乾海苔問屋赤羽
所在地:中野区 中央4-6
構造・階数:木・2
建設年:昭和初期〜昭和30年頃
解体年:2018(平成30)
Photo 2007.3.2
中野駅南方の中野通りに面して建っていた商店。
敷地が鋭角になっているらしく建物は北側の間口が狭い。このため北側から見ると細身の建物のように見えて印象的だ。
Photo 2013.8.27
一方、南側から見ると、さほど異形の建物には見えない。1階の屋根の傾斜が2階のそれよりかなり急なのがちょっと目立つ。
Photo 2007.3.2
建物は中野通り沿いに長く、幅広の間口を見せている。
このあたりの中野通りは関東大震災前の大正時代にはまだできていなかったようだ。だがこの店舗はちゃんと中野通りに沿って建っている。従って、少なくとも中野通りが計画決定されたとき以降に建てられたものだろうと思われる。
また、この建物のある地区は第二次大戦では被災しなかった場所なので、この区間の中野通りが完成した昭和戦前期の頃に建てられた可能性もあるだろう。ただ、屋号などが分かるのは1958(昭和33)年の地図以降である。
1933 ? 「火災保険特殊地図」外形は似ているが屋号などの記載がなく判別不能
1945 非焼失地域 「東京都35区区分地図帖 戦災焼失区域表示」1947
1958 ○ 「東京都全住宅案内図帳・中野区南部」住宅協会
2018.4 ○ Google ストリートビュー
2019.3 × Google ストリートビュー
Tokyo Lost Architecture
#失われた建物 中野区 #商業系 #木造商店
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