頃のもの。後方に見えている日本IBM本社と合わせて再開発され、住友不動産六本木グランドタワーが2016年秋に完成している。

 内部空間は面白い作りになっていたようだが、外観はモダニズムの箱型で、横連窓はオフィスビルのようにも見えた。窓ガラスと壁面が同一のいわゆるツライチ。最上階の上部の壁面が薄くシャープな印象ではあるが、外観上は正直言ってあまり特徴はない。時期的にはポストモダン建築が多く建てられるようになった頃だが、その外観は無駄のないデザインだった。まあ、タクシーや車で乗り付けるならば、 外観はどうでもいいともいえるが・・・。
 ポストモダン的な遊び心のあるデザインは、やはり中庭のプールまわりだったのだろう。今にして思えば、この建物を表すには、中庭空間とプールが写った写真を用いないとあまり意味がないのかもしれない。

六本木プリンスホテル - Wikipedia
六本木プリンスホテル
旧六本木プリンスホテルが解体へ | kinoiekoubou日誌

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日進畜産本店

2022-04-12 | 港区   
日進畜産本店
所在地:港区 東麻布2-34
構造・階数:木・2
解体年:1995〜97(平成7〜9)
Photo 1995.2.5

 日進ハムで知られる日進畜産工業株式会社は、1916(大正5)年創業の老舗。
 ハーフティンバー風の大型洋風2階建てのこの建物は、同社の本店だったもの。写真の1、2年後に解体され、跡地には日進ワールドデリカテッセンが1998(平成10)年にオープンした。

 写真後方の高架は首都高速都心環状線で、店舗は環状三号線の南側、古川と首都高速の間の敷地に建っていた。なお、日進ワールドデリカテッセンも現在は環状三号線の北側(東麻布2-32)に移転している。

 2階庇の上には「日進 Nissin 畜産 Meat Shop」の文字が壁面に張り付けられており、また2階庇には白字で「MEAT RUSH AZABU GARDEN」と書かれている。一方、1階庇の上には「本場 出世牛 特選肉 純欧風 高級趣味のハム」の文字が壁面に付けられ、また1階庇にも白字で「MEAT RUSH OUTLET STRIKE GOLD ! WHOLESALE PRICES」と書かれている。「出世牛」というのは聞いたことがない言い方でちょっとおもしろい(現在はこの言い方は用いていないようだ。)。

日進畜産工業株式会社<日進ハム>

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巴歯科+T邸

2022-04-09 | 港区   
巴歯科+T邸
所在地:港区 虎ノ門3-16-5
構造・階数:木・2
解体年:2021(令和3)
Photo 2008.5.21

 左右対称で出窓がある洋風2階建て。中央に2ヶ所玄関扉があるのでメゾネット形式だったのかもしれない。かつては歯科と住宅だったそうだが、私が撮った頃には既に廃業していてどちらが歯科だったのかは分からず。昔の住宅地図等によれば、歯科があったのは1960年頃から2004年頃までだったようだ。

 少し前までは高齢の女性が玄関先の植木の手入れをしたりしていたが、昨年取り壊されたという(SNS情報による。現地は未確認)。

虎ノ門の古いメゾネット 港区虎ノ門 - 東京ノスタルジア
虎ノ門のモダンアパート

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日本水難救済会/芙蓉海洋開発

2022-04-06 | 港区   
芙蓉海洋開発
所在地:港区 海岸3-33-17
構造・階数:RC・3+R2
建設年:1937〜44(昭和12〜19)頃
解体年:2013(平成25)頃
Photo 2011.4.11

 レインボーブリッジそばの海沿いにあった古そうな建物。撮影時は芙蓉海洋開発という会社が使用していた。ドラマのロケ地にもなったりしていたようだが、日本近代建築総覧にも載っておらず、やや謎めいた建物だった。

 いつ頃建てられたものか、また当初の用途もよく分からない。以下は古い住宅地図や航空写真などで調べた範囲で判明した事柄。

 1936(昭和11)年9月12日撮影の陸軍航空写真には写っていない。
 1944(昭和19)年10月16日撮影の陸軍航空写真にはこの建物らしきものが写っている。
 1946(昭和21)年4月9日撮影の米軍航空写真にも写っている。

