都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

SCが原風景

2012-12-18 | Weblog 

 デジタルネイティブという言葉はよく使われる。生まれながらにしてデジタル製品があり、デジタルコミュニケーションに慣れた人たちのことという。

 今回、自分の街に必要なものを考えるレポートを課したら、それとは別のネイティブともいうべきものが明確に存在していることに改めて気付かされた。

 コンビニ、ファストフード、ショッピングモール・ショッピングセンター、ファミレス・・・。

 デジタル系より古くからあるものだが、デジタルのように急速に浸透したわけではないので、あまり気が付いていなかった。私の世代などは、そういう場所に子供を連れて行くのを親がややためらう時代だった。だから私が少年の頃から、それらはあったが、本格的に接したのはどちらかというと大人になってから。

 でも平成生まれの学生は、完全にこれらが生まれながらにして身の回りにある世代で、親も彼らが小さい頃からこれらを利用させている。高度にマニュアル化され、完全にお客様が王様の場所。現代の若者はこれがない生活は耐えられないらしい。レポートで、必要なものとしてこれらが数多く挙げられることになり、驚き、かつ落胆。それさえあれば、みたいな書き方をされると正直言ってかなり萎える。ああ、おじさん化しちゃったんだなぁと思う。私はそこまで強く欲したりしてないもん。

 確かに便利だ。私も毎日のようにコンビニは使ってる。でも実家に帰ると、それが無くても禁断症状!なんて出ない。バス停のそばに雑貨屋さんがあればまあいいか、夕方までしか開いてないけど・・・という感じ。必要なら明日買えば良いし、ちょっとぐらい我慢すれば良いんじゃないの?。

 ただ、別の見方をすると、私は東京23区内に住んでいるので、それらがない不便な生活をしばらくしていない。だから、そっち方面の欲があまりないのかもしれない。今回レポートさせた学生が住んでいるのは北関東地域が多いが、その中でも都市部ではなく農村部に住む者が意外に多い。自宅の周辺の状況をレポートさせると「何もありません」と何人もが答える。探したり考えるのが面倒だから、そう言っている面もあるので「何かはあるでしょ~」と諭してみるが、結局「いや、やっぱり何もありません。」「そんなことはないはず」の応酬になったりする。

 しかし、いわゆる大都市部のような華やかなものはありませんぜよ、という意味では的を射ているのかもしれない。だとすると、せめてコンビニがあればとか、スタバ欲しい、変な牛丼屋とかじゃなくてやっぱり吉牛があればいいな・・・とかは、ちょっと分からなくもない。華やかなるものへの根強い憧れである。そこにはもう他の種類のお店は想像の範囲にない。普通の喫茶店とか、雑貨屋さんとかはどうでもよくて、とにかくテレビでも出てくるチェーン店がいい。そして大きなショッピングモールがあれば、たぶんそれが全部入ってるから、それでいいということ。

 数年前に工場萌えでも知られる大山顕氏とお話をしていて、最近の中高生の原風景はショッピングセンターなんですよと指摘された。23区内に住んでいるとあまり気が付かないのだが、郊外生活者の購買行動の中心は、好むと好まざるに関わらず、ロードサイドショップ及びショッピングセンターに完全に移行している。子供の頃からそこに通い続ける現代の郊外居住中高生にとって、ショッピングセンター・ショッピングモールは原風景化してしまっているのだ。中心部の寂れた商店街はほとんど体験がないから、その昔の様子なんてのには当然関心がない。ショッピングセンターに昔あったアイスクリーム屋さんのこととか、後からそこにシネコンが増築されたこと、学校帰りにフードコートで同級生と長居したことが思い出。ショッピングセンターやショッピングモールは一つの街だという言い方があるが、心理的にも体験的にもそのままそうなっているということ。大きな民間事業者が、その周辺の自治体に住む人々にとっての繁華街を一手に引き受けている状態。すごいことなんだけど、なんだかおじさん的には手放しで喜べない感じ。

 自分の街に必要なもの、実はレポートの本当のねらいは、公共的な空間、ないしは共有空間の必要性や重要性、そしてデザインの重要性に気付いて欲しかったというところにある。しかしそんなものよりもまず、チェーン店だ!、という反応には参った。授業でもいろいろ話していたのだが、その結果、そんなもの最初っから関心が無く、眼中に無い学生が半数以上いた。これからを担うかもしれない若い学生にとって、都市ってその程度の期待しか持たれてないということに最近しばしば落胆している。

 100人以上の大教室で、全然言葉が言葉として意味を持って伝わっていないということにもがっかりする。言葉が空中を直線的に突き進んで、ただ壁にぶつかって減衰してるだけ。これは人数の問題でもあって、もっとゼミみたいな少人数でじっくり御説明したいなと思うことしばしば。

 あと一つ、ではどうしてそれらのお店がそこには無いのか?、ということが根本的に分かってない、もしくは分かろうとしていないのに参る。これなんか言わずもがなかと思っていたのだが、そうでもないらしい。

 スタバができれば賑わうと思うから、スタバ出店して欲しい。田んぼしかなくて夜になると人通りが少なくてさびしい。夜道は危険だからコンビニに出店して欲しい。気持ちは分かるが、そうじゃない。それは単なる無い物ねだりだ。コンビニでもスタバでも、事前にリサーチして見込みがないから出店しないのだ。たとえ出店しても上手く行かなかったから撤退したのだ。それなのに、お店が来れば賑やかになるというのは幻想。そんなことなら過疎地問題なんて今頃解消してる。

 こう書くと田舎に冷たいと思うかもしれないが、私も中途半端な田舎出身。なんとかなって欲しいとは思う。だからこそ、その考え方ではない考え方をしないとまずいよ、と言っているのだ。

 利便性が上がればたしかにそこに暮らす人は増える。だが、最初にやるべきなのはコンビニとかの誘致ではないだろう。民間事業者は需要があるところ、条件が整っているところに後から入っていく。民間事業者に需要をゼロから生みだすことを強制するのにはやや無理がある。また、コンビニとかショッピングモールの存在だけで住民が増えるわけではない。職場、交通、医療、教育、諸々の都市インフラが安定的に充実していることが住民を惹き付ける。そのへんは子供だから実感がないのかもしれない。

 最近、幼稚、幼児性という言葉が引っ掛かっている。今後、それらが無視できない状況になっていくのではないかと危惧している。快、不快だけで反応せず、ちゃんと考えられる学生になろうね。

#商業系 
コメント (4)
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