1年近く前のことを蔵出し。久々に静岡市の中心部を歩いた際のこと。Photo 2009.2.8
大学生になって車に乗るようになってから、中心部を散歩することが少なくなっていたので、しばらくぶりに歩いてみると、いろいろ発見があった。
駿府公園 二ノ丸東御門(左側)と巽櫓(右側)、復元された中堀
車だとつい行かなくなる駿府公園を歩く。小さな頃は父母に連れられて遊びに行ったりもしていた。お濠端の小中学校に通っていた頃は、授業などでも訪れたし放課後に遊びに行ったりもしていた。中学時代は友人とお濠端一周自転車レースなどという、今にして思えばずいぶん危ないこともしていた。
昔はお城の建物は一切なかったのだが、大学生になった頃に巽櫓が完成(1989)し、その後、二ノ丸東御門や橋も復元(1996)された。久しぶりに行ってみたら、野球場の跡に以前はなかった庭園・茶室(駿府公園 紅葉山庭園)などが整備され(2001完成)、内堀も部分的に発掘復元されていた。更に現在は西南の角にあったテニスコート?周辺が整備中で、将来はこちらにも坤櫓(ひつじさるやぐら)が復元されるらしい。家康の居城だった時代もあるのに全く建物がないのもちょっと寂しいので、少しずつ写真写りのするものが出来てくるのはいいなぁと、とりあえず思う。
これら駿府公園の整備は実はH3年(1991)に立案された駿府公園基本計画及び基本設計に基づいているようだ。当初は10年で整備する予定だったようだが、公園関連予算があまりないのか、また発掘調査や石垣の組み直しなどもした上での作業のためか、よく知らないが、かなり時間が掛かっている。5工区に分けて徐々に整備を行っているが、まだ進捗率は40%なのだとか。なかなか整備が進まないのは少々残念だ。
駿府公園に関してはこの整備事業とは別に天守閣の再建などという議論もあるようだ。だがこのご時世に数億のお金を集めるのは大変だし、街中の商店主の思惑などもちらついて税金の投入には疑問がある。しかも天守は江戸時代の内でも最初の頃にしか無かったようだ。これは江戸城に天守がないのと状況が似ているが、その話はまた別の機会に譲る。
私が少年期に体験した駿府公園は濠と石垣に囲まれた都市公園としてのものだった。歴史的な雰囲気を漂わせるようになった状況に少々驚きつつ、ぶらぶら歩いていたら、懐かしい物件を発見。
らせん型すべり台
このすべり台は、私の小さい頃からあるものだ。公園内がいろいろ整備されて、かなり変貌する中、40年近く前のすべり台がまだあるとは思わなかった。中を上っててっぺんに行く時、垂直に近いはしごをよじ登るのがちょっとだけ怖かった記憶が甦る。
駿府公園 中堀石垣裏の斜面
すべり台の近くの石垣には、小さい頃からずっと立入禁止のままの場所も残っていた。石垣の上部に上る階段(右)とコンクリートに石を埋め込んだ斜面(左)がある。たしか斜面を下るすべり台もあったのだが、階段を上りきるとすぐにお堀の石垣の上で、ここからお堀に転落した事故があったとか、そのすべり台で事故があったから立入禁止になったという話を聞いたことがある。真相はよく知らないが、幼稚園の頃に遊べた場所は小学生の頃には使えなくなり、40年近くそのままになっている。
徐々に整備が進んで様子が変わる一方で、なにも変わっていないところもある駿府公園なのだった。
この散歩の半年後、2009年8月11日に地震があり、駿府城の石垣は数ヶ所で崩落してしまった。石垣の修復工事は来年以降に行われるようだ。
この項、もうちょっとだけつづく。
静岡市 > 駿府城跡 Wikipedia > 駿府城
静岡の街並み
#古い建物 静岡県 #街並み 静岡県 #公園