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多町通りの看板建築
所在地:千代田区 神田須田町1-10
構造・階数:木・2/3
建設年:戦前?
解体年:2012〜13(平成24〜25)
Photo 2011.10.9
靖国通りから南に入る多町大通り沿いにあった一連の木造店舗群。これも日中の写真を撮りそびれてしまった。撮影時点で既に「建築計画のお知らせ」看板が設置されていて解体間近だった。ただ、その際はまだ詳細が決まっていなかったらしく、実際の解体は翌年以降だったようだ。
拙ブログの写真では画像が暗くてよく分からないが、下記「ぼくの近代建築コレクション」内の写真によれば、右端の「COFFEE AIKO」とその左隣、「EDWARD'S」の看板庇のある平入り2階建ての建物は、2階が銅板張りの看板建築だったようだ。「中華料理 支那」も銅板張りかトタン張りの平入り看板建築。
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銅板張りの看板建築だったなら、関東大震災後の大正末期から戦前期に建てられたものだったのかもしれない。消失前の時点の店が最初の頃からあったわけではなく、戦後の火保図や住宅地図を見ると、戦後すぐの頃はゴザ屋や菓子店だったりして、その後の様子とはかなり異なる。
一方、写真の中華料理の支那は1980年代から、またEDWARD'Sも1990年代から営業していた。右端の喫茶店AIKOは1950年代には相子という菓子店、80年代頃からは同名の喫茶店になったようで、業態は異なるがこちらは60年程度に渡って営業していたようだ。
2024.11.24 追記
下記『東京ふつうの喫茶店』によれば、喫茶店AIKOは「相子」という苗字の方が経営している店だったという。同書によれば、建物は関東大震災直後に建てられたもので、喫茶店は1954(昭和29)年に開店したという。
参考『東京ふつうの喫茶店』泉麻人 著、平凡社、2010年
支那、相子/神田須田町1丁目 - ぼくの近代建築コレクション
Tokyo Lost Architecture
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