 上記のことから、この建物は1937〜44年頃に建てられたものらしい。塔屋最上部の壁には「東京救□所」(4文字目は判別できず)の文字が右から左に書かれている。

 一方、建物の用途については、当初や戦後しばらくの用途を記した詳細な地図資料が見当たらなかった。このエリアは戦前・戦後の火災保険特殊地図も残っていない。
 ただ、この少し北側エリアの火災保険特殊地図(1954(昭和29)年3月作成)があり、この周辺の港湾エリア(芝浦埠頭周辺)は「駐留軍用地」と記されている。この建物も向こう側が海なので、戦後は恐らく駐留軍(GHQ)が使用していたのではないかと思われる。同地図では駐留軍用地がフェンスで囲まれ、ところどころにゲートがあったらしいこともわかる。

 建物の東側壁面(2枚目写真)の2階と3階の間には「PORT DIRECTOR TOKYO」の文字がうっすら残っていた。港湾局(もしくは港湾局長)を意味するようで、駐留軍利用時の状況を示す痕跡だったのかもしれない。

 GHQは1952(昭和27)年に廃止されたので、この地域もその後返還されたのではないかと思うが、1960年代頃の用途は把握できず。

 都立中央図書館でゼンリンの住宅地図をおよそ10年おきに確認してみたところ、1973年と1981年には、「日本水難救済会」と記されている。公益社団法人日本水難救済会は「海や海浜での遭難者や船舶などを救助するボランティアの団体の全国法人」だそうで、現在は千代田区麴町に所在している。1889(明治22)年に大日本帝国水難救済会として設立された歴史のある組織なので、この建物がその本部だとはちょっと考えにくく、なんらかの出先だったのではないだろうか。

 また、1992年の住宅地図には、東京情報安全管理室芝浦分室、首都高速道路技術センターと記されている。
 東京情報安全管理室は、現在は東京湾海難防止協会になっている組織。上記の日本水難救済会とは異なるが、共に海の安全に関わるもののようで、なんらかの関連はあるのかもしれない。
 首都高速関連のオフィスについては、この時期、南側の海上でレインボーブリッジが建設中(1987年着工、1993年完成)だったので、それと関連があるのかもしれない。

 2001年の住宅地図では芙蓉海洋開発(株)。Google ストリートビューで確認したところ、この建物は2013年頃に解体されたようなので、同社は解体前までここを利用していたようだ。

 なお、跡地には東京ベイサイドビル(RC造・6F)が、2015年5月に竣工している。

日本水難救済会 - Wikipedia
海洋エンジニアリング(旧 芙蓉海洋開発株式会社) - Wikipedia

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ハウスオブロータス・上田邸

2021-10-18 | 港区   
ハウスオブロータス
所在地:港区 元麻布2-11
階数 :2
設計 :白鳳社建築工務所
建設年:1939(昭和14)以前
解体年:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2005.5.14

 スペイン瓦屋根のスパニッシュスタイルの洋館。1977年の住宅地図では、U.B.House ABBOTTと記載されており、もともとは外国の方が居住していたようだ。

 1990年代からは、写真家の上田義彦氏と妻の桐島かれん氏一家が居住していたそうだ。1997年の住宅地図ではウエダと記されている。一家は後に別の場所に引っ越したが、2000年代にはハウスオブロータスという名で、アジア民芸などを時折販売する店を桐島かれん氏が開いていた。


 Photo 2005.5.14

 日本近代建築総覧では、竣工時期が1939(昭和14)年以前とだけ記されている。ただ下記リンク先の桐島氏による記述では、「当時で築80年は経っていたでしょうか。昭和初期に建てられた美しい洋館・・」とあるので、昭和初期の建物だったのかもしれない。


 Photo 2011.3.29

 最終的になんらかの事情で建物・敷地は売却され、残念ながら建物は解体された。ただ、2020年時点でも新しい建物は建てられておらず、跡地はコインパーキングとなっている。

港区 - 東日本 近代建築万華鏡
信濃町~麻布十番: 雅万歩
物がたりのはじまり | 桐島かれん Web Magazine “Love of Life”

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2021.10.19 追記
 本記事掲載後、この建物は戦後の占領期にGHQに接収されていた住宅(House#134)だった、との情報を頂きました。

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