1992.10.7(Wed) Vladivostok
セメノフスカヤ通りとの交差点に出る。ここで交差点のパノラマを撮影する。
セメノフスカヤ通り交差点のパノラマ1(東から南方向) Google Map
左手の交差点角地はコルホーズ広場。写真右手の道を進むと駅。
写真を撮っているとおばさんが近づいてきて、大きな声で何事かを私に問いかける。しかし当然私はその意味を理解できない。先日のカードを見せると更にいろいろ大声でまくし立てる。多少耳が遠いらしいので大声なのは仕方ないが、私が言葉が判らず、英語でわかんないよと言ってもなおも続けて話すのには閉口する。別のおばさんが通りかかり、こちらもロシア語で取りなしてくれるが、それもほとんど判らない。言葉ができないとやはりエラク不自由だ。言葉が通じないのが判ったら、諦めればよいのになぜかその後も長いこといろいろまくしたてていた。埒があかない。
また連続写真を撮ろうとカメラを横にスライドさせて撮っていたら、これと丁度同じように画面を横切るおばさんがいて、後で写真が出来上がってみると、全ての写真におばさんが写り込んでいたので笑ってしまった。
セメノフスカヤ通り交差点のパノラマ2(西から北、東方向)
写真中央、交差点の直下を鉄道(シベリア鉄道)がくぐっている。
ウラジオの公園・広場の多くはヨーロッパのそれとは違って、交差点に面した角地を広場や公園にするものなので、どうも収まりが悪い。近道をするために公園内を通り抜ける人は結構いるが、休息の場所にはあまりならないようだ。ソビエト時代に、従前の建物を取り壊して作られたものらしいが、どうも不思議な状態になっている。
交差点付近の道路上空にはワイヤーが張ってあり、そこに星形の飾りつけがされている。電飾ではないかと思って、後で添乗員のS氏に尋ねてみると、年に数回の記念日にのみ点灯する物らしい。折角つけているのに何だかもったいないことのように思う。それならイベントの直前に設置すればいいじゃないかとも思うがそうではないらしい。また年中点けてればいいのにとも思うが、それもだめらしい。だいたい電気が不足気味で、そういう景気の良いことはあまりできないのかもしれない。ハレとケがはっきりしていること自体は良いことなのだが・・・。
建物壁面に固定された信号
ウラジオでは今まで自動車が少なかったせいか、信号機は主要な交差点にしかない。日本のものとは違って、歩道上の人の背丈ほどの低い位置に設置されている物が多く、建築物の壁からアームを出して支持していることも多い。ぼんやり歩いていると背の高い人ならぶつかってしまいそうなものが壁から張り出している。また歩行者用信号などに並んで立てられていることもある。一方、市電やトロリーバスの架線は壁と壁を結ぶワイヤーによって中空に張られている。一部では街灯もワイヤーで吊されている。
旧日本軍の建物 Google Map
その後、頑張ってアレウツスカヤ通りを更に2本上の道まで行ってみた。フォンタンナヤ通りとの交差点付近には、昔、日本軍司令部が置かれていた建物があった。ソビエト時代に大増築されたそうで、私たちの訪問時は警察関連の施設だったという、なかなか立派で大規模な建物である。(2011年時点では沿海地域総務事務所(Panoramio掲載の写真タイトルからの直訳))
ボロゴイ通り交差点付近から山手方向 Google Map
正面奥は極東総合大学(現在は極東連邦大学らしい)
坂を上った最後のところは時間切れになったのと、地図が大幅に違っていたという事情で調査しきれなかった。仕方なしに中央広場に戻る。
1992年10月 ロシア日記・記事一覧
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