1992.10.7(Wed) Vladivostok

スヴェトランスカヤ通り・アレウツスカヤ通り交差点北東角
旧ゾロトイローグホテル (2枚の写真を接合)
建設年:1906〜1907
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アルセーニエフ歴史博物館付近はやはり賑やかだ。とりあえず人が多いので、どちらかといえば危険度は低いと考えて良く、駅周辺に比べてほっとする。今日はピロシキ売りのおばさんはいないようだった。
交差点に面した建物は皆、角地を意識したデザインが施されており、ヨーロッパ風の街路を作り出している。しかしやはりここは極東の地、ミニヨーロッパを作ってもどうしても別の物ができているように思われる。自分自身がこの時点ではヨーロッパに行ったことがなかったので、どの部分が違うのかははっきりとはわからなかったのだけれど・・・。

アレウツスカヤ通り西側の廃墟
旧ゾロトイローグホテルはこの時は廃墟状態だった。道の反対側(西側)の建物も同様に廃墟状態。しかしその後、資本主義化が進み外資の導入などもあって、街並みはきれいに改修され、この建物も保存され再度活用されるようになったと聞く。

旧ジェルジンスキークラブ (アレウツスカヤ通り側、2枚の写真を接合)
建設年:1908年

旧ジェルジンスキークラブ (フォキン通り側、2枚の写真を接合)
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私たちの間での呼称「ARE10」の建物に入る。ARE10はS氏がウラジオの調査用マップを作成したときに、便宜上ふったナンバーで、アレウツスカヤ通りで10番目にチェックすべき建物ということ。ジェルジンスキークラブといい、昔キャバレーだった建物であることを帰国後に知った。この建物には地下がある。地下を少し見た後、1階、2階と上がる。変な迷路状になった建物で結構面白い。アパートの部屋がそのまま店になったような感じなのだが、とにかくどの部屋も狭くて薄暗く怪しい感じ。またどの部屋もきつい煙草の匂いと、ロシア人特有の体臭が充満していて、正直言ってあまり気持ちよいものではない。
地下にいた可愛らしい小さな黒猫を撫でていたら、おばさんが何やら言って笑いかけて、そのまま去って行った。言葉はさっぱり分からなかったが、気分が通じていた感じでちょっと穏やかな心持ちになる。

混雑するバス停周辺
フォキン通り交差点からアレウツスカヤ通り南方向
バスはみんな寿司詰め状態だ。トロリーバスや市電が道の中央で止まると、乗り降りの人々に遮られて後ろの車も脇の車も全て止まってしまい、すぐ渋滞が起きてしまう。また小さな交差点には信号が少ない。当然、そういう場所には歩行者用信号などなく、これまた決死の横断となってしまう。停止線もゼブラも消えてしまっていて見えない。でもバス停のあたりにだけは信号があったりする。よくわからん。
しかし、いかんせんノドが痛い。おまけに頭痛までしてきた。熱っぽくて今日は参ってしまう。O氏もこれまた調子を崩してノドが痛いと言い、声が出なくなってしまっている。口の中がヒリヒリするのが最もつらい。1ブロック終了させたところで、東西方向のフォキン通りがキオスク状の店舗が立ち並ぶ地域だったため、少々の休憩も兼ねて入り込む。

フォキン通りには街路樹があり、キオスクが建ち並ぶ場所もある。
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キオスクでチョコレートを買う。ノドが痛いので口の中に何か入れたくて仕方がない。チョコレートぐらいはロシア製かと思ったらドイツ製だったのでまたちょっと驚く。270RBと他の物の相場からするととびきり高いのにも頷けるものがある。でもってやっぱりおいしかった。喉を潤したかったが、この時は残念ながらジュースは買えなかった。O氏はタバコを買ったが、両切り煙草でまずかったと言っていた。
線路が下の方を通っている路地で休憩していたら、F氏、I氏、K氏のチームに出会う。向こうのグループも結構疲れていた。少し話をした後、また別れ別れになって調査を続ける。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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