都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

岡邸

2022-12-06 | 大田区  
岡邸
所在地:大田区 山王2-13-12
構造・階数:木・2
建設年:恐らく戦前
解体年:2013〜14(平成25〜26)
Photo 2011.2.16

 山王の住宅地、闇坂を上った先の尾根道沿いにあった洋館。
 建物は通りに対してやや斜めに建てられており、総2階建てで雁行した各部屋は南面していた。

 屋根はスレート葺き、窓枠も昔のまま木製だった。

 西側、玄関上2階の部屋は和室だったようで、ガラス窓の内側はカーテンではなく障子だった。

 建物北側の谷には大森射的場(射撃場)が東西に長く広がっていた。下記、リンク先の記事では、射的場は1937(昭和12)年に敷地の2/3を分譲しているので、その後、その分譲地に建てられたものかもしれない。だとすると昭和15年頃の建物ではないかと推察している。

 私はこの分譲の詳細は把握していない。ただ、戦前の内務省作成の1/1万地形図と戦後の国土地理院の地形図を比較してみると、その頃に宅地化されたのは射的場の北側のエリアであるらしい。また、戦前の1928〜36(昭和3〜11)年に作成された地図、つまり射的場が敷地の一部を分譲するよりも前に作成された地図にも、射的場の南側、尾根道の両側に建物が並んでいるのが見てとれる。

 というわけで、この建物がある尾根道の北側には関東大震災の頃から住宅がある程度建っていたようだ。震災直前の1916〜21(大正5〜10)年の地図にも道沿いにいくつかの建物が描かれている。

 岡邸として判別できるのは、1970年代の住宅地図以降。ただ、戦前版(1938年・昭和13年)の火災保険特殊地図には、名前の記載はないがほぼ同じ場所に同じ形の家屋が描かれている。また1936(昭和11)年頃の空中写真にも似た形の家屋が写っている。
 それ以前については情報がないので分からないが、ここまでのことからすると、この建物は震災後から昭和10年頃までの間に建てられたものではないかと思われる。震災前かどうかは分からない。

年代   状態
1936頃 たぶん○
1938  たぶん○

1950頃  ?
1978以降 ○

2013.07  ○
2014.05  ×
 資料・備考
国土地理院・空中写真 外形がほぼ同じ建物が写っている。
火災保険特殊地図
 居住者の記載はないが外形がほぼ同じ建物が記載されている。
山王地区は火災保険特殊地図の戦後版がない模様
ゼンリン住宅地図 岡邸として記載
 (都立中央図書館では大田区は1978年以降のものが閲覧可能)
Googleストリートビュー
Googleストリートビュー

 

尾根道の洋館/山王2丁目 - ぼくの近代建築コレクション

Tokyo Lost Architecture  
#失われた建物 大田区  #戸建て住宅  #洋館・洋風住宅  #近代建築 
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