都市徘徊blog

徒然まちあるき日記

旧料亭箱根

2025-02-18 | 文京区  
旧料亭箱根
所在地:文京区 本駒込5-59-10
構造・階数:木・2
建設年:戦後まもなく
解体年:2011〜12(平成23〜24)
Photo 2010.11.21

 不忍通りの北側、迷路のようにも思える一角が駒込の神明花街だった場所。戦災で大半が焼失したので界隈には戦前の建物はおそらくない。

 料亭箱根の建物も戦後まもなくのもの。1970年代まで営業していたそうだが、写真の時には既に個人宅になっていた。往時の料亭建物はこの時点で既にこの一軒だけ。従って、同地区内の他の料亭建物とは比較しようがないのだが、昔の住宅地図などから判断すると、この界隈の料亭の中では大きなものだったようだ。

 2階建てだが階高が比較的高い。部屋数も多かったのではないかと思われる。蔦が壁一面に広がっている姿が印象的。下記リンク先「古今東西舎」内の写真は私の写真より少し前のものらしく、樹木がいくつかあるが、私が訪れた時は既に伐られていた。

 なお、写真にある「近藤医院」は道を左へ行った先にあるお医者さんで、これはそこへの案内看板。


 南西側から入口付近

 駒込神明花街は1922(大正11)年に三業地の許可が下りて営業を始めた花街だそうだ。神明の名は現在の本駒込3-40にある駒込神明宮(現駒込天祖神社)から採ったもの。花街は関東大震災のあと急速に発展したそうで、『全国花街めぐり』松川二郎著には、1929(昭和4)年時点で、芸妓屋78軒、芸妓202名、幇間4名、料理屋21軒、待合67軒があったと記されているという。戦前の最盛期には芸妓が400人もいたという大きな花街だった。

 1945(昭和20)年の戦災で一帯は焼失。戦後は昭和30年頃までが最盛期で、1956(昭和31)年時点では、料亭33軒、芸妓屋22軒、芸妓53人だった。その後は次第に衰退し、1972(昭和47)年時点では、料亭9軒、芸者が約20人。昭和50年代半ばには見番もなくなったという。料亭箱根は後期まで営業していたもののひとつ。


 北東側から 手前のえんじ色の壁の建物も旧料亭箱根の一部

参考『東京 花街・粋な街』上村敏彦 著、街と暮らし社、2008

駒込(旧神明花街)かつての料亭「箱根」の建物。 - 古今東西舎

Tokyo Lost Architecture  
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