芝丸山古墳
所在地:港区芝公園4-8 Google Map
Photo 2011.2.2
Wikiを見たら、明治期に坪井正五郎という自然人類学者が、丸山と呼ばれたこの丘が自然地形ではなさそうだということに気付いたことから、古墳だったらしいことが明らかになったとあった。
周囲にいろいろな建物が建ってしまって地形の全体像が分かりにくい現在では、風景からこれが自然地形ではないと気付くのは、なかなか難しいことのように思われる。もちろん、現代には詳細な測量地図があるので、それを見ればここが確かに妙な高みになっていることには気付くかもしれない。また、前方後円墳なのだと知っていれば、そのようにも見えないことはない。だが、ふだんなにげなく見ている丘を見て、古墳ではないかと気付くのには、やはりかなりの観察力や知識、洞察力が必要なのだろうなぁと思う。
そういえば、大森貝塚を1877年に発見したエドワード・S・モースのエピソードもこれに似た話かもしれない。モースは1872年に開通した横浜~新橋間の鉄道に乗っていて、車窓風景から貝塚を見つけたのだそうだ。研究者というものには「気づく力」も必要なのであるな・・・。
さて、現地に行ってみると、台地の端の部分に周囲よりもやや高く、盛り土されたと思しき馬の背のような前方部があり、北側には更に一段高い後円部があることが比較的明瞭にわかる。明治時代以前に既に後円部の頂部などは削られてしまっていたと言われ、畿内地方の著名な古墳のようなはっきりした形ではない。だがそれでも、東京都心に長さ100m以上に及ぶ前方後円墳が残っているのは、とても印象深いことだ。
Wikipedia > 芝丸山古墳
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